ブログ訪問
来てくださって
ありがとうございます
私の自己紹介させていただきます
夫と2人の自立した息子
甘えん坊のワンコと
ニャンズ3匹
4人と4匹暮らし
田舎暮らしで同居歴は27年。
義父母は亡くなり、最近は実家を
行ったり来たり。
参考になること盛りだくさ~ん
ご紹介できればと思っています
私が27歳で初出産を迎えた日の数日後
1994年12月4日伝説の
「薬師保栄 対 辰吉丈一郎戦」
調べたところ、視聴率が中部で52%、
関東でも40%を記録した歴史的戦だったそう。
後で知ったけど興行権の入札もひと騒動あったとか・・・
私の出産は予定日より過ぎて
待てども陣痛は来ないし・・・
ひょっとしたら、この試合見れるかも
(初産で呑気なこと考えてました)
期待通りには行かず、赤ちゃんの体重が
増加していて産道が通らないから大事を
とって急遽、帝王切開に決まった
「えーーーヒッヒッフーじゃないのー」
ラマーズ法
今は違うのかな?
全身麻酔の帝王切開した後の麻酔明けの
注意事項全て当てはまり、悲惨だった
数日後、パパさんに辰吉の試合録画してくれた?
問うと、
「結果知りたい?」パパさん。
退院してから観るわー
お預け状態で観た試合は格別だった
辰吉丈一郎さんは、1970年5月15日に岡山県倉敷市で生まれました。幼少時からボクシングを始め、17歳で全日本社会人選手権バンタム級に優勝しました。その後、プロに転向し、1989年にデビューしました。彼は、デビュー戦から圧倒的な強さを見せ、4戦目で日本王座を獲得しました。そして、8戦目でWBC世界バンタム級王者グレグ・リチャードソンに挑み、10回TKO勝ちで世界王座を奪取しました。これは、当時の国内最短記録でした。
しかし、彼の栄光は長くは続きませんでした。彼は、王座奪取後に左目の網膜裂孔と診断され、手術を受けました。そのため、初防衛戦は1年後になりました。初防衛戦では、WBC世界バンタム級暫定王者ビクトル・ラバナレスと対戦しましたが、9回TKO負けで王座を失いました。これが、彼のプロ初黒星でした。
彼は、その後も世界王座に挑戦し続けました。1993年には、ラバナレスと再戦し、判定勝ちで暫定王座を獲得しました。しかし、同年9月に再び左目の網膜剥離が判明し、手術を受けました。そのため、正規王者との統一戦は延期になりました。
1994年12月、彼は、正規王者の薬師寺保栄と統一戦を行いました。この試合は、日本のボクシング史上に残る名勝負となりました。両者は、互いに譲らずに打ち合い、血で染まりました。
この試合は、彼の最後の世界戦となりました。
あれから約30年経ち、
息子さんがリングに立つとは
奥さんの、るみさんと一緒に
彼も観戦していてちょいちょい映ってました
嬉しい
1月23日にエディオンアリーナ大阪で行われたボクシングの試合は、以下のような対戦カードでした。
- WBC/WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
:寺地拳四朗(王者、BMB) vs.
カルロス・カニサレス(ベネズエラ)
- 121ポンド(約54.8キロ)契約8回戦
:那須川天心(帝拳) vs.
ルイス・ロブレス(メキシコ)
- 日本バンタム級10位対決
:辰吉寿以輝(大阪帝拳) vs.
与那覇勇気(真正)
- 寺地拳四朗がカニサレスに2-0
(113-113、114-112×2)の判定勝ちで
WBAをV3、WBCをV9
この試合は、両者が激しい打ち合いを展開しラウンドには寺地がダウンを喫するなど、僅差の大激闘
- 那須川天心がロブレスに4回TKO勝ちでプロ3戦目にして世界ランカーを撃破。
那須川は、5回にカウンターで右フックをヒットさせて、ロブレスにダウンを奪いその後も、那須川は圧倒的なパワーとスピードで攻め続け、4回にロブレスが右足首を痛めて、試合続行が不可能に
- 辰吉寿以輝が与那覇勇気に3-0(78-73×3)の判定勝ちで日本ランキングを上げ、辰吉は、3回に右ストレートで与那覇にダウンを奪い、辰吉は左ジャブと右ストレートを効果的に使って、与那覇の攻撃を封じた
那須川以外は、五分五分の試合で中でも
拳四朗選手があんなに顔が腫れあがった
試合は初めて見た。
寿以輝選手は、ちょっと悔しそうだったけど
私はいい試合だったと思う。
お父さんのようにKO勝ちしたかったんだろうね。
これからまた、楽しみにしてますよ
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