『柳井市町並み資料館』へ初めて行ったッちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




『古地図を片手にまちを歩こう』企画の『阿月・遠崎コース(コース③)』で白壁のまちを歩いた後、むろやの園近くの『町並み資料館』へ寄ったRieru(たち)です★

ふむふむ、なかなか立派な洋館・・・明治40(1907)年4月に建てられた周防銀行本店だそうですが、いつもスルーしてました。


ほ、本店?ってスゴくないですか?

周防銀行とは、明治32(1899)年に柳井津町の有力者33名が資本金30万円(もちろん当時の)を出し合って創立・・・その後日韓産業銀行を吸収合併(資本金125万円)、第百十銀行(60万円・・・国立銀行・・・現 山口銀行)を抜いて県下最大の銀行になったこともあるそうです。
しかし大正3(1914)年に買い付けに遭い・・・昭和2(1927)年に解散・・・皮肉なことに第百十銀行柳井支店→山口銀行柳井支店・・・その後銀行から柳井市が借り受けて図書館になったり町並み資料館兼観光案内所になったり。
最終的には柳井市に寄贈され、さらには国の登録有形文化財になりました。
そして特筆すべきは道路の拡幅工事の為に曳家されたのだとか!
県内に残る、最も古い銀行建築ですもんね〜きらきら

元銀行なだけあって、外観が重厚でため息が出ます。
元銀行・・・そして重厚といえばもしかして?
設計者を確認すると佐藤節雄氏・・・な〜んだ、松江を旅した時に訪ねたカラコロ工房(旧日銀松江支店)の設計者長野宇平治氏じゃないのか〜☆←知ったかぶりもたいがいにしてほしい。
・・・ん?でもあながち・・・じつは佐藤氏は、長野氏の高弟(弟子の中でも特に優れた者)だったそうです。

なるほど!
これで繋がりました。私の勘も捨てたものではないですね!良かった、良かった←自己満足☆

玄関も重厚な感じ・・・左側に何やら銅像が?


『山林に自由存す』と刻まれています。
千葉県銚子市生まれで、広島や山口で育った(お父上の仕事の関係上)明治の文豪、国木田独歩サンじゃないですか!

この銅像のお顔は22歳頃撮られた写真をもとに製作されたそうで、実際に20〜23歳頃は柳井に住んでいました。
明治25(1892)年に越してきたので、周防銀行を見ることは無かったんでしょうね。(亡くなられたのが明治41年だし)


意外と短期間ではありますが、柳井のことを『国許(くにもと)』だとか『帰国』や『帰省』と表現したり、『少年の悲哀』、『置土産』では柳井が舞台になっているのだとか。
(岩国在住の頃は岩国を舞台にした『河霧』、『欺かざるの記』を、『酒中日記』では田布施の馬島が舞台にしています)

右側には、コロンとした石碑があります。


『読書の戒』とあり、とある少女らに“よく勉強するように”と書いたものらしいです。

書を読むは多きを
貪るにあらず
唯章句熟読を要す
静思すること久しければ
義理自然に貫通す


いろいろと読んでみたくなりますよね。
読みたくなるだけではなく、聴きたくなるようなグランドピアノが館内にありました。


ピカピカ〜きらきら

このピアノ(昭和43年製)は松島詩子さんが所有&愛用されていたものらしいですが、なんと特注!
・・・松島詩子さんって、一体何者なんでしょうか?

ピアノから連想するにピアニスト?もしくは音楽家?

いいえ、柳井市日積の出身の歌手です。
明治38(1905)年5月生まれ〜平成8(1996)年11月没(91歳)で、4つの時代を生き抜いてこられたスゴイ方です。
それだけではなく、あのNHK紅白歌合戦の記念すべき第1回に出場されたのだとか!
第1回って昭和26(1951)年の1月3日に放送されたそうです。
当初は12月31日じゃなかったんですね。
12月31日になったのは4回目からみたいで、詩子さんは1〜(2回目は交通事故に遭い欠場)11回、計10回も出場されたのだとか。
松島詩子という名前の前にいくつか名前があり、デビュー時は柳井はるみという名前だったそうです。

柳井!

・・・声が大きいよ、アナタ。


イテテ


その柳井はるみさん時代に、誰しもが耳にしたことがある歌を歌われています。


『 月の沙漠 』

月の沙漠を  はるばると
金のらくだが  ゆきました
金と銀との  くらをおいて
二つならんで  ゆきました

金のくらには  銀のかめ
銀のくらには  金のかめ
二つのかめは  それぞれに
ひもで結んで  ありました

さきのくらには  王子さま 
あとのくらには  お姫さま
乗った二人は  おそろいの
白い上衣(うわぎ)を  着てました

広い沙漠を  ひとすじに
二人はどこへ  行くのでしょう
おぼろにけぶる  月の夜(よ)を
対(つい)のらくだは  とぼとぼと

砂丘をこえて  ゆきました
だまってこえて  ゆきました

作詞:加藤まさを    作曲:佐々木すぐる

ああ〜・・・素敵な情景・・・
他にも多くの歌を歌われていました。
1階には当時着ていらしたドレスが展示されています。


2階にはさらにたくさんのドレスがあり、お写真やレコード、ポスターなどがありました。

・・・2階上がるの、めんどくさい。←コラ!


イテテ


『古地図を片手に〜』で訪れる前に1人で事前下見(?)に来ていたのですが、その時2階はスルーしてしまいました。
『古地図を片手に〜』で皆さんで上がり見学しましたが、1人で鑑賞するより(この時の私は)何人かで観る方が記憶に残りました。

詩子さんとは直接関係無いのですが、明治16(1886)年頃にドイツで製作されたディスクオルゴールや、昭和初期頃の山葉風琴オルガンも1階には展示されています。


ぬぉ〜、古そう!


そしてフミフミするトコがオシャレ!


しかし『山葉(やまは)』って・・・?
調べてみると後の『ヤマハ株式会社』のことで、初代の社長らしいです。
その時の社長の名前は山葉寅楠さんで、改名前は『山羽』の字らしい・・・なるほど、で、やっぱり寅年なのかな?

・・・亥(イノシシ)です。


イテテ


固定観念に縛られすぎ〜・・・縛られもせず、吊るされてもいない、置かれている黄金色の金魚ちょうちん発見☆


コンニチハ★ワタシ“お鐘金魚”!
コノ赤イ座布団ノ上ニ乗ッテ、ジツハ運ヲ蓄エテイルノヨ♪

頭ノ上カラ硬貨ヲ入レテ?
ソノ音色ヲ聞クト運ガ巡ッテ、鐘ノ中ヲ通ッタ硬貨ニハ『幸セ』ガツイテクル・・・


ソシテ私ノ頭ヲ撫デルト、幸運ガ訪レルノヨハート

・・・撫でるのは冷たいから遠慮します。


イテテ


室内は暖かいので、そんなに冷たくは無いはず。
私もお金を入れてみようっと!


何か紙があります。
これに包んで上から入れるんですね!

・・・違います。
お金はそのまま通して音色を聴き、戻ってきたものを紙に包んで保管するのです。
もしかして説明を読まずに包んで入れたの?

・・・・・・


アイタタタ


(幸運になれないタイプです汗)