島根県には“安来”という市があるのですが、“あき”と読んでいたRieruです★
「“やすぎ”って読むんよ。」
と友人にツッコまれた時はめちゃくちゃ恥ずかしかったですが、これ、どうやって読むか知ってる〜?と、子どもたちに質問している痛い母…
イテテ
(いや、子どもたちが恥かいたらカワイソウだと思いまして(-_-;))
そんな安来市は、アメリカの日本庭園専門誌の庭園ランキングで15年連続日本一に選ばれた足立美術館があることで有名ですが、昔 出雲国を治めていた尼子氏が拠点を置いたという、大規模な山城もあるんですよ!
尼子氏が月山に基礎を築いた富田城ですが、道の駅のスタンプを見ると、戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将の山中鹿介さんがデザインされていました。
尼子氏より、ビジュアル的に目立ちますもんね。
イテテ
(オイオイ…)
兜には鹿の角が採用されているし、鹿がお好きだったのでしょうか?
そして三日月…月山の地が由来なんですかね?
願わくは 我に七難八苦を あたえたまえ
という有名なセリフがありますが、山の端にかかった三日月に祈った時に口にしたそうです。
なぜにこんなセリフを言ったのか…すみません、長くなるので検索してくださいm(_ _)m
いや、検索しなくてもご存知ですよね?
イテテ
(自分、今回の旅行に行くまで知りませんでした!)
そんな月山富田城は、道の駅からほど近い場所にあります。
道の駅横には安来市立歴史資料館があるので、いろいろと学ばれてから登山されるのも良いですね。
時間が厳しかったので割愛しましたけど←誠にすみません!
前もって上がる予定でしたので、3人共ラフな格好でしたが、雲っていたので帽子も被らず挑みます。
近くまで行ける駐車場に車を置き、いざ、登山!といってもたいした距離ではありません。
山中御殿(さんちゅうごてん)と呼ばれる平地にあった居館の跡に到着☆
雑用井戸などがあり、大いに興味をそそられました。
お次は本丸跡まで登ります!
画像では、ふーん…って感じにみえますが、自分的には急坂!
綺麗に舗装されているし、手すりまで付けられているので、普通の山道よりも登りやすいのでしょうが、遮るものがない分、怖い!
とりあえずの場所まで登りましたが、まだまだ歩きます。
先に二ノ丸へ行き、本丸を通り、再びこの場所に戻ってくる予定を立てました。
また階段…
一人息が切れる中、置いて行かれる私…
ハッ!
もしや、この石垣は!
文字は当時の陸軍少佐 熊谷宣篤が、撰文は漢学者 山口美道によるもので、お二人は島根県出身なのだとか。
石碑の名前の中に『幸盛』っていう名前があるのですが、こちらが山中さんのちゃんとしたお名前なんですよね?
ってかアナタ、“コ〜モリ”って読んだでしょ?
ハイ…(-_-;)
アイタタタ
(“ゆきもり”さんね…)