山口の神社仏閣★宗隣寺 瓦 本堂編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




宇部市にある『宗隣寺』を訪ねたRieruです★

お寺でいただいたプリントには、凡そこのように書かれていました。

宗隣寺

   宗隣寺は、宝亀8(777)年 唐より来朝した為光和尚によって松江普済寺が創建されたと伝えられています。その後寛文10(1670)年 長州藩永代家老の宇部領主でもある福原広俊(15代)が菩提寺として宗隣寺を再興した禅宗(臨済)の名刹です。

松江山!

読みは「まつえやま」でも「しょうごうざん」でもありません。「ずんごうざん」と読むそうです。

この「松江」は、太湖(南湖)の支流にある湖のことで、観音菩薩の聖地なのだとか。

ちなみに広俊氏の父 元俊氏の「宝嶺宗隣居士」の法名から宗隣寺の名が付けられたようです。
ということで、瓦が福原家の家紋でありますよ!


萌える!


手水社の瓦も、もちろん萌える!

どこを見ても家紋!


裏紋のカタバミ紋にも萌えます!(←ハイハイ)

こちらは中国観音霊場の第18番目(本尊如意輪観音)の札所にもなっていました。


観音信仰の聖地として参詣をあつめているようです。

さて、本堂へ。


平成10(1998)年に本堂(本尊無量寿佛)は再建されたので、今年で築23年です。



掃除が行き届いて気持ちが良いですね。

△ よく見ると毛玉だらけの靴下よ…


こちらのお嬢さんにスリッパを出していただきました。他の皆さんにも出していましたが、4〜5歳ぐらいの元気の良いお嬢さんに癒されました。

彼女がインターホンでお祖母さまを呼び出してくれたのですが、そのインターホンのボタンを連打していた様は本当に…



イテテ



(いらんこと書かんでええ)



ガイドさんが詳しくこちらの位牌等の話をしてくださいました。



福原越後公の話は、いつ聞いても無念さが込み上げてきます。どれだけ悔しかったことでしょう。禁門の変(蛤御門の変)の責任を取らなければならなかったとはいえ、健康な身でありながらの切腹…ううう…

ハッ、ここにも家紋が!(←変わり身早っ)


切腹は岩国で、首は広島(この時は幕府側)へ運ばれ(首級)ました。その後、遺体は宇部へ運ばれたのですが、
こちらにはその時に使われた駕籠(かご)だそうです。

△ 天井?から吊り下げられていました

ガイドさん曰く、「首」(頭部)だけ運ばれたのか「遺体」も一緒だったのかハッキリ分からないとのことですが…
首を広島に運んで確認した幕府側の人は、もちろん福原越後氏の顔をよく知った人だったのでしょうね。
毎年11月の第2日曜日は福原越後氏の墓所が一般公開されるそうです。
なるほど、亡くなられた日は元治元(1864)年の11月12日ですもんね。(もちろん旧暦…西暦だと12月10日)
その時期はお庭のモミジも紅葉していて美しいのではないでしょうか。
で、ランチは近くにあるフランス料理店『レストラン ノエル』さんで…♩¨̮

夏に移転予定だし、そもそも予約が取れないと思う!


アイタタタ


(有名建築家さんに設計による洞窟ちっくな店内でフランス料理を食べてみたい!←アナタには勿体ない…)