大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』第26話(明日なき暴走)を観たっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



山口県の中でも片田舎に住んでいるのに、来年開催予定である東京2020の競技を観戦する方が、周りに何人かいることに驚いているRieruです★

直接職場の方♀に、え?泊まるトコとか大丈夫なんですか?と聞くと、姉の家に泊まらせてもらうから大丈夫です♪と答えられました。
なるほど。えっと・・・もう一人分(私)寝られるスペースありますぅ?


イテテ


(いやいやいやいや・・・)


東京2020はクーラーの効いたリビングで観る予定ですが、大河ドラマももちろん涼しい場所で観ております。
第26話は、前回の続きからでした。・・・大蔵大臣の高橋是清から、オリンピック特別予算として6万円を出させることに成功した、まーちゃん(田畑政治)。
自分が水連の監督として11人もの日本代表選手を率い、アムステルダムに乗り込む気 満々でしたが・・・“政治部”の記者だから、無理ですね。


イテテ


(“運動部”の尾高さんが同行することに☆)


今回のオリンピックから、女子の陸上も正式種目に採用されたので、いくつもの種目で日本新記録を出し!三段跳びでは世界新記録を出し!二階堂トクヨ先生(二階堂体操塾に入学している)の説得で国際大会に出場して総合優勝を果たした!人見絹枝さんが最終的に選ばれました。
選ばれるまで紆余曲折ありましたが、本当に良かったです。
しかし、この頃の日本の女子スポーツへの意識はまだ未熟でありました。そして絹枝さんの心は、とてもナイーブ・・・でも、傷付きながら頑張りましたよ。


葛藤しながらも多くの人の期待を胸に、日本の女性として初めてとなる、オリンピック出場を決めます。

二階堂トクヨ先生︰「精一杯、あくまで女性らしく、戦ってきなさい。」


オリンピック出場への はなむけとして渡したシルバーピンを絹枝さんの前髪に留め、“シベリア”(羊羹または小豆の餡子をカステラに挟み込んだもの)というお菓子を持たせます。
ジブリファンならご存知、映画『風立ちぬ』のシーンで食べられていた、あのお菓子(パン?)!・・・“風立ちぬを観るとシベリアが食べたくなる人続出!”って流行りましたが、いだてんを観て実際に買いに行き、シベリアを口にされた方も多いのでは?
そんなシベリアを旅のお供として持ち(多分)、昭和3(1928)年6月、シベリア鉄道でオランダのアムステルダムを目指します。
他の選手らは絹枝さんのことを親しみを込めて『姉御(あねご)』と呼び、洗濯や縫い物をしてもらったのだとか。
破れたシャツ(しかも1枚しかない)を見せ、絹枝さんに縫ってもらうよう頼む、陸上選手の織田幹雄さん。


今回のオリンピックの三段跳びで、日本初の金メダルをゲットした(先バレ☆)選手です。本当に優しいですね〜、絹枝さんは。さすが、大和撫子(やまとなでしこ)!
私なら、「えーい、自分で破ったんなら、自分で縫いやがれ!」プス(←針で額を刺した音)・・・ですわ♡


イテテ


(益荒男・・・“ますらお”か?)


さぁ、無事に日本選手団もアムステルダムに到着し、7月28日『第9回アムステルダムオリンピック』が開催されました。
もちろん日本としては初めての多人数参加になり、メダルへの期待度も高まります!
そしてこのアムステルダムオリンピックから、オリンピックには欠かせない、『聖火台』が設置されるようになりました。
ほ〜。東京2020の聖火台はどんな形で、どんな演出を魅せてくれるんでしょうね?非常に楽しみです♪

現在ならテレビのLIVE中継で観ることが出来るオリンピックですが、当時のニュースは現地の運動部の記者が記事を書き、それをモールス信号にして日本へ送っていました。


信号を文字に起こすのですから、時間がかかりますよね。

それから肝心の写真は日本に届くのが約2週間もかかってしまうので、すでに撮られいた、それらしい写真を組み合わせて使っていたようです。


アムステルダムと日本の時差は8時間あり、徹夜の作業は必至!

その後ようやく新聞になり、国民はやっとオリンピックの様子を知ることが出来たのですね。


ところが日本中がメダルを期待する中、極度のプレッシャーのためか、絹枝さん並びに男子選手らもメダルには及ばないという、残念な結果に。

その記事を見て肩を落とす四三さん、黒坂さん、増野さん。


黒坂さん︰「世界の壁ってぇのは、崩れねぇもんだなぁ〜。」

四三さん︰「三島さんが言いよったつばい、日本は100年かかっても短距離では勝てんと。ましてや女子なら・・・」

増野さん︰「毛唐(けとう)ってのは、そんなに強いんですか、金栗さん。」

(毛唐・・・久しぶりに耳にしました。現在では差別用語ですが、当時の日本では普通に使われていたんでセリフに入れたんですね)


日本中から期待されるもメダルを獲ることが叶わなかった絹枝さんは、悔しさの余り、控え室で泣きじゃくります。そして、選手団長である野口くんに「明日の800メートルに出てもよろしいでしょうか?」と申し出ます。
・・・そりゃあ、素人目の私でも分かりますよ、当然 猛反対ですよ!

絹枝さん︰「男は負けても帰れるでしょ?でも女は帰れません。負けたらやっぱり女はダメだ、男の真似して走っても役に立たないと笑われます!日本の、女子選手全員の希望が、夢が、私のせいで絶たれてしまう・・・お願いします、やらせてください、お願いします、お願いします、やらせてください、お願いします、お願いします・・・。」

しかし、熱意に負けた野口くんは、彼女の無茶な申し出を渋々受け入れますが死なせるわけにはいかないので、無事に走りきるための作戦を練ります。ってか、男性選手らと共にアドバイスを与えます。

その日の夜の、絹枝さんの胸の内の心情といえば・・・

私の体に
どうか明日一回走る力を
与えて下さいませ



そして翌日の8月2日、運命の日。
800メートル走なのにクラウチングスタートで、いきなりトップを走る絹枝さん。
前日のアドバイスでは、スタミナが切れないよう、最初から飛ばさないということでしたが?
すかさず野口くんや男性選手らが叫びます。


姉御、下がれ!そんなに飛ばしちゃあ、もたねぇよ、姉御!下がれ、下がれー!

しまった、そうだった!
絹枝さんは慌てて速度を落とし、6番目につきます。

2周目に入り、順位を上げようとしますが、なんせ初めて走った800。思うように足が動かなくなってきました。
その時、再び(頼もしい)彼らの叫び声が!


姉御、腕だ、腕を振れ!腕を振れば足が動く。腕を振れ!

アドバイス通り、素直にしっかり腕を振った絹枝さんは順位を上げて行きます。しかし、3位の選手の足に当たり、一瞬よろけますが追い抜き、ついに2位に!
意識は遠のくも、持てる力を全て出し切った絹枝さん。


そのまま1位のラトケ(ドイツ)さん共々、ゴール後に失神してしまいました。その影響で800メートル走は危険な競技として判断され、次のロサンゼルスオリンピックからメルボルンオリンピック(1956)まで24年もの間、オリンピック種目から除外されたそうです。
有名なエピソード、“ゴール後、他国の選手らは仰向けに倒れるも、絹枝さんだけは小さくうつ伏せた”と、五りん君が話してましたね。
『さすが大和撫子、倒れる姿も美しい』と、当時の新聞に書かれたのだとか。
私もうつ伏せになると思います。仰向けになったら、胸が無いのが余計に目立ちますもん!


イテテ


(ペチャパイ・・・走るには有利ですが?)


何はともあれ、この快挙はすぐさま新聞社に例のモールス信号で送られ、遅い時間にも関わらず、社内はお祭り騒ぎのように大盛り上がり!


ヒトミ   リキソウ   ギンメダル

この朗報の号外を見ながら、ハリマヤさんで嬉しさを分かち合う四三さんら面々。


増野さん︰「・・・お母さん(シマちゃん)の目に、狂いは無かったんだよ。女子スポーツの時代が、来たんだよ〜。」

そして水泳界にも、ついにオリンピック初メダルが!


鶴田義行(ツルさん)選手が200m平泳ぎで、なんと金メダルを獲得!
そして、前回のパリオリンピックに続いて出場した高石勝男(勝っちゃん)選手は、100m自由型で銅メダル!さらに800mリレーでは、銀メダルを獲得しました。(他のリレー選手・・・米山弘選手、佐田德平選手、新井信男選手)

しかし まーちゃんはこの結果に満足せず、アメリカには勝っていない!と、例のバー『ローズ』で、緒方部長に言い放ちます。
兄が亡くなったことや、実家は弟が継ぐことも話し、(『バー ローズ』ママの占いで)30歳で死ぬ!ことが分かっているので、若者たちのために頑張るぞ!という決意を固めたのでした。

オリンピックから3ヶ月後・・・

日本の選手団らが帰国し、まーちゃんとカクさん(松澤一鶴)は東京で待たず、ひと足先に神奈川県の国府津(こうづ)まで出迎えに。 

カクさん︰「出迎えなら、東京で十分なのに。わざわざ国府まで。なに?そんなに待ちきれないの?」

まーちゃん︰「違うよ。まぐれか実力か、彼らが肌で感じた手応えを知るためさ。東京で、大勢の人に祝福されたら、それこそ舞い上がってしまう。大騒ぎするんじゃないよ?カクさん。あくまで冷静に。大騒ぎは・・・」

キャ〜♡

という、女性の歓声を押しのけ、舌の根も乾かぬうちに まーちゃんも大騒ぎ!


まーちゃん︰「みんなぁー!よくやったー!」

早速、銅→銀→金(じつは規定に沿った銀製、織田さんのは銅製らしいです)の順番で、メダルを見せてもらうまーちゃん。


まーちゃん︰「これが金メダルかぁー!いや〜、全然違うな〜輝きが。な?勝っちゃん。」

勝っちゃん︰「・・・。」

・・・この、思ったことをズバズバ言うのがまーちゃんの良いところであり、悪いところでもあります。同じことを言われて何とも思わない人の方が多いかもしれませんが、イラッとくる人も確実にいる。この性格が良くも悪くも、まーちゃんの人生に影響していきます。

ツルさん︰「確かに、アメリカは強か。じゃっどん、こん次は、もっとやれます。」(鹿児島弁)


勝っちゃん︰「奴らとて、同じ人間。4年間みっちりやれば、必ず勝てます。」

その言葉を聞いて、まーちゃんは周りに“世界一を目指す!”と公言し、必勝のプランを立てて実行し、4年後のオリンピックでアメリカを叩きのめす!決意をしたのでした。

そして異様に盛り上がる中、絹枝さん登場。

まーちゃん︰「うおっ!人見さん!ご苦労、ご苦労、ご苦労。よくやったねぇ〜。アンタやっぱり、バケモンだね。」


ピシャリ!と、カクさんに左頬を叩かれるまーちゃん。それに笑って応える絹枝さん。


・ 後日 ・


・・・“バケモノ”、“ 六尺さん”と笑われた私も、世界へ出れば、なんら特別ではありませんでした。
私に走ることを勧めてくださった増野シマ先生が、手紙の中で、こうおっしゃいました。

「貴方に対する中傷は、世界へ出れば、賞賛に変わるでしょう。」

△ ラジオで絹枝さんの話を聞く聴衆の中に増野さんの姿が・・・

本当にその通りでした。だから、皆さん。勇気を出して走りましょう。
飛びましょう。
泳ぎましょう。


日本の女性が、世界へ飛び出す時代がやってきたのです。
皆さんは、幸福なことに、大和魂を持つ、日本の女性なのです。

増野さん︰「人見絹枝、バンザァーイ!」


勇気を出して・・・中には絹枝さんと同じように有力な女子の陸上選手(姉妹)がいたようですが、親の反対で出場が叶わなかったのだとか。
絹枝さんの岡山の実家にも、心無い手紙が届いたようです。
そしてオリンピックから3年後に、24歳の若さで亡くなられました。
女子スポーツ参加への輪が絹枝さんによって広がったのは大変素晴らしいことでしたが、1992年に開催されたバルセロナオリンピックまで、女子の陸上競技では64年もの間、銀メダルが獲れなかった!とは知りませんでした。
その銀メダルを獲得したのは、ご存知、絹枝さんと同じ岡山県出身のマラソンランナーの有森裕子さんですが、競技が行なわれたのは日本時間で8月2日・・・この8月2日という日付けは、じつは絹枝さんが亡くなられた日でもあるようです。不思議なご縁ですね。(後日、有森裕子さんは絹枝さんのお墓へ報告に参られています)

ハッ!
そういえば、今日は8月2日じゃないですか?偶然ではありますが、本当に不思議なご縁ですね。

・・・アナタが書くと、どうしてわざとらしく感じるんだろう?


アイタタタ


(いや、本当に本当に偶然・・・m(_ _)m自分で自分の記事に驚きました)