のんびりとした週末。
私がずっと気がかりになっていたやらなきゃいけないことが、全部終わってスッキリとした気分。
面倒なことは先延ばしにしがちで、ギリギリになるまで放置してしまいます。
さっさとやってしまえばいいものの、どうしても気分が下がって、気づけば締め切りが近づいてる、なんてことはよくあります。
早く済ませれば、鬱々とした悩みからも解放されるのに。
頭では分かっているけど、気持ちは頭と同じ考えにはならないのが感情の不思議。不一致があればあるほど、心は苦しくなる。
まあでも、とりあえずは悩みを抱えなくていいので、安心して眠れる💤
さっぱりとした気分のまま、昨日は叔父と一緒に映画を観に行きました。
ミステリー・ホラー系の映画で、同じ好きなもの同士で一緒にお出かけ。忙しい中、時間を作ってくれて感謝でした。
それに、公開初日に映画を観るという密かな憧れを叶えられて嬉しかった。
道中のおしゃべりで、家族の中で役割があるという面白い話を聞きました。
気の強い人、弱い人がいるみたいな話をしてて、
家族や夫婦、兄弟で、全員の性格を足して割ると、
ちょうど平均くらいになる、っていう話で。
例えば、3人子どもがいるとして、全員がうるさい子にはならないらしい。
一番上がやんちゃ、二番目がやんちゃだったら、3番目は大人しい子になる、みたいな感じ。
絶対そう、とはないかもしれないけど、
私の家族でも、兄弟でもわりと当てはまるなぁと感じました。
だから、家族の中で全員が同じじゃなくていいということ。
やりたい放題猪突猛進タイプもいれば、それを宥める人もいるから。
言葉にするのが難しい……。
でも、叔父のその話を聞いて、家族っていう適当な集まりの中でも、上手く回るように出来てるんだなって感じました。
適当っていうのは、雑だとかではなくて、
最初から貴方はこうです、こうして下さいって決まってないのに、上手くいくようになっていくってことが面白い。
その後に、気が強い人ってどういう感じだと思うか?という話もしました。
私は、
態度が大きい、顔が恐い、目付きが鋭い、動作が乱暴、口調がきついなど
見た目や私が感じるもので気が強いと感じます。
分かりやすいものかな。
でも、叔父は物静かで大人しそうな人が、ポロッと鋭い言葉を言うのも、気が強いなと感じるそうで
気が強いことを恐怖の対象としてみるか、
芯がある、自分を持っている心の強さとしてみるか、同じ人でも見方の違いを知ることができて面白かった。
短所も、裏を返せば長所になるように、
物事にはいつもどちらもあるし、もっとたくさんの見方もあるかもしれないんだなと思った。
そして、それらのどれも良い悪いもなくて、
ただ感じる人によって、変わるだけっていうこと。
それだけのこと。
こうやって、ひとつの物事や言葉に対して
どう思うのかを考えることが私は好きです。
自分ひとりの頭で考えるのはもちろん好き。
でも、誰かと会話をしながら深めていくことは、もっと楽しくて面白いんだって思いました。
だって、私が感じることと、相手が感じることは違うから。
私ひとりでは思いつかないことが、たくさん相手の口から語られる。
以前までは、違うことを恐れて、そう思わない私はおかしいんだと自分の気持ちを否定していたけれど、違いが見えるたびに、恐れも感じるけど、それを面白がっている自分もいます。
違っている私はおかしい、分からないと嫌われると思っていた。
でも、叔父と違う感覚や考え方を持っていても、私は叔父のことを嫌いにはならないな、とふと思いました。
私は今までそう思わなかったから、こういう感覚を自分自身で気づけて、得ることができたことがとても驚きでした。
人から好かれる、嫌われる問題は私がずっと抱えていたものだったから。
「相手と考えが違うだけで嫌いにならないでしょう?」
そう聞かれれば、私はそうだと頷くのに、
自分のこととなると、嫌われるかもしれないと思ってしまう。
そういう考えでいたから、違っていても嫌いにならないと気づけたことで、私は自分の思い込みを赦すことが出来るかもしれないと思えた。
相手の気持ちを決めつけるのが、私のよくない思い込みの癖。
相手と考えが違うことで嫌わないと書いたけど、
心のどこかでは、分かってくれないなら嫌いって思ってたかもしれないです。
私が嫌っているのに、相手が私を嫌っていると思い込んでた……みたいな。
(投影っていうのだったか、意味が合ってるか分からないけども💦)
思い込み激しいので、自分のことはとても主観的に
なるから、誰かに何を言われるより、自分で気づいて落とし込む方が納得感がある。
誰かに赦しを求めても、結局私を赦せるのは自分しかいないから。
でも、ひとりでうんうん考えて向き合うんじゃなくて、思い込みを赦せるかもしれない材料は、周りの人たちがたくさんくれるな、って思います。
近い人たちに、「行動力がすごい」とよく褒められます。
私は全然そう思わないし、むしろ、みんながやってることをようやくできるようになった、くらいにしか思えません。
私を一番近くで見てくれてる人たちの言葉だから、私が素直に受け取れないだけで、きっと本心かもしれないです。
もう一つ、私のよくないところが、
行動力がすごいと褒められる→じゃあ行動力がないことはすごくない人だと白黒つけて、調子に乗るところ。
基本的に自信が無いので、とにかく人よりも優れていたい、優れていると思われたい欲が強い。
口では言ってないだけで、心の中で思い込みで白黒つけた幻想の優越感に浸っている自分に嫌気がさして落ち込む。
褒め言葉や周りから見られてる私のこと。
全然そう思わないし思えないけど、行動力があるってこと受け入れてもいいんだよって赦すことなのかもなーと私は思った。
私はダメ人間なのだから、行動力なんてあるわけないってだけの決めつけを
そうじゃないかもしれないって選択肢を増やすこと。
私は思っているより、行動力があるかもしれないと赦して、信じてあげること。
こればっかりは自分の受け取り方次第だけど……
赦してもいいんじゃないの?って周りの出来事がたくさん教えてくれている気がする。
「嫌いだけど、愛してる」
どういうことだろうって、ずっと考えてる。
心にピッタリ嵌る言葉を出すことは出来ていないけど、
相手が私の考えを分かってくれないからって、
私は相手のことを嫌いにならない。
どれだけ考えても相手の気持ちを理解できなくても
嫌いにはならない。
「相手の全てが嫌いだけど、愛してる」
こういう考えもあるかもしれないけど、私は分からない。
でも、
「相手のこういう部分は嫌いだけど、愛してる」
なら、少し分かった気がした。
そんなことを思った出来事でした。