周防大島『山本萬之丞翁頌徳碑』を見に行ったっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



昨日庭に出たら、香水をぶちまけた?と思ってしまうほどの花の香りに驚いたRieruです★

探してみると、香りの元はマイヤーレモンの苗木に付いた花でした。


苗木ですが、実がなるのでしょうか?

ぜひ、実ってほしい!ということで、1本中10個実るように小さい蕾を選んで摘みました。


上の画像は2回目(今朝)の摘蕾。てか、蟻が蜜を頂戴していました。パッションフルーツの苗にもたくさんいたし・・・ちょっと心配。
そんな庭ミニ仕事が日々の日課になっている女は、先週周防大島へ行きました。
道の駅サザンセトとうわの先にある海側にある岩山を訪ねたいと思い、山側の歩道に駐車。


車から降りて岩山を見ると、こんな感じ。


周防大島でよくドライブしている方には、お馴染みの岩山かもしれません。

この岩山、じつは階段があり、上に上がることが出来ます。


松の木が邪魔になりますが、上から道の駅の方向を見ると、こんな感じ。


ほら、よく見るとあの辺が道の駅!


この辺りの海も透き通っていて綺麗キラキラ


心の中も澄みそうです。

肝心の上は、こんな感じ。


みかん石?


気になる石です。

奥には石碑が。

『山本萬之丞翁頌徳碑』

山本さん(1860〜1937)は、現在の東和町の長崎に生まれ、若くして稲の優良品種を選出されたほど農事を心がけられていたのだとか。


明治20年頃、山本萬之丞さんという方が、蜜柑の品種を改良して蜜柑栽培を飛躍的に発展されたそうです。
林幸太郎家の畑にみかんの優秀な枝変わりがある木の一枝を取ってザボンを台木にし、自分の畑に植えると、良質な蜜柑が大量に取れました。
この木から穂木を取って接木をし、島内に広められ、昭和37年時点では大島の蜜柑の半分はこの系統の蜜柑で、『山本系』と言われていたそうです。


碑は、昭和37(1962)年に宮本常一氏が撰した碑文が書かれています。


山本系蜜柑育成者

山本萬之丞翁頌徳碑

山口県県知事 橋本正之 書

山本萬之丞翁は万延元年四月十二日山口県大島郡東和町長崎に生まれた。
その家は代々農を営み、翁もまた生涯これにしたがい、昭和十二年七十六才で逝った。
温厚にして無欲、名利にこだわるところなく、ひたすら農事に心をかたむけ、若くして稲の優良品種を選出し、また明治二十年頃林幸太郎家の畑の蜜柑の優秀な枝変わりのあるを見て、一枝をとってざぼんを台木にして接ぎ、自家の山畑に植えた。
この木は美事な成長をとげて良質の蜜柑がみのるにいたった。
そこで翁はこの木から穂木をとって接木し漸次郡内にひろめ、県もまた優良品種としてその普及につとめた。
今日大島の蜜柑の半ばはこの系統に属するものであり、名づけて山本系という。
蜜柑栽培者はひとしくこの恩恵に浴し、ここにその恩を謝し、徳をたたえて、この碑をたてる。

文学博士  宮本常一 撰
昭和三十七年七月


なるほど。

△ こんな時期でも品種によっては蜜柑が収穫出来るようです(道の駅サザンセトとうわ)

山本さんの尽力は大きいものですが、嘉永年間には紀伊で蜜柑栽培法を学んで数百本の蜜柑の苗木を持ち帰り、島内に蜜柑栽培を広めるきっかけを作った藤井彦右衛門さん、他にも明治時代にはいろんな方が蜜柑の苗木をたくさん持ち込んでくれたお陰で“優秀”な品種が出来たことも忘れてはなりません。


・・・マイヤーレモンも育てませんか?

目立ってないだけで、多分もう、たくさん栽培されています!


アイタタタ


(冬のみかんシーズンが待ち遠しいオレンジ)