小学生の体育の授業で校庭を走っている時の思い出。


クラスメイトの子を追い越したとき彼女は一緒に走っていた子に

「絶対無理してるよ」

と言ったのが聞こえました。



私は全く無理などしていなくて、ただ追い越せるから追い越しただけ。


彼女から私がどう見えたかは、どうでもいいことです。


私はそのとき誰かを追い越すと悪口を言われる、と学習したのです。


しかし彼女の発言を悪口と解釈したのも私の都合。


私は自分の能力でできることをやっただけ。


それを見て何かしら言う人がいる。


私はそれから自分の能力を出すこと自体をためらうようになりました。


いつも全力ではない。いつも結果が出せない。だから不満が募るばかり。


違う。違う。そうじゃないよ。
本当は全部わかってるし、できる。
でもそうすると文句を言われる。


私はまだ、本気出してないだけだもん!


(ダメな人が言うことの代表みたいな言葉)ニヤリ


でも私が甘かった。


他人の言うことなんかを考えてしまっていたから。

妬む人の気持ちなんかを考えてしまっていたから。


だから行き詰まったし、息詰まったし、生き詰まった。


足並みを揃えることなんてもう必要ない。


気にしないといけない誰かは存在しない。


もう自分の能力を制限しなくていい。


妬まれるくらい圧倒的な結果を出せる。


遠慮も容赦も必要ない。





私はずっと母親の助けを求めていた、ということに気付きました。


そのとき、この出来事を思い出したのです。


このとき法律を作ったことも。


リトルミーは助けてもらうためには、結果を出してはいけないと思っていた。


稼いではいけないと思っていた。


母親の愛情を求めるために、確認するために、助けてもらいたがっていたのです。


しかも求める形はお金。


そこだけ妙に現実的なんですよね(^◇^;)


さあ、えげつないくらい稼ぐぞ。

金だ、金金。



いかがわしいお話し