久しぶりの記事ですが、

最近あまり触れていなかった美術に関して書きたいと思います。

二年生という時期もあと六ヶ月で終わってしまいます。

私は理系コースにいるので、二年生の課程を終えるということは、

芸術科に触れなくなるということでもあります。

芸大や大学のサークルに入れば好きなだけ芸術に浸ることは出来ますが、

私は芸術「大学」だったり、美術「部」という風に、そういうものに入ると

型にはまってしまうようで嫌なんです。

もうひとつ一番大きい理由があるのですがのちほど…。




さて、何故突然美術について語りだしたかというと、

高校で美術の作品提出する回数が、今やってるものを含めてあと二回になりました。

その二回の提出が終わってしまうと、もう美術に触れることがなくなってしまうのでは?という

不安があるのです。(趣味で描けば問題ないのですが)

いつもそばにあった「美術」。

美術は私が人と話す時よりも自分自身を偽らず思いっきり出せていたと思います。

私が描いた・作った作品はいわば私の化身とも言えるかもしれません。



私は中学生の時、一度だけ美術の担任にぶちギレたことがあるんです。

それは担任が私が描いた作品には目もくれず、私が作品を持ち帰ってやったのを怒ったこと。

何故持ち帰ったというと、自分が作品を作る過程を他人に見られることが本当に嫌でしたからでした。

嫌な理由は、ひとつは「不完全だから」

ファッションでもそうですが、人に見られるなら頭の先から靴まで完璧にお洒落したいものです。

完成していない制作過程を見られると着替えを覗かれた(しかも着替える服見られた)感じ。

途中経過を見せてしまってはよっぽどの作品でない限り、完成後感動させるのは難しいですからね…。


二つ目は「他人の想いが入ってくるから」

私は昔から感受性が強く、人の念(特に怒り、憎しみといった負の念)を感じやすいんです。

授業では40人前後の人が同時に制作します。

しかも美術の授業中は感受性をフルに使うので、人の雑念がどんどん心の中に入ってきて

全く集中できないんです。(気のせいかもしれないけど)

だからなるべく家など人が少ないところで絵を描きたいんです。



持ち帰って怒られたのは私の方に非があると思います。

上記のことや、この担任は持って帰ってもいいと言ったのに…とも思いましたが、

授業はその担任がルールですから、従うしかありませんからね。

でも一番腹が立ったのが「作品を見てくれなかったこと」

上記にもありますが、私は自分の作品を自分の化身だと考えています。

なのでこの担任の行為が、「私の全てを否定された」ように感じたんです。

私が描いた作品は全て私自身を表していると考えています。

これが大学や部活、サークルなどに入りたくない一番の理由でもあります。

もしそういうのに入ったら自分を押さえ込んでまで作品を作らないといけないんじゃ…という不安があります。

自分自身を表現できないなんて耐えられません。

本音を言えば、作品ではなく私自身を描きたいんです。



人は絵を見て「うまいね」「上手だね」と言います。

私の場合も然り、授業中でも友人たちが誉めてくれることがあります。

誉めてくれることは本当にありがたいですし、素直に嬉しいのですが、

私が絵で感じて欲しいのは表面上のものではなく中身、

つまり、「想い」を感じてほしいんです。

私が込めた想いを、私自身を、ただうまい、上手の一言で済まさないでほしいというのが正直な願いです。

私には評価も誉め言葉も不要なんです。

ただ、私自身を見てほしい、理解してほしい、

その想いでこの学生時代の数年間、作品を作ってきました。

これが私が作品に込めた想いであり、願いです。





おまけ

高一のとき描いた作品



高二のとき描いた作品

今やってる美術の課題はamebaのゲームの天空のクリスタリアに出てくるアリアドネを模写したやつです。

これは自分の名前をもじって(アナグラムやだじゃれ、言い換えなど)それを絵にするという課題です。

なので本名の部分は隠してます。

今回は自分の名前も作品の一部になるので、

この神聖な絵にふさわしい人物(名前)になりたいという願いも込めて

この絵を使わさせていただきました。



さて、みなさんはそれぞれの絵にどんな想いが込められてるか想像できますか?

答えは書きません。

答えを言ってしまうとその絵に感動することは二度となくなってしまうからです。

描いた側から見れば、作品を見てくれているうちが華ですからね^^