東京の神社仏閣★靖国神社 入り口の狛犬&中国獅子編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



月曜日に夕飯の調理中、左手人差し指を包丁で切ってしまったRieruです★ 

次の日の夕飯の調理中、今度は左手中指を包丁で切ってしまいました。


イテテ


いろいろと考え事をしていた?注意力散漫な女は、先月 靖国神社で印象的な狛犬さんたちに出逢いました。

第一鳥居近くの狛犬さん︰「遠路はるばる、よう来たね!」


デカッ!


高っ!


なんちゅー、インパクトのある狛犬さんなんでしょうか。

まず1番に目がいくのは、ガッシリとした肩から伸びる、逞しい両前脚。


そして肩の部分がポコポコしてます。


高さがあり過ぎて近付くも、頭部がよく見えません・・・ムウ・・・

台座に創建年月日等が刻まれたプレートがありました。


それによると、昭和41年11月3日とあり、下に並んだ名前は・・・勲一等  清瀬一郎を先頭に、世話人まで刻まれており、石工の名前は小澤映二とあります。
清瀬一郎氏のことを調べてみますと、元衆議院議員で、東京裁判の時に東條英機氏の弁護をした事がある彼は、昭和39年に勲一等を叙勲することになり、記念に靖国神社へ狛犬を奉納することにしたそうです。

△ 身体には肋(あばら)?皮の襞(ひだ)?のようなものが確認出来ます。

そして驚くことに、昔 諸事情により未完のまま放置された狛犬さんを再利用して完成させたものなのだとか。
“昔”というのは大戦の頃のことで、当時の陸運省が後藤直氏に依頼しました。
依頼を受けた後藤氏は、京都の籠神社の狛犬さんを元に石膏で原型を作り、真鶴の小松石で狛犬さんを作り出すも未完に。
そして再びこの製作途中の狛犬さんを、後藤氏の弟子である八柳恭次氏が完成させたのでした。

ん?石工は小澤映二氏で、作が八柳恭次氏って?

△ 立派な前脚とは逆に、細めの尻尾

細かいデザインや監修は八柳氏で、鑿(のみ)を振るったのは小澤氏?・・・かな。
元々は籠神社にある狛犬さんのコピー?と思いましたが、凡人の分からない箇所を少し変えていたりするのかもしれませんね。←またテキトーなことを・・・

狛犬さん︰「かもねかもね、そうかもね〜☆」


イテテ


(ハァ・・・懐かしいシブがき隊の歌)


さて。
“第一鳥居近くの狛犬さん”と書きましたが、大鳥居下にも狛犬さんがいるようです。


靖国神社に参る数日前に狛犬さんのことを調べると、中国製の『中国狛犬』さんがいることが分かりました。
なので、靖国神社へ行くことになったら注意深く見ようと決めていたのです。

なぜ、わざわざ中国から靖国神社に“連れて来られた”のか?
簡単に書くと、明治28(1895)年、日清戦争の頃に、中国(当時は清国)のから日本軍が持ち帰ったからです。
少し詳しく書くと、中国の海城というところに山学寺というお寺があるのですが、そこは日本軍の野戦病院として使われていたそうです。
そこの軍医が戦後、軍司令官の山縣有朋(有ちゃん)に、お寺にあった獅子(中国では狛犬ではなく獅子)像のことを話したところ、「ぜひ陛下に・・・」と対価を払い、お寺から譲ってもらったのでした。

そうだったんですね・・・雨で濡れている獅子を見ると、なんだか込み上げてくるものがあります。

△ 幼獅子と共に

てか、本当に印象的な獅子ですね。

作られたのは大清光緒2(1876)年で、奉納者は『保定府深州城東北得朝村弟子李永成』とあります。つまり、“李永成”氏?
明治9年ですか・・・製作者や奉納者は、まさか20年足らずで異国の地へ連れて行かれるとは、露ほども思わなかったことでしょう。

△ 台座に施されている模様も美しい

その珍しさとユニークな出で立ちから軍医を惹き付け、ついには有ちゃんの耳に入り、明治天皇に献上されることに。
実は獅子はもう一対あり、それは明治天皇から有ちゃんに下賜されたようです。
一対というより、一体?
その獅子は現存しており、栃木県にある『山縣有朋記念館』にあるのだとか。

獅子︰「また娘さんが行きたいライブが栃木県であれば逢いに行けるんじゃない?」

△ 頭の角度が絶妙!そしてモコモコの尻尾が可愛い♡

(山口県から)遠すぎるわい!


アイタタタ


(新幹線だと徳山駅から約6時間以上要するようです←新幹線で行く気か・・・)