木々の間から、眩しく光る海が見えた。
やっと。
やっとたどり着いた。
一見、光市の室積にある鼓ヶ浦の海岸に感じが似ている。
この平茂海岸は平茂と書いてひらもと読む。
旧牛島小中学校の先の道から山道に入り、どのくらい経っただろうか。
私は腕時計を着けない。
私にとって時計とはアクセサリーのカテゴリーに入る。
お洒落をして出掛ける旅行ならば腕時計を着けるだろうが、身軽に1人で旅をするのならばスマホの画面の時計を見れば十分だ。
スマホの液晶画面には ‘’ 11:34‘’ とある。
帰りの・・・室積港へ渡る最終の船は ‘’ 16:30‘’ だから、ざっと4時間。
この海岸で昼食をとって探検して、ビーチコーミングをしておやつを食べても時間が余りそうだ。
スマホのアラーム機能を使い ‘’ 15:15 ‘’ にベルが鳴るようにセットした。
海が荒れるほどの風は吹いていなかったが、心地の良い、柔らかい潮風が吹いてる。
「 ・・・公衆便所は無いかな? 」
港で懸念していたことが現実に起こった。
じつは海岸に着く数分前から尿意を催していたのだ。
暑くて喉を潤す為に、お茶を飲んだ。
少し迷ったが私は決断し、再び山に入る。
長時間も冷汗をかきながら内股で歩くのは、まっぴらごめんだ!
しかし、水に溶けるティッシュは持って来ていない。
いや、ティッシュさえも無かった。
幸いと言っても良いのか、ハンカチを2枚持って来ていた。
港で使用しなかった方のハンカチを用を足したあとに使おう。
ああ、こんな時は本当に男だったら良かったのにと2割くらいは思う。
あとの8割は、やっぱり女で良かったと思う。
漁船等が近海を航行しても絶対に見えない、ちょうど人1人が隠れるような茂みでさっさと用を済ませた。
使用したハンカチを右手に持ち、その足で真っ直ぐ波打ち際まで行って、十分に海水で洗う。
海水は澄んでいて綺麗だったが、大きいクラゲが近くに打ち上げられていた。
帰るまで時間があるし、どこかに干しておけば乾くだろう。
山のあたりは何処も似たような景色だったので、これを干しておけば目印にもなるか。
帰り道に再び利用する道の入口付近の木の枝にハンカチを干した。
‘’ はいびすかす ‘’ と、筆で書いた風な文字と、落ち着いた色調の青地のハンカチ。
描かれた大輪のハイビスカスは赤色で、これはお土産でいただいた古い品だ。
あら、私からの土産をそんなことに使って!って贈ってくれた古い友人は怒るだろうが、ありがとう。
本当に助かりました。
もう一つのハンカチを使えば?と言われそうだがまだ買って半年も経ってなく、あと5年は使う予定。
木に括ればシワになり、しかも乾きにくいだろうから少し風はあるが、木の枝に乗せるように干しておいた。
海を正面にして右側からビーチコしてみよう。
大きな岩場まで、かなりの距離がある。
思ったより貝殻やシーグラスは落ちていなかった。
物足りなさを感じているとお腹が鳴った。
ずっと歩き通しだったので、休憩も兼ねて昼食をとることにした。
ハムとチーズとレタスのシンプルなサンドイッチを食べ、のんびりと海を眺めていると鳥が山から海に向かって飛んで行った。
山道を歩いている時は気にしなかったが、牛島には野鳥がたくさん住んでいるらしい。
港にあった看板には『 特別保護地区 』と書かれ、室積の一部と尾島、牛島全体が銃猟禁止区域になっているようだ。
そんな野鳥の保護区で様々な鳥と海をひたすら眺めていると、身体が冷えてきた。
歩けば身体は暖まる。
懐かしい童謡の『 ふるさと 』を、歩くリズムに合わせてゆっくり歌う。
ここは私のふるさとではないが、なんとなくこの歌が自然に口から出ていた。
この歌には “ 海 ” など一言も出てこないのになぜ?と自分に問うたけど、単純に曲が今の気分に合ったのだろう。
輝く海を見つめたり、岩だらけの足元をみたり・・・気が付くといつの間にか岩だらけ。
歩き進んだ先は、岩が続く海岸になっていた。
そういえばこの茂平海岸の伝説というのは、昔から伝わる悲しい話なのだ。
どのくらい昔の話かはわからないが、江戸時代初期~中期あたりのことだろうか。
昔、茂平という漁師がおり、この海岸で大きな蛸を見つけた。
茂平さんは頑張ってその大蛸の足を1本、包丁で切って持って帰る。
その足はかなり大きいので売れに売れた。
妻のお万さんに他人には漁場は他言無用とし、茂平さんは次の日にもう1本の足を、そのまた次の日はもう1本の足を・・・とうとう最後の1本を切りに行ったところで大蛸の必死の抵抗にあい、その残った足を首に巻き付けられた茂さんは海中深くへ引きずり込まれ、生きて村へ戻ることはなかった・・・という内容だったと思う。
リーフレットにも書かれていたが、だいたいこのような内容だった。
よく考えたら足が1本の大蛸が人ひとり、引きずり込むほどの力があるのだろうか?
当時の男性は身長が160cmにも満たなかったとしても、その話は無理があるのではないか。
この物語には続きがある。
茂平さんは平茂海岸に打ち上げられ、首には蛸の足が巻き付いて絞められた痕があったそうだ。
その後、島の人はこの海岸で蛸を獲ることはなかった・・・
ここは蛸の良い漁場だったらしいので、よそ者が気安く獲らないようにと、この話は戒めの意味も成していたのかもしれない。
何にせよ、悲しい話だがある意味ホラーだ。
出来れば・・・いや、絶対にこの海岸では泳ぎたくない。