※山アジサイは満開 本アジサイは七分咲
通称『あじさい寺』とも呼ばれるお寺…
そう呼ばれるからには私をたっぷりと満足させてくれるハズ!
あっ!
タダじゃ入れませんので入山料をご用意ください。
イテテ
(この時期だけのようですが)
あっ、竹棒がありますよ!
脚力に自信のない方は、無理せず使われる方が良いですよ。
ちょこちょこ使われているのを見かけました。
入り口を少し歩いて振り返った景色。
私、振り返るクセがありまして。
…塩の柱になるよ。
イテテ
(聖都ソドムとゴモラが滅ぼされる時、「逃げる途中決して振り返ってはならぬ」と、神に言われていたのに振り返り一瞬にして塩の柱にされたロトの妻のよう?)
あじさい寺に来て感じたのは、紫陽花の背の高いこと!
※私のお気に入りの紫陽花
ググっと見上げる紫陽花は初めてです★
いくつか橋がありましたが、
紫陽花の彫刻が施されていて、しみじみ。
紫陽花の販売もされていましたが、今年は諦めました。
そもそも紫陽花にはあまり興味がなかったんですよ。
『移り気・高慢・無情』などという花言葉だと知ったから敬遠してました。
しかし最近、小さな花が集まって大輪の花に見える様子から『家族団欒』とか、紫陽花の色が変わるのは『移り気』ではなく、“ あなたの色に染まる為 ” というらしいです。
それからグッと興味が湧いてきました
入り口で阿弥陀寺の地図をいただいて驚きましたが、結構広い敷地があるお寺です。
{1180(治承4)年、源平争乱の中、東大寺が平 重衡(たいらの しげひら)の兵火によって焼失しました。
1181(養和2)年に東大寺再建の大勧進となった俊乗房 重源(ちょうげん)は1186(分治2)年周防国が東大寺再建の造営料国になったのに伴い、宋の陳 和卿(ちん なけい)らを伴って防府に下向しました。
この俊乗房 重源が後白河法皇の後生安穏を祈願し、別所として建立したのが阿弥陀寺です。}
{1484(文明16)年の失火で堂坊は
ことごとく焼失しましたが、翌年大内 政弘によって再建されました。}
しかし最近、小さな花が集まって大輪の花に見える様子から『家族団欒』とか、紫陽花の色が変わるのは『移り気』ではなく、“ あなたの色に染まる為 ” というらしいです。
それからグッと興味が湧いてきました
入り口で阿弥陀寺の地図をいただいて驚きましたが、結構広い敷地があるお寺です。
ハァ、ハァ…
や、やっと着いた…
東大寺別院?
{1180(治承4)年、源平争乱の中、東大寺が平 重衡(たいらの しげひら)の兵火によって焼失しました。
1181(養和2)年に東大寺再建の大勧進となった俊乗房 重源(ちょうげん)は1186(分治2)年周防国が東大寺再建の造営料国になったのに伴い、宋の陳 和卿(ちん なけい)らを伴って防府に下向しました。
この俊乗房 重源が後白河法皇の後生安穏を祈願し、別所として建立したのが阿弥陀寺です。}
なるほど!
{1484(文明16)年の失火で堂坊は
ことごとく焼失しましたが、翌年大内 政弘によって再建されました。}
そうだったんですね。
本当にたくさんの紫陽花か植えられています。
なので、どこを撮っても絵になります。
しかし、どうしてお寺なのに紫陽花を植えまくったのか知りたいです。
調べてみると…
{昭和50年頃から植え始め、昭和63年、防府市商工会議所青年部や地元有志の協力を得て『西のアジサイ寺』を目指し、植樹活動を本格的に開始されました。}
意外と最近のことなんですね。
もっと大昔から植樹されているのかと思いました。
境内には、360度紫陽花が観賞できる東屋があります。
入れ替わり立ち替わり観光客が来るので、全然落ち着けませんけど…
イテテ
(向こうも私がいることで、落ち着けませんけど!)
色とりどりの紫陽花が咲き誇っていて、本当に幻想的
まさか、あの世か?←テキトーなことを書かないでください!
このお寺には、80種類4,000株の紫陽花があるそうです。
東屋から阿弥陀寺方向を見上げ、しばし心を奪われました。
ハァ〜、癒される〜♪
!
逆立ちした狛犬サン!
アナタ、こんなところで何してるの!
屋根に居て魔を睨まなくて良いの?
イテテ
(ちょっと欲しいかも~)
!
の、脳ミソ?