しかし、今回の大河ドラマ『いだてん』は、中学時代の時に運動部だった娘Bの関心が高く、後日テレビのあるリビングに居合わせたら一緒に観るようになりました。
いだてんのドラマガイド前編を読んだ、私のうんちく付き☆
イテテ
(ウザー(;´Д`))
そんなウザさ満載の私と観ていたら、きっと我慢強い子に育ちますね(←いや、キレる子に育つんじゃないか?)と思いながら、第6回『お江戸日本橋』を観ました。
前回、播磨屋の黒坂さんににキレられた四三さん。
意を決して謝りに来ましたが、なかなかお店に入れず…
それを清さんが連れ込み、謝罪成功☆
キレていた黒坂さんですが、四三さんの為に新しい足袋を作っていてくれたのでした。
優しい!
新しい足袋は底の布が3枚重ねて縫い付けられていて頑丈な作り…めっちゃ喜んだ四三さんは、黒坂さんにお礼を言い、早速新しい足袋を履いて走り去って行くのでした。
一方その頃 嘉納治五郎先生は…夕方5時から大日本体育協会に変わる高等師範校長室にて会議中☆
治五郎先生、フランス大使館のジェラールからの手紙を朗読。
“おめでとう。ストックホルムでお待ちしております。”
「それだけ?」
気を取り直して…文部省に金の無心をするも、
“国立大学の学生は国費で学んでおるのです。それを一月(ひとつき)も海外で遊ばせることなど、官学の学生にあるまじきこと。監督官庁として許し難い!”
と断られてします。
とにかくお金が足りない!
今ならあり得ない!ことも、始まりはこんなものだったんですね。
とりあえず選手一人だけならストックホルムへ連れて行けるので、四三さんだけは無償で行けるような雰囲気に。
もうひとりは自費ということで(-_-;)。
校長室に呼ばれた四三さんは、ここで初めて羽田の大会がオリンピック予選だったと知ります。
世界記録を出した四三さんが、オリンピック代表に選ばれたことを伝えた治五郎先生。
「いやです、行きとうなかです!」
なにー!
怒りまくる治五郎先生!
四三さん、黒坂さんとのことといい、怒られ続き…ってか世界記録出したのに四三さん、ナゼに行きたくない?って感じですよね。
しかし四三さんにしてみれば、オリンピックって何?って感じで、キョトーン。
結局弥彦さんも不参加を主張し、治五郎さんガッカリ…
治五郎さんは2位、3位の選手は出さないと言い放ちます。
そんな中、清国で辛亥革命(明治44(1911)年・映画ラストエンペラー参照…名前でわかるように亥年に勃発)が起こり、その影響で清国から留学していた生徒たちの援助が途絶えてしまいました。
校長室に押し掛け、動揺&混乱する留学生たちを治五郎先生がなだめます。
彼らにとっては国の一大事。しかもお金が途絶えたとなると、もう…
「…戻ってはいかん!必ず君たちの身に危険が及ぶ!君たちは祖国の未来のために、私の元に留学してきた。それを忘れてはいかん!…学費については心配するな!(可児さん…「出た」)外務省に一時立て替えを交渉しよう。それでもダメなら校長の私が全額負担しようではないか!」(可児さん後ろに反り返り柱に後頭部をぶつける)
※ 前回、羽田にて
「君たちはよくやっている!羽田予選の会場設営の折り、泥まみれになって皆よく働いてくれた!金は、私が出す!諸君は何も心配するな。いいな?」
ううう…涙腺崩壊( 。゚Д゚。)!
しかし、この時の借金は数億円にも(←他にも借金があるのに!)…治五郎先生はこれを生涯返せなかったそうです。
可児さん:「…〜!」
100名を越える留学生が日本に留まる決意をしたのでした。
(史実では明治39(1906)年をピークに高師の留学生は減少し、3年後には閉鎖されていますm(_ _)m)
そんなこんなで治五郎先生は、いっぱい、いっぱい…そんな時に四三さんがひょっこり、羽田予選で優勝した際の優勝カップを返しに来ました。
治五郎先生は前回とは違う様子で、冷静に優しい口調で四三さんにオリンピックについて話をするのでした。
まるで『北風と太陽』の太陽のように。
説得の中で、日米修好通商条約使節団の写真を四三さんに見せます。
(1860年…勝海舟サンや福沢さん、ジョン万次郎や小栗サン等の面々が参加)
「…かの勝海舟先生が、日米修好通商条約を結ぶに際しアメリカに渡った時、日本人の使者はチョンマゲに羽織袴、腰には刀を差してた。そりゃあ、山猿と笑われただろう。たかだか50年前の話だよ?…何事も、最初は辛い。自信もなかろう。しかし誰かがその任務を逐わねば…革新の時が来ない。スポーツも然り。ここで誰かが捨て石となり、礎とならなければ、次の機会は、4年後にしかやって来ないんだ。金栗君!日本のスポーツ界のために、黎明の鐘となってくれたまえ!…君しかおらんのだよ。」
治五郎先生の説得に涙する四三さんは、日本代表としてオリンピックに参加することを決めます。
羽田予選のゴール後、再び抱きしめられた四三さんは、一瞬幸せそうな顔をします。
が!
なんやかんやで、渡航費と滞在費を四三さんが出すハメに。
ヒ、ヒドイ!
そんな大金(当時のお金で約1800円)、学生の身である四三さんが払えるわけがなく、一年ぶりに兄 実次さんにこれまでの経緯を包み隠さず書き、そしてダメもとですがお金の無心をするのでした。
どうなる四三さん?
どうする実次さん!
その頃、美濃部孝蔵さん(のちの古今亭志ん生)は、師匠である橘屋円喬さんを人力車に乗せて、浅草から日本橋を走っておりました。
…落語の中の人物の気持ちは、実際に日本橋から浅草まで歩かないとわからない、という師匠の意を後年になって気付いたのでした。
タイトルの『お江戸日本橋』…という民謡がありますが、小説もあるようです。
うーむ…よくわからない…困った時の虎の巻(大河ドラマガイド)!
パラパラパラ…
『きっと役立つ!? 幻の“肋木”使用法』なんてイラスト付きのページがあるのに、サブタイトルのことは全く書かれていない!
アイタタタ
(そしてそのページのおかげで、スウェーデンを漢字で『瑞典』と表記していたことがわかりました…)