大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』第19話(箱根駅伝)を観たっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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いつだったか、今日(22日)の山口県の天気予報は曇りのち(時々)雨ということだったので、特に予定を入れず、大河ドラマ『いだてん』を観ることにしていたRieruです★


晴れたじゃん!

ついでに予定を入れたく無かったのに、昨夜娘Bからユニクロに連れて行って欲しいと・・・嫌なんですよね〜、ユニクロに行くの。あれもこれも♪って時間をかけた結果、何枚かの諭吉さんをレジのトレイに乗せる羽目に・・・え?5分ぐらいでもう(小遣いで)お目当ての服を買った?

・・・せっかくユニクロに来たのに、私は何も買えずじまいでした!


イテテ


(気になる服がありすぎて即決できませんでした)

まぁ、諭吉さんを手放さずに済んだからヨシとしましょうか!とボジティブ思考の女は、午後から予定通り『いだてん』を観ました。

日本全国を走り尽くした金栗四三さん。
下宿先のハリマヤさんの2階で、美川さんと野口くんに、もう日本に走る道は無い・・・という話の流れで、次なる目標は“アメリカ横断”に決定しました☆
しかし総距離は約4,000km(西海岸のサンフランシスコ〜東海岸ニューヨーク間)、1日約40km走っても100日かかるので一人じゃムリ!ということで駅伝方式に決定☆
トントン拍子で話が進む中、明治大学生の沢田英一君が黒坂さんに連れられて話に加わります。
(史実では野口くんとこの沢田君の3人で列車に乗った時にアメリカ大陸横断駅伝を計画したらしいです)
この沢田君、東京〜札幌間を22日間で走った強者らしく、では予選会を開けばどうでしょうか?という提案を。じゃあ、コースは?

野口くん︰「ロッキー山脈を越える予選を、平地でやっても仕方ないしな。」

四三さん︰「そうだ、富士・・・」 

黒坂さん︰「箱根か!」


(『富士登山駅伝』は大正6(1917)年に、『下関東京間駅伝』は大正8(1919)年、『樺太東京間駅伝』は大正11(1922)年に開催されています)
史実では様々な候補があったそうですが、当時の箱根町郵便局長 石内丸吉郎が、神奈川県会議員の河野治平に相談したそうです。

現在ではお正月の風物詩のひとつである箱根駅伝・・・始まりは、どんなんだったんでしょうかね〜?
今回は分かりやすい噺を展開してくれるそうで。『駅伝落語』といい、ひとつの噺を3つに区切って噺ていくのだそうです。


しかし、五りんくんの覚えがイマイチ芳しく無く・・・
そこで、おせち料理の中に(好物の?)黒豆が入っておらず、少々イラッとしていた師匠の古今亭志ん生が

「自分でネタ、作ってみろ。」

と言ったところ・・・ジャーン!なんと創作落語 箱根駅伝と表紙に書かれたノートを取り出した五りんくん!


このネタ帳に従って、師匠や兄弟子の今松さんと駅伝落語を披露する運びになりました。

時代は大正に戻り、四三さんと野口くんは体協(体育協会)で箱根駅伝の話を嘉納治五郎先生や可児さん、岸さんに。


こりゃちょうど良かったと、治五郎先生これ見よがしに、クーベルタン男爵から届いた親書を見せます。

ここで大正9(1920)年夏に8年ぶりにオリンピックが開催されることを知り、喜ぶ四三さんと野口くん。


開催地はベルギーのアントワープで、ベルギーのIOC委員のラテゥールが自国での開催を直訴したそうです。

ラテゥール︰「我がアントワープこそオリンピック競技を開催するにどの地域よりも相応しい!戦争の被害を受けた現在のアントワープを、世界の人々の記憶に残して欲しいのです!」

・・・

四三さん︰「あー、長かった、ストックホルムから8年ですか。待っとって良かった。諦めんで良かった。嘉納先生、今度こそやります、必ずやってみせます!」

治五郎先生︰「駅伝とオリンピックか〜、こりゃあ、正月返上で頑張らんといかんな!」

四三さん︰「はいっ!」

ん?正月返上・・・その言葉が四三さんの頭を一気に冷ましました。「正月は必ず帰る」とスヤさんに言ったような?でも箱根駅伝の運営を任されちゃったし☆帰郷しようか否か。冷水浴をしながら葛藤する四三さんの出した選択は・・・



熊本へGO!


今回の帰郷で、初めて自分の子 正明くんと会います。
スヤさんに「駅伝準備の為に帰郷叶わず」と手紙に書いたものの、結局オリンピックにかかる費用を池部家に出してもらわないと困ると考えた四三さんは帰郷を選んだのでした。
じつは今回のオリンピックは自腹で行かなくてもよいのですが、前回のことを見越しての行動でした。
良かったですね、四三さん。今回は自腹ではないようで☆
反対に良くないことが・・・四三さんが帰省中、体協の緊急会議が招集され、アントワープオリンピックではマラソン競技が無いことが話題になります。
日本がメダルを狙える、数少ない競技マラソン・・・しかしアントワープの街は戦争のせいで破壊され、その道をランナーらが走るのは困難。
そのランナーらを応援する人達も、あの瓦礫の傍の沿道に押しかけるのは危険。
体協の副会長である武田千代三郎さんは

「この惨状を見て、それでも日本人が勝てる見込みがあるから、マラソン競技を加えろなどとは・・・厚かましくてとても言えん。」

と言い、とりあえずこの話は保留に。

そんな中、熊本にいる四三さんはアントワープオリンピック後は引退し、玉名に戻ってくるという決意を寝所でスヤさんに明かします。
そして良い雰囲気になったところでお約束、正明くんが泣きだしました。
諸説ありますが、この頃の月齢のお子さんは“次の子作りをすぐにさせないため”本能で夜泣きするらしいです。←え?

時代は変わり、昭和。例の『箱根駅伝落語』が始まります。第1走者『箱根駅伝前夜』は志ん生!
まずは足の速そうな学生を探さないといけない、ということで募集したら『東京高等師範学校(現 筑波大学)』、『明治大学』、『早稲田大学』、『慶応義塾大学』の4校が名乗りを上げました。
(史実では1番に応えたのは早稲田で、大会の準備作業にも率先して協力・・・メンバーの中には例の河野治平の息子で、後に大物政治家になる河野一郎もいたそうです)


なんてったって記録次第ではオリンピック選手に選ばれるんですから♪って、え?アメリカ横断駅伝構想はドコ行った?

とにかく初めての箱根駅伝!
大正9(1920)年2月14日(土)午後1時スタート☆


スターターは四三さん!

この日は土曜日で午前中は授業が普通にあり・・・はい、昔は半ドンと言って土曜日でも学校に行っていました。私も高校時代にやっと週休2日制に。それまでは“日曜日だけ休み”は当たり前の時代でしたね。
この午後からスタートを『文武両道の理念の体現』と伝えられていますが、まさかの事実があったようです。
“実際は午前中に始めるつもりでスタート地点(日比谷公園)に集まったが、予定していた場所がデモの影響で使えず移動を余儀なくされているうちに午後に・・・話が美化されて・・・”

なるほど。デモ・・・習いましたね、大正デモクラシー。
ということで、有楽町にある報知新聞社(現 読売新聞)前のスタートになったんですね。


襷(たすき)の色は、画像だと左側から 海老茶『早大 』、黄色『東京高師』、紫(紫紺)『慶応』、青『明大』、足元にはハリマヤさんのマラソン足袋が☆

噺は第2走者 五りん『START地点・有楽町』→第3走者 今松『有楽町→鶴見』。
そんな中、志ん生の長男 清(金原亭馬生)さんが新年の挨拶に来ます。


ここで清(きよし)さん、例のノートをパラパラパラ・・・

志ん生︰「ちょうどいいや、こいつに次やってもらおう。」

見事 第4走者『鶴見→戸崎』、『平塚→小田原』を・・・魅せてくれます!
ってか、名前が清・・・清(せい)さん?
清さんは志ん生の若い頃のマブダチの名前です。なぜわざわざマブダチの名前を?・・・先のストーリーが気になりますね。

レースの方は明大がトップ、そして高師が追う形で展開していきます。
治五郎先生らが応援する高師。しかしマラソン競技が次回のオリンピックに無いということをまだ四三さんらに話していないという引け目があり、直接応援に行けない治五郎先生。
明大とタイムが開いていく中、もどかしい様子です。

例の箱根駅伝落語ですが、次男の美濃部強次、古今亭朝太(朝太!)も新年の挨拶に寄ったついでに、第5走者『小田原→箱根』、第6走者『箱根芦ノ湖』を受け持つことに。


話としては5区を走る明大の沢田君が事前に箱根山に仲間と赴き、見張りがいないことを知っていた為、近道に目印を・・・卑怯なり!
が、暗すぎて目印なんて見えやしない。 


イテテ


危なっ!と思いましたが、史実では箱根町の青年団のメンバーたちが松明を灯して要所に立ち、小田原中学校陸上部員らが提灯を持って伴走してくれたそうです。
選手が通過後、猟銃の空砲で合図までしたとか。

往路の結果は1位 明治大学、2位 東京高師、3位 早稲田大学、4位 慶応大学で終了後一泊。
次の朝はなんと雪が6cmも積もり、気温はマイナス4℃・・・現在のようなシューズも無いし、危険なので中心かな?と思っていたら、四三さんは彫刻刀を取り出し、マラソン足袋のゴム底を彫り出しました。


なるほど、溝を付けて滑り止めにしたんですね。選手らもそれに倣い、危険な雪道対策はバッチリ☆
昨夜の箱根町青年団、小田原中学校陸上部、湯治客等々多くの人が雪かきを朝早くから準備をしてくれていたのを目の当たりにした四三さんは、なんとしても復路の開催を実行したかったようです。
復路もドラマあり!なのですが、割愛m(_ _)m

そんなこんなあって、最終10区は相変わらず1位 明治大学、2位 東京高師・・・スタート地点から車の不具合で選手らと一緒に走る四三さん。


そんな熱い四三さんに触発され、いてもいられなくなった治五郎先生はゴールに応援へ。
そしてなんとあのディスってた岸さんも一緒に向かうと言い出します。


噺は再び金原亭馬生が第7走者『平塚→戸塚』、第8走者は今松『鶴見→有楽町』へ。
強次さんが帰り際、五りんくんに何で箱根駅伝なの?と聞かれ、かつて父親が箱根駅伝を走ったことがあるからだと答えます。
しかし戦争で亡くなったのだとか。
ああ、五りんくんはしっかりストーリーの中に・・・しかも複雑に絡んでいたのですね。

レースに戻って・・・デッドヒートが繰り広げられる中、トップを走る西岡君は脚を傷めており、思うような走りが出来ない状態でした。
ついに新橋辺りで並び・・・ここで、強引に五りんくんが第9走者としてバトンタッチ。
最終コーナーでついに西岡君が倒れてしまい、高師の茂木君が追い越しトップ→そのままゴーーール!!記録は15時間5分16秒!
歓声に湧く高師らの面々!・・・の中、ひとり岸さんが西岡君に駆け寄り、激励します!


岸さん︰「頑張れー、頑張れー、頑張れー!頑張れ頑張れ、さぁ、もう少しだ!頑張れ頑張れ頑張れー!頑張れ、もう少しだ、頑張れ頑張れ!」

そして周りの皆も一緒に応援し、感動的なゴール!
それを見届けた岸さんは、治五郎先生に


「嘉納さ〜ん、マラソンやりませんかね〜?」

治五郎先生︰「何?」

「やれるかな・・・やるべきでしょう!こんな感動的なレースなら、絶対やるべきです。日本が勝つとか負けるとか、そういう問題じゃない。アントワープでやるべきだ!これを。直訴しましょう、嘉納さん!」

と言い、四三さんには

「私が必ず君を、アントワープオリンピックに行かせてやるからな!・・・マラソンが無いオリンピックなんて・・・マラソンの無いオリンピックなんて〜!」

とまで言い放ちます。

その様子を受けて?

“親愛なるクーベルタン男爵殿 
来たる第7回アントワープオリムピックにおいて、マラソンレースが正式種目から除外されたる件、甚だ残念でならない。
我が国においてマラソンは、今や国民的スポーツである。世界に通用するランナーの育成に全力を注いでおり、いだてんを筆頭にメダルを狙える選手が育っている。

マラソンの起源は、古代ギリシャのマラトンの戦い・・・マラソンの歴史は、すなわち・・・オリムピックの歴史である。
ご一考されたし。”

マラソンの無いオリンピックなんて・・・

五りんくん︰「マラソンの無いオリンピックなんて・・・

今松︰「あっ、アイツ“さげ”考えてねぇや。」

そこで第10走者『GOAL地点・有楽町』の志ん生が箸を片手に登場☆


志ん生︰「マラソンの無いオリンピックなんて・・・黒豆の無いおせちみたいなもんです。

五りん︰「うまいね!」

噺の“上手い”と黒豆の“美味い”を掛けたんですね!
私的には『いだてん』の無い大河ドラマなんて〜!でしょうか?

第22話を録画し忘れたヒトが、なに言ってんだか?


アイタタタ


(某ブロガーさんにお願いしてリブログさせていただくことになりました・・・m(_ _)m)