柳井市『むろやの園』に山頭火さんを訪ねて・・・ | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




『古地図を片手にまちを歩こう』企画の柳井コース終了後、久しぶりに『むろやの園』へ寄ってみたRieruです★


山口県指定有形民俗文化財のこの商屋だった小田さん家。
小田さん、小田さん・・・織田信長サンと縁があるそうで!
小田さんのご先祖サマは家老の織田大炊頭清範サン☆(織田→小田へ)
元禄元(1688)年に小田善四朗サンが柳井津で商売を始めたそうな。
商才があったのか、大当たり☆
下の画像の赤マル辺りが全て所有していた土地というのだから驚きです。
なんとその面積、約800坪!


ちなみに画像の青い横線より向こう側に、商船が着いていました。
そこは時代により、『海』だったり『干潟』だったり『川』だったり。
その時の様子を描いた絵・・・ではないとは思いますが、屋敷の中には素敵な天袋戸絵がありました。


時期や客人によって替えられていたそうです。
なんて風流な!
それと同様に、床の間の掛軸も替えていたのですかね?


この時は酉年だったからか、鶏画でした。
たいてい鶏の絵は雄鶏が主役ですよね汗

廊下に出てみると、昔使われていた春慶塗りの鳥かごが置かれていました。


他にも何個かあるそうです。
輸入された、外国の鳥も飼っていたようで、どんな鳥だったのか気になります。

「鳥さん、可哀想!」

なんて考える人はいたかもしれませんが、それを言える人はいなかったんでしょうね・・・
鳥好きな方が見たら『残酷BOX』と名前を付けそうです。←うーん・・・

また屋敷内に戻ると、今年が酉年だから?というわけではないでしょうが、木製の襖?の絵が白孔雀でした。


厳密に言うと“ 白孔雀に似た孔雀 ”です。


イテテ


孔・・・という漢字を見て思い出しましたが、天袋戸絵を描いた絵師の名前は、江戸時代後期に活躍された『長山寅』さんらしいです。
いろんな絵を描かれたようですが調べてみると『群鶴図屏風』や『孔雀図』、『木蓮に孔雀図』に『花鳥図』など、鳥をモチーフにした作品も少なくないようです。
“ 木蓮に孔雀 長山孔寅 ”で検索したら観ることが出来ました。
こういう屋敷で偶然作品に出会い、そこから興味を持って幅を広げて行く・・・というのも面白いトコですね。
このような素敵な天袋や襖戸には、必ずと言っていいほど凝った取手が付いています。


それだけ余裕があった、という証拠ですね。


膝をついて、溜息を漏らします・・・

他にもまだまだ凝った取手があり、それらをひとつひとつ確認していくと、いつの間にか滞在予定時刻を過ぎていました。
こういう時ひとりだと気持ちが楽です。

「まだ〜?」

と言われなくても気を遣い過ぎ?なのか、なんかジワジワと急がされてる感が伝わりますもん!


イテテ


(ハイハイ、何処へでもひとりで行きなさい・・・)


むろやの園は広くて蔵や庭があり、じっくり見て回るにはかなりの時間がかかります。
陽も傾きかけた頃、庭に瓦を埋めた“ 瓦アート”発見☆


取手ばかり見てると、取手に見えて・・・くるわけないですね汗

庭の一番奥・・・つまり昔 船が着いていた場所の近くには、有名な山頭火さんの歌碑がありました。


よう見えませんけど?


イテテ


以前訪ねた時もよくわからん歌碑があるな〜と思いました。
その歌碑は『山頭火のもの』というのは知っていましたが、結局スルーしたような?しなかったような?覚えてないくらい興味がありませんでした。
今回は防府市にある『山頭火ふるさと館』へも行ったばかりだ(った)し、ちゃんとチェックしましょ。

しかし・・・アップにしても、ようわかりません汗


また旅人になる あたらしいタオルいちまい

昭和14(1939)年9月27日に『藤田文友堂』を訪ね、1泊したそうです。
(文友堂さんはむろやの園の裏通りにあった書店)
次の朝、お弁当とおニューのタオルを渡してくれたそうで、その時に詠んだ句です。
どんなお弁当だったのか、またタオルは無地だったのか、何色だったのか想像するのも楽しいですね♪

楽しいといえば、歌碑の近くにこんな雑草?が。



もしかしてラムズイヤー(通称 子羊の耳)?
なぜこんなバリバリ和風な商家博物館に?
もし山頭火さんが見つけたら


ふかふかの葉もいだ ラムズイヤーいちまい


・・・・・・


アイタタタ


(センスナッシング!)