久々のブログです。

「あーちゃん」私の母の呼び名

私の長男が産まれた時 ばあちゃんは嫌だ!と お母さんを「あーちゃん」お父さんは「てるちゃん」と

だから ウチの家族も兄家族も あーちゃん・てるちゃんと呼んでます。



私事ですが 私の最愛の母あーちゃんが11月21日に亡くなりました。72歳でした。

脳出血で倒れて 手術も2回もしましたが意識も戻る事なく10日後 いなくなっちゃいました。半身麻痺になっても良いから 生きて欲しかった。話しがしたかった。

亡くなる前日 「お母さん 分かる?手を握って」って 私の手を握りました。
ちゃんと 分かってくれました。それが最後でした。

倒れる2日前に元気なお母さんと一緒に居たのに どーして?なんで?

悲しくて寂しくて 信じられなくて一生分の涙を流したと思います。

私はお母さん依存性です。お母さんが居ないとダメなんです。
なんでも お母さんに頼んで 教えてもらってました。
よく主人に「あーちゃんが居なくなったらお前どーするんだ」って言われてました。

実家も車で15分 私も行くしお母さんもしょっちゅう我が家に来てました。

今でも お母さんがピンポーンて我が家に来るような気がしてなりません。

お母さんは私と顔は似てますが 性格は真逆でお上品で綺麗なお母さんです。

「純ちゃん 言葉使い ダメよ!」
「峻くん 凛ちゃんが真似するから ちゃんとしなさい!」
口癖でした。


習字の先生の資格から裁縫に水彩画に着付けに多趣味でスマホも使いこなし LINEも私や孫とやり取りを喜んでました。
変なスタンプを寄越したり お母さんのLINEを見て見たら ウチの長男・次男とのやり取り

長男は「今度 新潟帰ったら あーちゃん一緒に美術館いこー」
次男は誕生日おめでとうとのお母さんからのメッセージに「金くれ」「あーちゃん また りんごの作って〜」などなどのやり取りに涙と笑いに溢れてました。

我が家には お母さんの作品が沢山あります。
最後の作品は 「吊るし雛」

これ可愛い〜ちょうだい⤴️

って言ったら

失敗作だから ちゃんと作るから 待っててって 

失敗作でいーよって もらって来たのに

実家のお母さんの趣味部屋に作ってありました。

最後のお母さんからのプレゼント
お母さん ありがと♫
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振袖から浴衣、訪問着、喪服 全て買ってくれました。
「いらね〜」なんて言ってましたが

喪服も お母さんが作ってくれたので 最初で最後かもしれませんが 義姉のお母さんに着付けてもらいました。

成人式に買ってくれた振袖は私には娘がいないので 姪っ子が着ると!お母さんも喜ぶと思います。

お母さんの友達に会えば
「自慢の娘さんね」
「いつも 純子 純子って 心配してた」

って。

自慢の娘じゃなく 私の自慢のお母さんです。

お母さんの友達から色々 聞いて ホント愛されてたと思いました。


そして12月2日 私の誕生日でした。
今年は 「おめでとう」ってLINEも電話も来なかった。
でも お母さんからの沢山のLINE に 手紙があります。

私と長男が喧嘩して泣きながら電話した時に長男にお母さんが宛てた手紙があります。
「あーちゃんの育て方が悪かったのかな。
反省します。でも親としては 私の1番は純子ママ!ママが苦しみ悲しんでる時はやっぱり味方になって手を差し伸べたいの!どうかママを許して下さい。」と3枚便箋に書いてありました。
この手紙を見ては涙 涙ですが 私の宝物です。
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ホント 愛されてました。

お母さんが居なかったら エステの道も自営の道も歩いていなかったはずです。
エステティシャンと言う仕事がある事をお母さんが17歳の高校生の私に教えてくれました。専業主婦の期間も8年ありますがエステティシャン・セラピストと言う道をずっと続けてます。お母さんのおかげです。

応援してくれたから これからも応援してるから お母さん 頑張るよ。


72歳と早過ぎる人生でしたが お父さんと日本全国・海外としょっちゅう飛び回り 趣味多彩なお母さんは実りある人生だったと思います。

優しいお母さん。
大好きです。

面白いお父さん。
大好きです。


お母さんは私の心の中にずっといます。


励まし慰めて 一緒に涙してくれた友達やお客様には感謝しきれません。
みなさんありがとうございます。

読んでくださり ありがとうございました。