先月下松市で開催された『くだまつてくてくウォーク』に参加した際に、下松工業高等学校の武道場でお昼ご飯を食べたRieruです★
貴重な映像を観ながら食べた後、出発の時間まで少し自由になれたので、校門近くにある銅像を1人で見に行きました。
あった、あった!
鉱山王と言われた、久原(くはら)房之助氏の胸像が!
大正8(1919)年に33万円の創設費を寄付されたので、銅像が建てられています。
彼が掲げた『大工場都市計画』が頓挫したあと、罪滅ぼし的な意味合いで?
「いずれ下松の工業を支えていく人材を育成したい」との想いで。素晴らしいですね。
毎年卒業式の前日には、優秀な成績を修めた生徒に、『久原賞』を贈っているそうです。
時代が時代なら、下松市に大工業地帯が生まれていたかも・・・と思うと、いろいろと想像してしまいますね。
台座の裏側には、このような青銅製の説明板がありました。
文字に起こすのが意外と大変だったので、今回は貼りっぱなし。
ご存知の方も多いでしょうが、あの鮎川義介氏の義弟になります。
鮎川義介氏は、井上馨の姉の娘の長男という事も有名ですね。鮎川義介氏の妹の清子さんの夫が、久原氏になります。義弟と言っても、久原氏の方が11歳も年上でしたけど・・・
久原氏も萩市出身という事で熊谷町に石碑があり、須佐には『久原波止場』という石碑もあるそうなので、いつか訪ねてみたいものです。
校内には、他にも胸像がありました。
歴代の校長先生のようです。・・・眼鏡率高し。(←コラ!)
一際目立つ木を見付けたので、近くで拝見する事に。
『第1回生入学記念樹』ですって!大正10(1921)年4月に植樹されたようです。今からだいたい100年前!これは貴重じゃないですか!
気になる石もありました。
アンタ、保護者でも何でも無いのに、1人でいろんなものを撮影してると、不審者に間違われるよ?
イテテ
(大人しく団体行動してください)
さて、高等学校を後にして、公集大橋を渡ります。
コースの最後に本物を拝見します。
その前に、平田川沿いを少し歩きました。
あっ、まだ冬眠していない亀さんが甲羅干しをしています。
思わず、周りの人たちに知らせてしまいました。