今朝は小雨が降っていたので、公言通り雨カッパを着てラン&ウォークしたRieruです★
ウォークマンを聴きながら・・・ですが、『U・S・A/DA PUMP』のサビの部分で、自然に右手の親指立てて振りそうになりました。
イテテ
(消費カロリーがUPしそうです)
そんな朝から職質を受けそうな女は、『 古地図を片手にまちを歩こう 』三隅(生命に危険を及ぼしかねない暑さの為、特別に短縮)コースを歩いた後、『 村田清風記念館 』内の展示を見学しました。(参加費500円の中に入館料200円が含まれております)
参加者の方の中には開館時間の9時頃に到着して、10時から(9:50集合)のウォーキングの前に見学を済ませた方もいらしたようです。
なるほど、その手があったか〜・・・
村田清風サンってじつはあまり詳しくは知らないんですよ。
『 あの吉田松陰が師と仰いだ 』と書いてあるから、きっとスゴい人物なのでしょうね。
私が初めて関心を持ったのは防府市にある『 毛利博物館 』の展示でした。
長州藩の悲惨な藩財政の様子と、それをどのように立て直したかという展示物の中に『 村田清風 』の名があり、それで “ なんとなく ” 覚えていたのでした。
そして今年、同じく『 古地図を片手にまちを歩こう 』通コースで訪ねた『 早川家住宅 』の室内で、清風サンの屏風を目の当たりにした時、ビビっときました!
屏風に仕立て直しただけで、元々は掛け軸だった可能性もありますね。
早川さんにお聞きしとけば良かった!
イテテ
(記念館では毎年夏休みに『 村田清風競書大会 』という催しがあるそうですよ)
漢文と読み下し文は難しいので、現代語訳を書いておきますm(_ _)m
ご興味がある方はどうぞ☆
(多分右側から・・・)
・錦の上衣に朱色の帯、雪のように白い、麻布の衣服。
それらを身に付けたわが心は、都の東に歓楽を追い求めたものだ。
その道々には、ただ春風とそれに吹かれる藤や柳の木があるばかり。
しかしその柳には、やがては吹かれて散る秋風があることを知らなかった。
・私は翡翠の羽で飾った袖や、巻いた薄絹の織物のような豪華なものは持ち合わせていない。
しかし、ふしぎなことに、文筆によって天然のたくみなわざを超えることができるのだ。
私の想像は、楊貴妃の春の眠りに及ぶ。
死者の魂とも昼寝の中で出会うことができる。
・はなやかな春の景色が終わりを告げるのは、はなはだ急である。
眼の奥にちらついていたあのおわべの美しさは、もはや一掃された。
多くの河や林には紅葉が見える。
夜の五更の時に薫風がそよいでいる。
・寝床に入ってまだ目をつむらないうちに、まず草むらのこおろぎが泣きだし出す。
石橋は暗く、蓮の花の風が吹き渡る。
ねぐらへ帰る鴉(からす)は、長く帯状の群れをなさず、そのまま残るものも数多くのうち明け方を迎えて、林の梢にかすかに紅色の光がさしはじめる。
・貴人の乗る玉で飾った車や金で飾った輿がさってゆくと、もう二度と帰ってくることはない。
あとは空しく、せんじんの碧の山が残っているだけだ。
たとえ英雄といえども、どうしても海の潮水におよぼうか、いやおよびはしない。
潮水は毎日前山に南から押し寄せてきてやまないのだから。
・よそおい飾った春の光は、目の当たりを潤してくれる。
凍りついた大地は溶け、残雪はぬくもって、もやが立ち上がる。
杏や桃も新しい顔色がきざし、変わってくる。
想えばあたりを薫る梅の花も、一年歳をとったのだ。
・・・ってか、これは村田清風記念館にあってもおかしくないようなお宝じゃありませんか?
「なんと!」
セキュリティは大丈夫そうでしたよ〜・・・って!
アナタは某ドラマで “ 周布政之助 ” 役をされた故 津川雅彦サンじゃないですか!
周布政之助サンは写真や人物画が残っていて、どんな面立ちだったかということが分かるのですが、鼻筋の通った優しい眼差しは、なかなかのイケメン?だと思います。
むっちゃ酒好き♡というところも、外せません。
イテテ
館内にあったイラストにも、左手には酒壺が☆
ノミっぽく飛び跳ねているのは、伊藤博文サンでしょうか?
あっ、そろそろ光市束荷(つかり)にある『 伊藤公資料館 』のイチョウの木が真っ黄色になっている頃?でしょうか。
10月中には訪ねなきゃ!←今回の記事にその情報必要?
イテテ
((σ゚∀゚)σ『 伊藤ドラマ 第四編 〜伊藤の決意!〜 』11月25日(日)まで☆)
再び記念館の話に戻りますm(_ _)m
館の前に清風サンと周布サンの顔出しパネルがあるのですが、実際は遠い親戚同士になるんですね。
あっ!周布サンがただの “ 酔っ払っい政治家 ” ではなく、長州ファイブをイギリスに留学させたりと、長州藩の政治家としていろいろ頑張っておられましたm(_ _)m
しかし、なんと言っても清風サン!
長州藩の年収が米俵一俵に例えると、藩の借金は俵山・・・
藩政改革に取り組み、それらを実施した結果、財政再建を果たしたものの、やりすぎたのか幕府に目を付けられて引退・・・するも、周布サンのラブコールで再び藩政に携わるも残念なことに。
72歳で亡くなるまで長州藩のことを憂いていたんですね・・・私はその歳まで生きていられるか分かりませんが、健康でいたいものです。
清風サンは晩年、中風(ちゅうぶ・・・ちゅうぶうとも)に苦しまれたようですね。
しかし、展示に興味深いことが書かれていました。
『毎日、往復四十キロの道のりを歩いた』・・・ハァ?
・・・歩きすぎ!
イテテ
14歳で萩にある明倫館に入学したのはいいですが、“ 最初の1年間 ” は役所勤めのお父さまと一緒に、三隅の自宅から徒歩で通われたそうです。
道中、お父さまといろんな話をしたのでしょうね。
金子みすゞサンも女学校の頃、相当な距離を徒歩で通われたのを思い出しました。
娘を持つ身としてはその道中で事故や事件に巻き込まれやしないか心配ですが、そんなこと言っていたらどこへも行け(通え)ませんよね(´`;)
清風サンや周布サン、そして長門のことを深く知りたい方はぜひ、村田清風記念館へ☆
今年の1月にリニューアルオープンしただけあって綺麗だし、何より漫画を使っての展示の仕方がイイ!
興味が無い人にも分かりやすく、まとまりのある展示は、小学生でも食いつくこと間違いな・・・ありゃ?(またまたまたまた)付き合ってもらって来た国分さんは全く興味が無い様子。
イテテ
嬉しいことに2階もあるのですが、ひとりで上がりました。
・・・御意(`-д-;)ゞ!
アイタタタ
(たくさん監視カメラが付いていますよ☆)