桜の花が満開の頃、下松市を歩いたRieruです★
リーフレット『下松で古地図さんぽ』鷲頭山と下松藩の歴史を歩こう編を片手に、『むまやのだん』と『古御屋敷山』を訪ねました。
その後『ハ』(③)の松心寺(しょうしんじ)へ。ここにはかつて、『永心寺(えいしんじ)』があったようです。
リーフレットには、永心寺についてこのように書かれていました。
その名は毛利就隆の館が下松にあったとき、就隆の側室・永心寺殿月窓永心大姉(えいしんじでんげっそうえいしんだいし)の菩提寺として創設されたことに由来します。
ほー、そうだったのですね。
そしてその後は心寺殿と娘 祥光院殿瑞中以松大姉(しょうこういんでんずいちゅういしょうだいし・・・伊勢子)の戒名を合わせて、寺号を松心寺と改められました。
こちらには永心寺殿の宝篋印塔、祥光院殿の五輪塔、伊勢子の乳母 長昌院殿(ちょうしょういんでん)の石塔等があるようです。
他にも、平成元(1989)年に様々なものが発見されたのだとか。興味深いお寺です。
てか、就隆公には側室がお2人もいらっしゃったんですね。検索したら性雲院さんしか側室は出てきませんでした。正室、継室、側室2名・・・跡継ぎが必要とはいえ、いろいろと大変です。
松心寺を後にして、次の目的地へ。
降松神社へ向かう道中に、『二』(④)の八口(はっこう)があるようです。
あの辺り?
『西念寺(さいねんじ)』がある地域らしいのですが、あのお寺でしょうか?
『地下上申(じげじょうしん)』に、下松・末武・花岡・生野屋(いくのや)・山田・窪市(久保)・吉原・八条という8つの村より入るところなので八口というと書かれているそうです。
そんな由来があったのですね。
おっ、狛犬さんを発見☆
個人宅にいたので、全景の撮影は控えました。台座にハンカチを敷いた様な表現をされていますね。
神社等にあったものでは無いような狛犬さんです。しかし、よく睨みが効いていて良い狛犬さんだと思います。
しばらく行くと、県道63号線に出ました。
橋には、鯉のレリーフが。いるんですよ、鯉が。
光市方面に進みます。
『妙見本宮 降松神社』と書かれた、大きな看板を発見☆
看板通りに信号を右折せず、左側にある『ホ』(⑤)の妙見休殿へ。
駐車場らしき広場に車があったので、全景は撮れませんでしたが、こんな感じ。奥の建物は、大河内集会所のようです。
例の『地下上申』には、妙見社の祭礼の時の舞殿とあり、現在では祭礼の際に使用される御旅所のひとつになっているのだとか。
県道を横断し妙見橋へ。その手前にはもうひとつの御旅所がありました。
・・・井戸?
アイタタタ
(お神輿を置く場所です)