下関市『春帆楼』で気になった扁額は! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

連日 下関市のコロナ感染者がダントツで心配だったRieruです。


・・・あ〜、自分が泊まるお宿が開いているか心配だったわけですか。



イテテ



(やな女)



下関市のお宿・・・には一度も泊まった事がありませんが、以前から気になっていたお宿がありました。

かつて『日清講和条約』(下関条約)が締結された場所です。



最近では、昨年の晩秋に訪ねた場所でした。



しかし、先にTもっちゃんのリクエストで・・・後から「私も泊まってみたかったんですよ!」と言っても、やはり後出し。

晩秋に訪ねる前には予約を済ませていたので、春帆楼に立ち寄った際には気になり過ぎて、ついカメラのレンズを向けてしまう事に。



あの部屋から関門海峡を見たら、綺麗だろうな〜なんて想像しながら。


『春帆楼』の名前は、伊藤博文さんが名付けたんよね〜なんて思いながら。

そんなこんなで門司港レトロ観光を堪能し、やっとこさチェックインしました。



入口近くには、『史蹟 春帆樓 日清講和談判場』と刻まれた記念碑があります。

春帆楼内のお部屋で行われた講和談判ですが、現在はすでに無く、再現されたお部屋が隣の『日清講和記念館』で公開されていました。



私は何度かお邪魔した事があるので、私が入浴中にTもっちゃんは見学へ。


・・・の前に、チェックインね。



玄関の先には、中庭が。



ガラス張りなので、人が映り込んでしまいます。


入って右側にある木札には、『天皇皇后両陛下御泊所』と・・・



ん?そうなんですか?調べてみると、関門国道トンネル開通時と山口国体があった時に、昭和天皇・皇后両陛下がお泊まりになったそうです。

海岸沿いの国道は、夜間 市民が持つ提灯で埋め尽くされたのだとか。

さぞや美しい光景だったのではないでしょうか。


目を見張るのが、立派な扁額です。



価値が高いのか、ガラス張り!


こちらは、あの伊藤博文さんのものだそうで、下に解説が添えられていました。




伊藤博文

日清戦争が終わり、両国が交えた砲煙の痕跡も消え去ろうとしている。

今後百年の両国外交については、天皇陛下(明治天皇)が御胸中にすでに御計画あそばれている。

外交使節を拝命し、皇居を辞して南洋の新版図(台湾)を視察して参りました。

明治28年 春帆楼主人の為に書き記す

春畝山人 博文


明治28年は、1895年。あれからもう127年になりますか。


館内には、安部晋太郎氏の扁額もありました。



山口県出身の林義郎氏のも。



立ち止まってずっと観ているわけにはいかないので、撮影させていただき、後日じっくり拝見させていただきました。


さて、お部屋ですが・・・広っ!



めちゃくちゃ贅沢ですなぁ!



窓の外は、暮れゆく関門海峡が見えます。



眼下には、日清講和記念館が。



旅館のHPには、このように紹介されていました。


歴史に刻まれる夢舞台、日清講和会議

明治維新後、急速に近代化を進めた日本は朝鮮半島の権威を巡って清国(中国)と対立を深め、明治27(1894)年8月、甲午農民戦争(東学党)の乱をきっかけに開戦しました。

日本軍が平壌、黄海で勝利し、遼東半島を制圧した戦況を受け、清国は講和を打診してきます。会議の開催地は、長崎、広島などが候補に挙がりましたが、一週間前に伊藤博文が「下関の春帆楼で」と発表。

明治28(1895)年3月19日、総勢百人を超える清国の使節団を乗せた船が亀山八幡宮沖に到着しました。日本全権弁理大臣は伊藤博文と陸奥宗光、清国講和全権大臣 李鴻章を主軸とする両国代表11名が臨みました。講和会議は、当時の春帆楼の2階大広間を会場に繰り返し開かれ、4月17日、日清講和条約(下関条約)が締結されました。

下関が講和会議の地に選ばれたのは、日本の軍事力を誇示するために最適だったからです。会議の終盤、増派された日本の軍艦が遼東半島をめざして関門海峡を次々と通過する光景は清国使節団に脅威を与え、交渉は日本のペースで展開したといわれます。


会場となった春帆楼は後に「鉄道唱歌」で「世界にその名をいと高き 馬関条約結びたる 春帆楼の跡とひて 昔しのぶもおもしろや」と歌われるほど有名になりました。



のちに世界の外交史に残る講和会議の意義を後世に伝えるため、昭和12(1937)年6月、春帆楼の隣接地に開館したのが日清講和記念館です。講和会議が行われた部屋を当時の調度そのままに再現。浜離宮から下賜された椅子をはじめ、伊藤博文や李鴻章の遺墨など、講和会議に関する多くの資料を展示しております。


ん?春帆楼は戦災で全焼したけど、日清講和記念館は無事だったという事ですか?

国の登録有形文化財ですもんね。

夜はライトアップされて、ドラマティックに・・・

伊藤博文さんと陸奥宗光さんの胸像も下からライトアップ・・・



いや、ちょっと雰囲気出過ぎて怖い!



アイタタタ



(ちなみに木枝は桜・・・そろそろ咲く頃でしょうか?てか葉が繁る季節だと、お部屋からお二人の胸像は見えません)