こたつに足を入れたら、飼い猫ニッキの背中にぶつかってしまい、こたつ布団をはぐって彼に謝ったRieruです★
その背中は丸々と太って貫禄があり、思わず撫で回してしまいました。
健康的には太っていたら良くないのですが、触り心地が何とも…ハッ!飼い主に似るってか?
イテテ
(それで娘Aに腰周りを触られたのか…)
山中御殿から本丸に向かう道は舗装&手すりのある道があるのですが、登る時は軍用道を通ることに。
山中御殿を端まで見て回ると、この軍用道から登った方が若干近い気がします。
登った先には祠のような?ものが。
手前の看板を見てみると、来待(きまち…松江市)石製の宝篋(ほうきょう)印塔と石廟だということが分かりました。
『親子(しんし)観音』と呼ばれているようです。
看板を引用しますと…石廟の壁面全体には陽刻により四十九本の塔婆が表現され、それぞれに『空風火水地』の文字と四十九院名などが彫られています。
宝篋印塔には、基礎部側面に「慶長十三年」、「十ニ月五日」と彫られており、伝承では、堀尾家お家騒動の首謀者とされ、処罰されたとされる、堀尾河内守(かわちのかみ)とその子 掃部(かもん…一説には勘解由)両名の墓であるとされてきました。
しかし近年の調査により、宝篋印塔の基礎部正面に『桂岩院殿祥雲世瑞大居士神義』(太字は風化により確定できません)と戒名が記されていることが確認されました。
この戒名は、堀尾家の菩提寺である妙心寺春光院(京都府京都市)所蔵の過去帳に記載されており、没年月日もこの宝篋印塔のものと一致していますが、俗名の記載がないそうです。
さらに堀尾吉晴から忠春まで仕えた家臣である、堀尾但馬が記したとされる『堀尾古記』には、慶長十三(1608)年の条に「一 堀尾勘解由果ル、極月(十ニ月)五日京ニテ」との記述が見られることから、この戒名は堀尾勘解由のものと考えられます。
よってこの墓石も勘解由のものである可能性が高いと考えられます。
なるほど。
ん?
まだこんな看板が掛けられていますが。
イテテ
看板には、こんな写真がありました。
例の妙心寺春光院所蔵の位牌…へぇ〜。
本丸に上がると、鳥居がありました。
ほほう。これはもしや、この先に…
ビンゴ★
神社です!
かなり古いようで、ボロッボロ…
さ、猿?
みかんか柿を手にして、ニンマリしているように見えます。
この表情を見ていると、こちらの口元も緩みますよ〜(´▽`*)
ってか、こちらは何というお名前の神社なんでしょうか?
看板発見☆
『勝日高守(かつひたかもり)神社』というお名前なんですね。
調べてみたら古事記に記載があり、当地に大国主命(おおくにのぬしのみこと)が思案していると、海中に光が現れて国土経営を助けたと伝えられています。
ほほう。
おじゃましま〜す。
人が入るには入れそうな気がしますが…あ、ウチ?飼い猫ニッキにピッタリな寝床サイズじゃないですか!←猫、猫うるさいよ、アナタ…
アイタタタ
(今だに謎な穴…)