今日はスーパーMの特売日で
『めいぼ』という魚を買ったRieruです☆
めいぼ~?
あの目に出来る( -_・)?
イテテ
( 私は『めぼ』と言ってましたが、
大阪では『めばちこ』と言ってました )
サイクリングの途中、
周南市文化会館に寄りました★
ここではいろいろと催しがあります。
コンサートとか、
(爆笑お笑いin山口 フェスとか!)
↓
バレエ、ミュージカル、演劇等など!
昔ここに『 徳山藩館邸跡 』ありました!
{徳山藩は1617年に
毛利輝元の次男 就隆が兄 秀就から
都濃郡の三万石余りを分知されたことに
はじまります。
就隆は始め館邸を下松に設けましたが、
1648年に海陸交通の要所である野上村に
館を移し、野上を改めて徳山と称しました。
1836年には幕府から念願の
『城主格』が許されると、
館邸を『御城』と呼びました。
その後徳山は藩の改易・再興を経て
1871年に山口藩に合併するまで、
九代およそ220年にわたり
城下町として繁栄を続けました。
文化会館は、この由緒ある地に建設されたものです。}
徳山の前は野上って
呼ばれていたんですね~( ゜o゜)
看板の近くにはこんな場所があります。
蚊が大繁殖しそう…
イテテ
???
大きな石があります。
なんだか墓石のように見えますが
これは…
『大阪城築城残石』!
…なんですってΣ(O_O;)。
そういえば周南市大津島にも
大阪城築城の残石があるんですよね★
{1620年から10年間、
徳川幕府が外様大名に大阪城を構築させたのち、本丸と天守台には毛利家が関わり、
大津島からも石が運ばれました。}
※ 『大津島のてっぺんから!』抜粋。
角が丸くなってる…
手前の石にうんちくが(^∀^)
ちょっと省きますが…
{普請に参加した毛利藩は1624年、
大津島の石96個を御船手に運ぶよう指示
していますが、昭和55年 大阪城小天守台修復工事の際にこの大津島石の所在が確認されました。
石には毛利家の家紋を略した『※』を刻んで運んだが これはその時の残石です。}
『※』( -_・)?
中央の『 〇 』と『 ー 』で、
毛利家の家紋の略☆
残石の下は苔が…
その上に桜の花びらが。
…( ´∀`) なんかイイ
まわりに残石より 小さめの石があります。
杭を打ち込んだような跡が。
もしかして、これも残石?
これも?
…ベンチみたいです。
もうちょっと早く訪れていれば、
大木の桜が見れたのに!
アイタタタ
( 来年、リベンジしよっ( ´△`) )
【 オマケ 】
萩産の『めいぼ』★
↑
カワハギ