山口の神社仏閣★松江八幡宮(山陽小野田市)拝殿 手水鉢 石灯籠編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




先日訪ねた山陽小野田市にある『松江八幡宮』で、珍しい形をした手水鉢を見付けたRieruです★


扇っぽい…どうせなら、簡略化した松にしたら?

注文は受け付けません。


イテテ


(こういう形の和菓子がありそうキラキラ)


暑い時期はボウフラが湧いて大変だよな〜なんて味の無いことを思っている女は、こちらの境内にある5基の石鳥居に興味を持ちました。

広い境内とは言えない場所に5基…不思議です。それだけ信仰心が篤かったのでしょう。

さて、拝殿へ参りましょう。


こちらの八幡宮の由来は説明板がありましたので、書かせていただきます。(割愛箇所有り)

松江八幡宮 由緒

 御祭神    応神天皇 神功皇后 姫大神

   創建は和銅2(709)年に四郎丸定頼が宇佐八幡宮から勧請したという。往昔 百済國 聖明王の第3皇子 琳聖太子帰化の時、目出村江尻に撃船し、数日風波の和順を待った。

△ なんと2対の狛犬さんよ!

縁故ある地であるので琳聖太子が周防の國に下り、大内の縣に居住する事となった後、四郎丸貞成に命じて開拓せしめた。


  嫡男 定頼に至りて産土神として勧請して崇敬したと言われている。其の後、室町時代に多々良政弘が祈願のため、神殿を再建し、毛利の領地となっては毎年若干の除石を以って祭祀料に充て厚く尊敬した。
  明治6(1873)年11月 村社に列せられ、明治41(1908)年10月17日勅令第96号により神饌幣帛料共進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)となる。

神饌幣帛料共進神社?とは、郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき、県令をもって県知事から、『祈年祭』・『新嘗祭』・『例祭』に神饌幣帛料を供進された神社のことだそうです。

謹んで参拝。自然と神額に目がいきます。ふむふむ、こちらは明治16(1883)年9月に奉献されたのですか。

後日気が付いたのですが、奉納者の中に例の三好製陶所の初代窯である、三好源之助氏の名前がありました。


製陶業に携わっておられた方の名前は、探せば他にもありそうですね。

あら、境内に盛り上がった場所が。


奉納相撲も行われていたようです。

いたって普通の手水鉢ですが、輪の中に設置されていて個性的。


こちらは水道が引かれているのですね。

境内には『皇記二千六百年記念』という碑とともに、巨木が立っていました。


てか、皇記2600年っていつ?戦前のイメージがあるのですが?
調べてみると、昭和15(1940)年…なるほど。

表参道の一の鳥居に近い場所に、冒頭の手水鉢よりも古そうな手水鉢を見つけました。


もしかして、初代?

その古そうな手水鉢の近くには、立派な石灯篭が建っていました。


注目すべきは、刻まれた『長陽炭鑛』!


山陽小野田市や宇部市は炭鉱がありましたもんね。いつか炭鉱に焦点を当てた旅をしてみたいです。
まずは『きらら交流館』内の『レストランやけの』さんで提供されている『炭鉱カレーうどん』を食べに行き…

結局『食べ物ありき』な旅なんですね…


アイタタタ


(食べることは生きることです!)