<出雲大社の全景>







出雲大社へ初めて行ってきました。
大変パワフルなスポットで、観光資源としても頭抜けてます
誰もが、行った甲斐を感じるスポットでしょう

ちょっと変わった神社で、拝殿が形ばかりで、ご本殿を拝礼する形式の神社
普通は、拝殿で多くの方が拝礼し、ご本殿は奥に隠れているんですが、ここは、本殿がメインです

本殿は随分大きくて、高さ24mもあるそうです
写真には、本殿を歩く神職が、2人映ってますが、その大きさが分かるでしょう
本殿の大きさでは、日本最大の神社だと思います

古代には50mもあったそうで、土台と合わせると東大寺と並んで日本最大の建築物だったそうです

2013年出雲大社伊勢神宮がそろって遷宮を迎える記念すべき年でした。
出雲大社の式年遷宮は、60年ぶりで、実に90億円も掛かったそうです

現在の出雲大社の御祭神は、大国主(オオクニヌシ)命。
須佐之男命(スサノオミコト)の息子です
本殿の奥には、須佐之男命が祀られており、拝殿・本殿に拝礼すると、須佐之男命を拝むようになってます
須佐之男命を祭神とした時代もあるそうで、実質的に須佐之男命の神社と言って良いでしょう


出雲には大和朝廷から独立した勢力があり、出雲大社の神官家である千家氏が、政祭一致の支配者で「出雲国造」という称号を冠していました
千家氏は、実質的に天皇家よりも古い家柄といわれています

出雲国造は、その代替わりの度ごとに朝廷に参上して、「延喜式」に残る「出雲国造神賀詞(かんよごと)」を奏上して天皇に忠誠を誓う慣わしを続けてました。
第83代国造千家尊祀は、昭和23年(1948年)6月、宮中に参内して出雲玉造産の御統玉三種一連を献上し、神賀詞奏上を行っています。

天皇は天孫ですから、全国どこの神社の本殿でも入れます。
下賀茂神社には、玉座もあります
しかし、出雲大社だけは、千家氏の許可がないと天皇といえども入れないのですね

2014年05月27日千家国麿氏と高円宮典子様の婚約が発表されました
実に画期的なことと評される理由は、こういったバックボーンがあるからです

日本書紀では、天照大神須佐之男命を姉弟としてますが、須佐之男命の持ち物を天照大神が口に含んで吐き出したことで、宗像三女神が生まれてます
両者の子供とも考えられるのですが、神道では、宗像三女神は、須佐之男命の娘とされます
また、宗像三女神は、弁財天と習合しています

これらの事実は、出雲系勢力が強大であり、朝廷側についていた存在で非常に大きな功績があったということです
初期は、実質同盟に近い、ほぼ対等の勢力であった可能性もあり、政略結婚なども繰り返していた可能性があります

出雲の勢力の神は、実質:須佐之男命でしょう。

近世では、息子の大国主命を国の神扱いしていますが
畿内にも大国主を祭る神社は多いです

日本書紀では、大国主とその息子たちが、天照大神側(天津神)から遣わされた武甕槌神経津主神国の支配権を禅譲してます
浜に剣を突き立てて、圧力を掛けたわけですね
戦うか服従するか?選べ...というわけです
この件を「国譲り」といいます。




武甕槌神経津主神は、実質同一神で、それぞれ鹿島神宮の神と香取神宮の神です
武甕槌神鹿に乗って移動し、春日大社の祭神となってます
春日大社と東大寺は一体ですので、周辺にいる鹿は、武甕槌神の使いです。

鹿島神宮は、中臣氏系鹿島氏に管理されていた神社で、中臣氏藤原氏は鹿島出自といわれています
大化の改新で、蘇我氏を退け、朝廷の重臣となった藤原氏の隆盛にも関わる逸話でしょう

日本書紀編纂に最も影響力を及ぼしたのは、持統天皇藤原不比等です。
持統天皇は女帝で、その名の通り天皇家の血筋を守ることを命題とした天皇です
父は、大化の改新蘇我氏を討った天智天皇(中大兄皇子)です。
藤原邸で即位したとされ、奈良県橿原市に遷都して日本初の都城「藤原京」と称した天皇です。
藤原不比等は、大化の改新に功績のあった中臣鎌足の息子です。
持統天皇の寵愛を受けたとされ、
藤原不比等の子孫だけが、天智天皇から賜った藤原姓を名乗ってます

日本書紀の八百万の神の仕掛けを考案したのが
藤原不比等と言われているのですね


正規の国史である「日本書紀」では、スサノオミコトを、
素戔男尊素戔嗚尊等と記述します
これは、みすぼらしく・さもしく・女々しく泣く男という意味で、最大限の侮蔑です

スサノオミコトは、
八岐大蛇を退治して
三種の神器になる鉄剣を取り出す功績をあげてます
しかし、大和武尊(ヤマトタケル)が、その剣を草薙の剣と改名して九頭竜を退治するなどした後に三種の神器にしてます
スサノオミコトから直接天皇家にかかわる、三種の神器にしたくなかったわけですね

日本書紀は、スサノオミコトが高天原から出雲に降りたと記述しますが、新羅に降りたとも記述してます
スサノオミコトの功績は無視できなかったものの、否定的な印象が強いのですね


また、天照大神
須佐之男命一緒に祀る神社が、ほぼ存在しないという事実も重要です

つまり、大和朝廷は天照大神を主神とする天孫系出雲勢力は、須佐之男命(息子の大国主=大己貴神)を主神とする国津神系勢力であるわけです
天照大神と須佐之男命は、別系統の神であり、別の氏族の神であったと思われるのですね

しかし、出雲の勢力は全国に飛んで、神社造営にかかわってます。
武蔵国(現在の東京と埼玉)の一宮である、大宮氷川神社(祀神:須佐之男命)もその一例です

また、出雲の一宮は長らく、熊野大社でした。
出雲大社は古代より、杵築大社(きづきたいしゃ)という名前で、中世になって熊野大社を逆転して一宮になってます
明治時代に出雲大社と改称し国家神道政策にのっとって官幣大社になってます

実は、京都丹波の出雲大神宮出雲大社の元宮です。
京都北部は、古代に出雲勢力圏下にあったとも考えられます

新羅の3王家の一つは、倭のタバナ国から来たとされていて、初期には交代で王を出してました
後に、この王家は、倭(日本)に帰ったとされてます
タバナ国=丹波国ではないかとアカデミズムでは比定しています
出雲勢力の中心地のひとつが、若狭湾周辺にあったと考えられる訳ですが、このエリアは、元伊勢のエリアでもあります

因みに、数多くの能力者が述べてますが、出雲大神宮と出雲大社のパワーの質は同じだとしています。

出雲国の一宮である熊野大社から私は、ご加護を受けているとの判定を受けていますので、出雲の諸社に延べ4日間参拝しました。

出雲の諸社は、大半が、須佐之男命(大国主命)を祀る神社です。
須佐神社は、唯一須佐之男命の本身を祀る神社としており、大変パワーが強い神社でした
私が最初に霊夢を見たのもスサノオミコトですので、大変気になる土地が出雲だった訳です

なかでも出雲大社などは、印象深く、全日訪問し、4度参拝しました。

出雲大社といえば、六角形の亀甲紋の社紋が知られてます

 
   出雲大社の社紋


実は熊野大社も亀甲紋です

 熊野大社の社紋


出雲の有力社は、亀甲紋が多いのが特徴です




出雲勢力は、ヘブライのマナセとの関わりが言われます

ヘブライ=ユダヤの象徴「六芒星」(籠目紋)
.....カバラの象徴でもある



須佐之男命自体、ヘブライ人が信奉したバール神(ミトラ神)の可能性が強く、牛の角、牛の頭を持つ神です
須佐之男命は、平安時代から本地垂迹説によって牛頭天王と同一とされます

日本書紀も、一書によればと断りながら、新羅の曽尸茂梨( ソシモリ:牛の頭の意味)に降りたと記述しています

須佐之男命を祀る、祇園系(八坂神社)の眷属は、正にです

※祇園は、高麗人が朝鮮から牛頭天王を分祀した神社


    竹寺の牛頭天王(=須佐之男命)

(聖書の宗教画)バール神を象徴する金の仔牛像を拝むヘブライ人たちと、叱責するモーセ


失われた十氏族
は、「偶像崇拝」つまり、金の仔牛像崇拝 ⇒ バール神崇拝 が元で神の怒りに触れ、散らされた人々なのですね

バール神自体は、シュメールのミトラ神であり、世界中に影響をもたらしてます
その象徴は、十六弁菊花紋六芒星
前者は言わずもがな、天皇家の紋章です

その為、中東は古代から現代に至るまで十六弁菊花紋だらけです



■シュメールの神話のバール神は、ヒッタイトの7頭の悪龍を酒に酔わせて退治して、鉄を手に入れます。


■須佐之男命は、8頭の蛇である八岐大蛇を酒に酔わせて退治して、鉄の剣を手に入れます

この剣は、後に三種の神器に成る「草薙の剣」です

バール神(ミトラ神)は、太陽神アンの息子です
須佐之男命は、太陽神である天照大神の弟です

この2つの神話は、世界で最も酷似した多頭竜退治の神話と言われています

バール神の件は、後にヘレニズムに伝わり、ヘラクレスのヒュドラ退治の神話になってます
ヒュドラは、9頭の蛇です。
世界的に、蛇=竜の認識なのですね

また、ミトラ神は、太陽神アンの息子で、太陽神の性格を受け継いでいるため、ヘレニズムでは、アポロンと同一とされます

                                ヘラクレスとヒュドラ




ミトラ神=バール神は、様々な形で他にも日本に伝播してます
ミトラ神は、ペルシャ帝国の守り神でミスラ神です
ミスラから、アフラ・マズダ神が生まれゾロアスター教(拝火教)の主神です
神社や仏閣の、護摩焚きとして伝わり、春日大社の万燈籠拝火教由来です。

ミトラは、アフラー神族である為、インドでは、アスラ=アシュラと言います。
中国経由で仏教で伝わった、阿修羅(アシュラ)です。

ゾロアスター教ミトラ神が、漢訳されて、毘沙門天(多聞天)です。
ゾロアスター教では、千の耳を持つと記述されてます

松本清張は、毘沙門天を含む四天王自体が、ミトラ神の神格を表すとしています
 毘沙門天(多聞天)  千の耳を持つ(多くを聞く)神
             広目天         万の眼を持つ神
             持国天         国家を護持する神
             増長天         生長を司る神

四天王は、帝釈天(元はインドラ神=ミトラの兄弟)が率いる仏天の正規軍の将官です。
聖徳太子が戦勝の御礼として大阪に建てた四天王寺が有名です

またミトラは、救世主(マイトレーヤ)の性格を持っており、日本に伝わり、ミロク=弥勒菩薩となってます

ミトラ神(バール神)の救世主の性格や、主神の性格、太陽神の性格が、天照大神ではないかと思えます
一方、牛の角(牛の頭)、製鉄神、武神(風神)、太陽神の血を受け継ぐといった部分が、須佐之男命ではないかと思えます

因みに、インド人が牛を神聖視して食べない理由は、バール神にあります


キリスト教徒は、,ローマ帝国に於いて、ミトラ多神教と勢力争いをし、蹴落とすためにバール神を邪神としました
牛の頭を山羊の頭に書き換えて、聖書の悪魔バアルです






※因みに、出雲には、天照大神と須佐之男命を主神として、一緒に祀る有力神社が存在するのですね
 これには驚きました


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