じーじとばーばんちの思い出

 

 

 

 

 

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 私の父が長期入院してる時

母はその付き添いで殆ど病院🏥。


小学生だった私は

ばあちゃん(母方)が生きていた頃、

夏休みには

奄美大島からばあちゃんが迎えに来て

電車で鹿児島まで🚃

鹿児島からフェリー⛴️に乗って

奄美大島へ行ってました。


そのフェリー⛴️が大揺れ💦

あの船酔いは生き地獄だった。。。



ばあちゃんは

大島紬を織っていて 

ばあちゃん家には機織りの機械があり

凄いなぁと思ってみてました。


ひと月

奄美大島に居たから

色んな出来事が。。。


家のすぐの裏山がジャングルみたいに荒れ放題💦


窓が開いていたら

ハブ🐍が侵入してきたり


ばあちゃんが

バナナ🍌食べるか?って言うので

「うん」と言うと

ばあちゃんがすぐ裏山に登り

バナナをデカイ房のまんま刈ってきて

すぐ食べれるんか?と思ったら

青から黄色に変わるまで数日おあずけ🤣💦


いやいや、

バナナ🍌食べるか?って聞くから

すぐ食べれると思うやんか⁉️🤣




お風呂は。。。

五右衛門風呂やったし

なかなかサバイバルな家やった🤣




少女マンガのなかよしを読んでいた私。

販売日に村の何でも屋さんに行くと

届いてなくて💦

台風🌀が来た時は

1週間、物資が滞って

その何でも屋さんの棚はすっからかん💦



でも

村の人も

ばあちゃんも焦る様子は全くなくて

停電しても

仏壇の蝋燭で🕯️難なく過ごし

食べ物が底をつく頃

裕福な暮らしをしてる叔母が

食べ物を持って届けてくれて

餓死は免れてました🤣


奄美大島だけじゃないと思うけど

1週間船が来ない時も

そのうち来るよ。なるようになる。

と、のんびり。




画像はお借りしました🙇‍♀️


そのゆったりしたおおらかな性格は

自然豊かな海や山に囲まれているから

と思っていたけど


私にとっては危機的状況でも

待てる、動じない心の強さや

あっけらかんとしていた事にも驚いたし

厳しい環境下でも

人が良くて、人に対しての優しさは

台風🌀で培われたのかもしれないなぁと

子供ながらに思ったことでもありました。



家に帰って

母に

奄美大島でのことを話しすると


奄美大島は戦争で悲惨な目に遭ってるから

その時を知ってる人は

戦争が無いというだけで

幸せやと思ってるんよ。


戦争の時と比べると

どんな状況でも大したことないし

今は船が来なくても物資が滞っても

嵐が過ぎれば必ず船🚢は来るから。



それに困った時は

お互い助け合って生き延びてきたからね。

だから

人に優しいんやと思うよ。


と、その時の母の言葉が

今でも深く心に残っています。

















いつも

ブログを見て頂いて

ありがとうございます💕

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