自分が作ったものを他人に差し上げる事(商売を含め)を、「お嫁に出す」という表現がありますが、どうも首を傾げてしまうRieruです★
お嫁に出したら、定期的に里帰りはしないの?
イテテ
(実際に商品が里帰りされても困ります)
商品が故障等して作り手さんに修理してもらう事が、里帰りに当たる?
お嫁さんが病気等したら里帰りする?
すみません、どーでもいいことにモヤッとして。
里帰りといえば、広島在住の頃は年に3回以上は実家に帰っていました。
頭領の方にはハンコを押したように、年2回(お盆とお正月)だけ。
昔お義母さんに話の流れで、(私が)自分の実家に帰省した事を話すと、「ええねぇ、今の人は気軽に実家に帰れて。昔は親兄弟姉妹の葬式(兄弟姉妹の婚礼も?)しか実家に帰れんかったんよ」と話してくれました。
家によってはそうでは無かったかもしれませんが、そうであれば辛いですね。
それが世の中の当たり前の風潮だと従うしかありませんが、やはり実家・・・とりわけ『お母さん』の存在は新婚の身ではなんと頼もしかったことか。
しょっちゅう実家に入り浸るのも考えものですが、ほど良い距離を保ち、両親の老後のサポートも視野に入れて永く繋がりを持ちたいですね。
そんな私の目に、こんな看板が入ってきたものだから、アータ・・・
熊本県から以南へはまだ1度も足を踏み入れたことが無く・・・いつか鹿児島県へ行ってみたいです。(←行きたい場所リストに追加!)
鳥濱トメ プロフィール
真新しいカウンターで選んだメニューを注文し、代金を払って席を自分で決めて座ります。
(そしてド忘れしたのですが、料理が出来たらベルが鳴って取りに行くスタイルだったような?)
傘を差していても結構服やバッグが雨で濡れていたので、椅子に座る前に一通りハンカチで拭きました。
おひとり様だったので、店内中央の長いカウンターに座り、目の前にあったメニューを見ながら料理が出来るのを待ちます。
会津や庄内のお蕎麦やお米(ご飯)も味わえるようですが、このメニューに記されたのだけ写してみます。
・富屋食堂のとんこつ
(鳥濱トメさんの意志を受け継ぐ「富屋食堂」で出されている逸品 甘めの味付けが酒に合います)
・本薩摩揚げ 五種盛り合わせ
・桜花餅と宇治抹茶セット
・宇治抹茶 八千代 和三盆付き
・ 靖國 紅隼人 薩摩芋プリン
・船橋屋のくず餅 一人前九切れ
お酒やソフトドリンクも(一部)気になるものがありました。
裏側は、鳥濱トメさんのことや玉子丼のことが詳しく書かれています。
旧知覧特攻基地の軍指定食堂であった富屋食堂で、『特攻の母』と愛された鳥濱トメさんが特攻隊長のみなさんに振舞った玉子丼には、一体どれほどの想いが込められていたことでしょう。
当店の玉子丼は、トメさんの味を現代に受け継ぐ富屋食堂『ホタル館』館長、そしてトメさんのお孫さんである鳥濱明久氏が想いを込め作った割り下を、鹿児島知覧から靖國へ直送いただき、そのまま使用しています。
明治35(1902)年6月、鹿児島坊津町(現 南さつま市)生まれ。大正15(1926)年5月、24歳の時に長女の美河子(鳥濱明久氏の母)が誕生。昭和4(1929)年、27歳でそれまでの貯えを元手に『富屋食堂』を開業し、翌年次女の礼子も誕生します。
昭和17(1942)年に富屋食堂は陸軍指定食堂となり、昭和20(1945)年3月、知覧からも特攻隊の出撃が始まると、富屋に多くの特攻隊員が出入りするようになりました。たくさんの隊員達からお母さんと慕われ、トメはその出撃を見送り続け、いつしか『特攻の母』と呼ばれるようになりました。戦後、知覧の観音堂建立に尽力し、建立後は欠かさず毎日参拝に通い、平成4(1992)年に89歳で大往生を遂げるまで続けた、愛情溢れる方でした。
後に調べてみますと、隊員たちが憲兵の検閲を避けるため、トメさんに手紙を渡して出してもらったりしたそうです。また、彼らの出撃の様子を書いた手紙をその家族らにおくったのだとか。
本当に愛情溢れる方です。
ランチタイムをとうに過ぎていたためか、そう待たずに玉子丼が出来上がりました。
てか、よく噛んで食べましょう。
イテテ
(玉子丼の喉越しが良いったらありゃしない!)
特攻隊員たちは、きっとよく噛んで食べたに違いない・・・彼らが使ったかもしれない“お重”が店内で展示されていたので見せていただきました。
下の三重箱は平仮名の店名入りで、渋い!
戦後は、うな重等にも使用されたそうで、昭和50年頃まで使われました。
戦後といえば、警察署長から進駐軍が店を利用することを懇願されましたが、トメさんはずっと断っていたそうです。
けど、町主催の進駐軍の歓迎会が富屋食堂で行われたのをきっかけに、受け入れることに。
元々面倒見が良いトメさんのこと、彼らからも『ママさん』と呼ばれて人気がありました。
頑なに拒むばかりではなく、受け入れるという姿勢も『母』のイメージと重なります。
・・・と、記事をここまで書いていると、実母からまさかの(スマホ)電話が!
娘たちが書いた手紙(私の両親宛)が今日届いたそうで、綺麗で丁寧な字や、大きくなった姿の写真の感想などを彼女らが不在だったため、私に伝えてきました。看護師を目指しているので、蝋燭を持って真剣な表情をしている戴帽式の写真などは、感慨深いものがあったようです。
・・・しかし、私は知っている。彼女らは手紙を祖父母(私の両親)が読んだら、たんまりお小遣いを送金してくれることを見越して書いていることを!
アイタタタ
(「立派な看護師さんになって恩返しするから〜☆」と、申しておりますm(_ _)m)