軍艦利根資料館へ行ったっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



いつか必ず訪ねなくては!と思っていた『 軍艦利根 ( 利根 ) 資料館 』へ春休みの帰省時に行ってきたRieruです ★


・・・春休みのコトを今頃?


イテテ




じつは昨年、広島県江田島市の能美側の海に『 軍艦利根 』が擱座 ( 船が浅瀬に乗り上げること・座礁 ) したことを初めて知りました。
中学生の頃、ある授業の合間に高齢の先生が利根の擱座についての話をしたようなしないような?←真面目に聞いていないな・・・

1から学ぶ事にしました m(_ _)m




擱座したのはこの辺り。



写真の船が利根になります。



赤丸の場所は能美海上ロッジで、この辺は “ トトウガ鼻 ” と呼ばれています。

そういえば、ロッジの先には『 船霊社 』がありました。
あの船霊社は利根のことだったんでしょうか?

あるブロガーさんが参拝されていたので記事を改めて拝見すると、入魂式は昭和40年8月16日・・・
この年の3月は『 慰霊碑建設委員会 』が結成され、7月25日には第1回慰霊祭が行われています。

ということは船霊社は擱座した利根を祀っているのかな?




・・・・・・



なんか来たことあるような無いような?

昭和62年8月に完成したようです。

こちらの資料館は無人で、すぐそこの能美海上ロッジのフロントで見学の旨をお伝えしたら、鍵を開けてくださるというシステムになっています。
この時は他の方が使用されているということで、すでに鍵が開いているらしく内心

「 気を遣わなきゃいけないじゃん!」

と少し億劫に。


イテテ


( 感じワル~ )



私の母・娘bと一緒に、お邪魔しま~す・・・


シーン。


誰もいない。


貸し切り、ラッキー!



これで、じっくりたっぷり下からねぶり上げるように見学出来ます!


イテテ


( 品良く見学しましょうね )




入って目の前に、利根の100分の1の模型が。



そもそも利根とは?

昭和13 ( 1934 ) 年就役の大日本帝国海軍の重巡洋艦です。
巡洋艦は遠洋航海行動能力・速度などを生かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種 ( 定義は国や年代によって異なります ) で、大型のものを重巡洋艦とよんでいました。

・・・ました?


第二次世界大戦後は艦対艦ミサイルの出現とともに、艦船に大口径砲を搭載することの意義が薄れたため、建造されなくなったようです。

関東平野を流れる利根川にちなんで名付けられました。


か、川の名前~ 汗


計画当初は軽巡洋艦の予定だったために、川の名前になったとか。
姉妹艦に『 筑摩 ( ちくま ) 』がいます。
現在の信濃川の上流部にある千曲川の古い名前で、こちらも川の名前です。

利根は艦前部に主砲塔4基を集中し、後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所としていました。
第二次世界大戦当時としては、珍しい艦型なのだそうです。










瓦のデザインが錨とロープ!

こりゃ、なっかなかオシャレじゃないですか きらきら!!

旧海軍兵学校 ( 術科学校 ) の校舎の屋根瓦だそうです。






価値のある盃などに目が釘付け!



単なる記念品なのでしょうか?
それとも実際に酒を注がれのでしょうか?

そのほかにも実際に利根で使用されていた浴槽や士官室の机などがあり、展示物は大変興味深かったです。



館内の3分の2を見学したあたりで、先に母と娘bは退出したので、完全にひとりになりました。


さらに、じっくりゆっくり・・・

はて?
これは何でしょ?



“ コンパス ” と表記されています。



失礼して、四角い穴から中を覗くと・・・



あ、本当、コンパスだ。
フラッシュをたくと、よく見えました きらきら!!



そして最後に、大変貴重な冊子を拝見させていただきました。
鎌田さんといわれる元海上自衛隊員さんが書かれた、利根の一生を綴った物語です。
外に2人を待たせているので速読みしましたが、写真や地図なども掲載されており、利根を学ぶ上で大変参考になりました。
また帰省した折に、ゆっくり読ませていただきます。



利根のことはあまり・・・ってか、ほとんど知らなかったので、今回見学させていただいて本当に勉強になりました。
少しでもご興味がある方は、ちょっとググッてみてください。

『 軍艦利根資料館 』は悲惨な戦争を知るためのひとつの手掛かりであり、日本の軍艦史の一ページを開くことによって見えなかったものが見えてくるようでした。

昭和19 ( 1944 ) 年 3月19日 甲板で捕虜80名を処刑したという話も今回初めて知りましたし・・・戦後の東京裁判で処刑を命令した中将は死刑に、当時の艦長は “ 捕虜助命に努力した ” ので重労働の懲役7年 ( 4年の服役 ) の減刑を受けています。

酷い目に遭わせたし、酷い目に遭わせられた・・・
全く戦争ってのは、良いことナシです。
マイナスだらけです。

近くの江田島町には『 第1術科学校 』があり基地見学などが出来る他、呉市には『 大和ミュージアム 』( その他いろいろあります )、広島市には『 広島平和記念資料館 』( これまたいろいろあります ) があるので、改めて平和について学ぶ機会を作っていきたいと思いました。
また戦争の爪痕は他県各地にも多く残されているのにも関わらずあまり知る為の努力をしてこなかったので、こちらも訪ねる機会を m(_ _)m

だいたい、広島に ( 過去 ) 住んでいたら平和学習はもう充分やった・・・って思い込む人も少なくないんですよね ←まさに私だ。
同じく原爆を落とされた長崎市にある長崎原爆資料館に行ったことが無・・・い以前に、長崎県にすら行ったことが無いです。


アイタタタ


( 日帰りはかなり難しいです )