大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』第38話(長いお別れ・・・後半)を観たっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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今日は娘Bと買い物に出掛けたRieruです★

彼女が緑色のスキニーっぽいパンツを選びそうだったので、つい「ピーターパンみたいね」とツッコんでしまいました。


イテテ


(ケロロ軍曹も有りか・・・)


その言葉にパンツを棚に戻す彼女。もう少し濃い緑ならね〜。真緑というのは、かなりオシャレ上級者じゃないと着こなせないだろ!と思っている女は、大河ドラマ『いだてん』第38話の後半を観ました。

昭和14(1939)年9月1日、ヒトラー率いるナチスドイツ軍はポーランドを侵攻、これに対しイギリス、フランスが宣戦布告して、第二次世界大戦が始まりました。
もはや世界中が戦争当事者に・・・きっとヘルシンキオリンピックも中止になるだろうということで、四三さんは勝君に郷里熊本に帰るように勧めます。


辛気臭い四三さんに黒坂さんはキレて、こう言い放ちました。

黒坂さん︰「・・・なんだよ、辛気臭せぇ顔して辛気臭せぇことばかり並べ立ててよぉ!あんたみてぇな役立つ、家賃も取らねぇで、何年も置いてやってんの、何のためか分かるか?楽しいからだよ!あんたが居ると、家ン中明るくなるからだよ!戦争だろうが何だろうが、あんただけは、バカみてぇに笑ってなきゃ、ダメなんだよ!」

スヤさん︰「“役立つ”は、言い過ぎばい。あとは概ね同意!お父ちゃんだって、オリンピックが中止になった時、部屋に篭って泣きよったとばい。・・・それに、勝さんが東京に残りたか理由(わけ)は、なんもオリンピックだけじゃなかとたい。・・・ねぇ?りくちゃん。」

驚く黒坂さんに、謝る勝君。

四三さんは笑いながら、鈍感ですなぁ辛作さんは!盛りんついた、“肥後もっこす”ばい!←どこかで聞いたような?


動揺するりくちゃんが異常な速さでミシンを踏む中、いたたまれなくなったのか、ちょっと走って来ます!と店を飛び出して行った勝君。
それをりくちゃんに追うよう、促すスヤさん。
りくちゃんは自転車に乗って勝君に追い付き、そして追い抜かした後、勝君は走りながらプロポーズ♡

りくちゃん!
俺と一緒になってくれんね!


わわわ!顔なんて恥ずかしくて見れない!てか見せたくない!と言わんばかりにペダルを漕ぐスピードが速くなり、勝君に返事もせず、りくちゃんは山道を駆け抜けるのでした。
追いかける勝君は気が気では無かったでしょうが、後日、無事に祝言を挙げる2人。


黒坂さん、金栗夫婦や従業員さんたちの笑顔の中、1人仏頂面の男性が。

りくちゃんの実父、増野さんです!


増野さん︰「僕はねぇ、勝君。妻を、震災で亡くしてるんですよ。」

りくちゃん︰「お父ちゃんソレ4回目・・・」

増野さん︰「幼いりくを背負ってね、瓦礫の中、歩いてねぇ。」

泣くし怒鳴るし・・・なんだか気持ちは分からなくもありませんが、好き合っている2人の仲を認めざるを得ません。
スヤさんの音頭で、自転車節を皆で手を叩きながら唄います。

四三さん︰「増野さん、小松君は心配なか。ちゃあ〜んと、りくちゃんば、大切にするばい。(勝君を見ながら)なぁ!」


勝君︰「はい。約束します。」

増野さん︰「大切にされても腹が立つよ。大切にしなかったら、殺すよ?

五りん君︰「で、次の年、僕が生まれました。


東京にオリンピックが来るはずだった、昭和15年秋。」

古今亭志ん生(師匠)︰「なるほど。それで“五りん”って付けたんだ?」

五りん君︰「いやいやいや、“五りん”は師匠が付けてくれたんじゃないですか、もうしっかりしてくださいよ。


本名は、“金治(きんじ)”です。」

師匠︰「金治・・・」

五りん君︰「まぁ、金メダルの“金”に、治五郎さんの“治”じゃないですか?」

師匠︰「金栗の“金”じゃないのかい?」

五りん︰「ああ、そっちか・・・はい。」

師匠︰「昭和15年ってのは、俺が“志ん生”を襲名した頃だな。」

じつは奥さんのおりんさんは、この襲名には反対だったそうです。志ん生を継いだ者は代々短命らしく、早くに死なれちゃ子どもを抱えて路頭に迷う・・・と、泣き出す始末。
それを見て志ん生はこう、啖呵を切ります。

志ん生︰「何言ってんだぁ、べらぼうめ!志ん生になると患うだの、早死にするだのって法律でもあんのかい!ええ?そんなものぁ俺がご破算にしてやらあ!」

時は過ぎて昭和16(1941)年になり、東條英機が内閣総理大臣になった頃、志ん生は初めて山崎松尾(後の三遊亭圓生)の落語『紺屋太夫』を聞きます。


なんて艶っぽい・・・てか肌が美しー!
ん?四三さん役の中村勘九郎さんの弟、中村七之助さんじゃないですか!
落語の世界でも戦争による影響が出始め、『禁演落語』だらけに。キレる志ん生さんに山崎松尾は「これぐらい葬ってもネタには困りませんよ。ねぇ、兄さん。」と振られたから、オウ、屁でもねえや・・・と答えるしかなかったりして☆

そしてついにこの年の12月8日、日本軍による真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発。
大本営発表では、連戦連勝と報道されましたが、戦況が正確に伝えられることは既になくなっていきました。
開戦と同時に箱根駅伝は2年連続中止となり、昭和18(1943)年正月には『靖国神社箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会』という恐ろしく長い名前で復活したそうです。


これには勝君も出場し、次の選手にたすきを繋げました。
しかし、兵力不足が深刻化したため、ついに20歳以上の文科系大学生が徴兵対象となり、勝君も学徒出陣に。

ハリヤマさんでの夕食風景。なんだか雰囲気が暗くなってしまったのを案じ、勝君は自転車節を歌いましょう!と提案。


大人は手拍子、子どもは箸を鳴らして楽しく歌っていると、国民服を着た増野さんが土足のまま上がり込み、勝君の胸を蹴りました。
「約束、君破ったね?」と胸ぐらを掴む増野さんに、子どもらが箸を鳴らして「ばってん」コール。
落ち着いた増野さんは「無事に帰ってくるように」と声を掛けます。
そのタイミングでりくちゃんは勝君に、赤い糸で縫われた寅の手拭いを渡しました。

あっ、千人針!


千人針とはご存知、女性(少女も含む)が武運長久を祈ってひと針ひと針縫う“お守り”です。
1人ひと針といっても単に縫うだけでなく、結び止めをするわけです。そこで糸は切らずに、次の人にまたひと針縫ってもらい、また結ぶ・・・本当に千人近くにお願いしないと?思うところですが、特別に“寅年の女性はその年齢分縫うことが出来る”んだそうです。
はい、私!めっちゃ縫わせてもらいますよ!ジャンジャン持って来ちゃって!←寅年の女☆
って、本当はそんなの縫わなくても済む世の中でありたかったですよね。
現在でも各地の資料館等で展示や保管をされている千人針。
山口県では平生町にある『阿多田交流館(あたたこうりゅうかん)』で見ることが出来ます。
ハンカチサイズのものや、実際にお金が縫い付けられている千人針もあり、とにかく無事に何事も無く帰って来て欲しいという想いに触れることが出来ます。
勝君、幼い金治(五りん)君やりくちゃんのために無事に東京に戻って来て欲しい・・・


勝君︰「こん子は体の弱かけん、どうか3つんなったら、冷水浴ばさせてください。」

その夜は勝君に対しての「万歳」が高らかに鳴り響いたのでした。

10月21日に明治神宮競技場では、文部省学校報国団本部による学徒出陣壮行会が行なわれました。


オリンピックを呼ぶために、嘉納治五郎先生が建設したスタジアムから学生が、皮肉にも戦地へと送り出されたのです。

その様子を見つめる、元オリンピック委員らの面々。


まーちゃん︰「オリンピックやってれば、こんなことには・・・」

見かけた河野氏を捕まえ、「オリンピックはやるぞ、必ず、ここで!」と、まーちゃんは言い捨てるのでした。


ま、勝君・・・


帰って来て欲しい・・・じつは終戦の日まで生きていて・・・はい、ネタバレ禁止。
金治君だけに。←コラ!


アイタタタ


(39話で明らかにm(_ _)m)