山口市『寺内正毅』さんのお墓へ参りました… | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



先月山口市を訪ねたRieruです★


常栄寺の雪舟庭を訪ねる際、こんな看板を目にしました。


『寺内正毅(てらうちまさたけ)墓』!

えっと、昔の総理大臣でしたっけ?すみません、詳しく知りません。
知らないからこそ…しかもわりと歩いて近いようなので、この機会に参ってみることに。
看板が立っているので、すぐに分かりました。


一緒に立っていた説明には、このように書かれていました。


寺内元帥の墓・旧陸軍墓地(西桜畠)

    寺内正毅は、萩藩士 宇多田正輔の三男として嘉永5(1852)年 平川に生まれ、後に寺内勘右衛門の養子となり、宮野に移住しました。陸軍大臣・初代朝鮮総督・元帥・内閣総理大臣を歴任し、大正8(1919)年11月3日に病死し、この地に埋葬されました。旧陸軍墓地は、寺内正毅の墓地の右上に設けられており、戊辰戦争以後の各戦争で戦士した士卒の墓石が多数あります。

なるほど、旧陸軍墓地でもあるのですね。そして士卒の墓石も…


坂道を登ると更に別の説明板があり、このように書かれていました。

寺内正毅の墓

   寺内正毅は市内平川に生まれ、幼名を寿三郎といい、寺内家の養子となり、幕末維新の戦役に従軍した。その後も軍人として身をたて、日清の役にも大功があり、明治35(1902)年 陸軍大臣となった。
明治39(1906)年 陸軍大将に任じられ、43(1910)年 日韓合邦により最初の朝鮮総督となり、大正5(1916)年 元帥に列し、同年10月に内閣総理大臣に任じられた。
大正7(1918)年に辞職、翌年67歳で病死した。郷里の宮野の地に墓をつくり葬った。
正毅の墓と並んで長男 寿一(ひさいち)の墓がある。
寿一は、父の跡を継ぎ陸軍に入り大将、大臣を歴任したが、太平洋戦争の勃発とともに南方方面軍最高司令官となり、昭和18(1943)年 元帥府に列せられ、終戦後、同21(1946)年 マレーのレンガムで病死した。
正毅、寿一と親子で元帥となった例は世界でも珍しい。


階段を上がると、立派な石灯篭が並んでいました。


お墓も立派です。


『元帥陸軍大将伯爵寺内正毅之墓』


伯爵でもあったのですね。


『ビリケン宰相』の異名を持つ、というのは有名ですよね。


寿一さんのお墓も。


献燈奉賛者の中に、『宇多田』さんのお名前がありました。
養子には出したけど、もともは宇多田家の出身ですものね。


常栄寺や山口県護国神社が近くに…墓所からの眺めは良いものでした。

あまり長居しても…若干お腹が空いてきましたし…お邪魔しました、と階段を降りたところで背後から変な鳴き声が!


鳥?巨木の上辺りから聞こえました。振り返りつつ、足は進んでいるのでどんな鳥だったのかは分かりませんが、確かに種類の分からない鳥が鳴いたのです。

腹の鳥じゃないよね?

…腹のですよ。



アイタタタ


(謎です)