周防大島 ★『周防文化交流センター』さんへ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。
















先週

mちゃんと娘bとで周防大島へ行った時、

『 周防大島 文化交流センター 』にも

寄ったRieruです ★


水曜日は休館ですので、

お気をつけください。


               ↑
こちらの建物に

お目当ての展示室があります。


入り口で靴を脱ぎ、

スリッパに履き替えます。








撮影禁止よ!



受付で入館料300円 ( 小人150円 ) を払い、

撮影の申込用紙に記入すれば

撮影OKです キラキラ

『 使用目的は?』などの項目があり、

素直に

「 周防大島のオススメの場所を

    発信する為に、個人のブログに

    写真を貼ります…( 云々 ) 」

イテテ








…慎んで発信させていただきます m(__)m



想像していたよりも、迫力のある展示!

漁について、詳しく展示されています。








天井も高いし、迫力があります!



大漁旗がたくさん展示されていて、

一枚一枚を見ていくと楽しいです ♪






私がすっぽり入れそうな巨大な“タモ”★
                                     ↓


私が海で溺れていたら、
            すく
コレで掬い上げてくださいね!

イテテ


( 重い、重い (`ロ´;)!)








いろんな種類の“モリ”。



…“釣る”より、勇気いりますね (-""-;)


魚:イテー!!

…(-""-;) みたいな。

イテテ




大島の漁についてしっかり学べました。

丁寧な説明のパネルと、釣具や漁具に

漁師さんの

息遣いが聞こえてくるようでした。












『 宮本 常一 』さん…って、

どんな方なんでしょう?







         自然は寂しい          

                                しかし



     人の手が加わると暖かくなる

                    その暖かなものを求めて    

                                        歩いてみよう




… 私も ( ☆∀☆) 歩きましょう、館内を!

イテテ


(『 日本の詩情 』というテレビにの初めに
                     流されていたメッセージです )






1907年に大島の ( 旧 西方村 ) で生まれ

柳田國男・渋沢敬三に出会い

強い影響を受け、民族学に目覚めます。

『 民具学 』という新たなジャンルを

切り開かれました!




見えにくいですが、宮本さんの足跡です。
                 ↓


日本全国 津々浦々!

これを目の当たりにした時、

すごさにちょっとヨロけました…






パネル展示の他に映像でも学べます。



資料閲覧室や写真閲覧コーナー…

パソコンが2台あって、

宮本さんが撮影された10万枚のうち

約9万枚 の写真を

検索することができます。


…膨大な量すぎま~す!








宮本さんが愛用されていた持ち物が、

数多く展示されています。



画像にはありませんが、

イチバン興味をひかれたのは

『 そろばん 』です (*´艸`*)♪

いろんな旅先で

どんなやりとりをされていたのでしょう?



自らを『 記者 』と呼ばれるのを嫌い、

( 農漁村民に
               教えていただいてる立場だから )

弟子を取らなかった

( 志が同じなら学生もまた『 若い仲間 』)

宮本さん…


司馬遼太郎をはじめ、

数々の人に影響を与えた宮本さん…


私もすっかり、

ファンになってしまいました(*≧ω≦)!


8/6~12/6まで

『 海からみた 瀬戸内海の暮らし 』という

新しい企画展示をされているようなので、

また訪れたいと思います♪







…(・・;) しまった。

自分の世界に入りすぎて、

mちゃんと娘bのことを

つい、ほったらかしにしてましたよ。










なになに~?
この興味をそそられる神社や、装飾は?






…長州…大工?




{ 江戸時代後期~大正期 ( 約100年 ) に
かけて、周防大島から大勢の大工たちが
愛媛県・高知県・徳島県にかけての山間部へ出稼ぎに行っていました。
   
    出稼ぎ先の土地の人は周防大島からやって来たこれらの大工たちを『長州大工』と
呼び宮大工として多くの神社や寺院を建築しました。

    その数は現在わかっているだけで、300件あまりにのぼります。}




…地図上だと、めちゃ近いですもんね★


特に大島東部の大工さんたちの割合が

多かったようですよ!







ニャ~♪




もしかして、この虎さんも

(旧)西方村の方が彫られたのでしょうか?

で、宮本さんの

ご実家の近くの方だったりして☆

な~んて、

いろいろと想像をしてしまいます(´▽`*)



…ってか、

mちゃんと娘bは~?


アイタタタ


( 中学生2人はさっさと展示室を出て
               同じ館内にある図書室で
                    “ まったり”していました… )