昔、ライブを始めた頃、うまく歌えるなんて全然思ってなかった。
下手だとわかっていたけど、すんごい勢いで自分のサポートバンドを作って、すんごい勢いでライブやっていたの。
なんでか??
やりたかったから!!!(笑)
ホント、
それ以外、なんにも考えてなかった(笑)
普通は、
ライブ=集客をどうするか?
をまず考えるはずだけど、(しかも当時はノルマが馬鹿高かった時代)
最初の数年間は、そこを一度も考えないまま、バンバン大きな会場で出来たりと、案外うまくいっていたのです。
今思うと、
あの頃のマインドこそ、成功脳!
色々考えてしまう今の自分
あの頃の頭の中は、一体どうなっていたんだろう???
そもそも私は、声楽や合唱をやった後に、急にブラックミュージックの世界に行って、当時はそういうシンガーになりたかったんだけれど、
下手過ぎてムリだ〜とすぐに悟って。
たまたま小学生からエレクトーンの作曲演奏コンクールに出続けていた土台があり、
歌モノのオリジナル曲もいくつか作っていたから、
「いっそ日本語のオリジナル曲に転向しよう!」と思って始めたのが、「凛々子」の活動なのです。
それと、私が洋楽を訓練しても本家の前で堂々と歌えるレベルにはならないだろうけど、
自分のオリジナル曲なら、私が正解だから、アレサフランクリンの前でも堂々と歌えるわい!
と思ったの(笑)
逆に、ソウルの女王アレサフランクリン(今年亡くなってしまいましたが)をもってしても、私の曲『わたくしを殺すあなたが死ぬところが見たい』なんか、歌えないはず!
今でも、それは一理あると思う。
借り物でなく、自分のソウル(魂)を歌いたい、という部分。
*
最初は
オリジナル曲って、自分で作った歌だけど「お手本がないからどうやって歌ったら上手いのかがわからない!」
という状態で(笑)
例えば、私の曲「野良猫ジョネスター」なんて、メロディーはラップみたいな感じ。
音符にすると、ほとんど一本調子のメロディーなんです。
でも本当のラップとも違うし。
それを、「歌らしくなるように歌う」のが、すごく難しかった。
じゃあ、なんであんなメロディーにしたのか?!っていうと、
え??
降ってきたから!!!
……ホントになんも考えてない子!(笑)
昔、踊るポンポコリンは、3分で出来たって話がありましたが、
ジョネスターもホントそれ。
リハ行く直前にテンション上がって、コードとメロディーと歌詞とアレンジのイメージがいっぺんに降ってきた曲。
これ↓
ああいう風に、「ワクワク感から曲が降ってきた!」って状態も、成功脳の感覚の一つだよね。
あの頃の、
できる・できない でなく、
やるの!!!\(^o^)/
っていうエネルギー、最強だったわぁ〜。
*
当時習っていた歌の先生は、何事にも否定的な人で(笑)(←それなりに有名なシンガー)
おまえらなんか全然ムリだよっ
と常に言っている人で。(クラス形式だった)
スティーヴィーワンダーみたいに歌える先生からしたら、私達生徒はカスだったのは事実なんだけど、
それでも私、全然おかまいなしだったの!(笑)
当初やりたかったブラックミュージックに向いてないな…という気分になっていったのは、その先生の影響入っているけど、
(←いやしかし、出来るように教えるのが先生だろー!!)
「自分のライブをやる!」
という部分に関しては、何言われてもまったく揺るがなかった。
やる前から、見えてた、みたいな感覚。
あの感覚も、成功感覚ってやつだわぁ。
その歌のクラスで、自分のライブやり始めたのは私だけだった。
やっぱりみんな、ネガティヴワードにヤラレて、諦めちゃう人の方が多いんだよね。
私が我が道を突き進めたのは、
「だって、やりたいんだもん!!」
って、
やりたいワクワク感の方が上回っていたから、だなぁと思う。
あの純粋で強烈なワクワク感は
まっさらだったからこそで。
今の自分が同じ事に同じワクワクを感じるのはムリだけれど
あの頃のようにワクワクできる次の何かが
早く見つかるといいなと思う。
Album『ひとりミュージカル』(7曲入り) / 凛々子
ほか、大手CDショップにて販売中!
~ジャズのようでロックンロール、かと思えば欧州の大衆歌曲っぽくもなって目が離せない。
パンチの利いた艶やかな歌声~
(CDジャーナルより)