5月17日。


今日という日は特別な日です。


ちょうど1年前、我が子がお腹の中にやってきた日です。


なぜそんなことが分かるか、というと、私たち夫婦は体外受精で我が子を授かったからなんですね。


今や珍しくもないことで、昨今生まれてくる子どもの16人に1人は、体外受精で誕生しているそうです。

晩婚化や高齢出産の増加がうかがい知れますね。(唐突な社会派語り口調)




しかし、まさか自分が当事者になるとは、思いもしなかったんですよね。




そこに至る経過は長すぎるので割愛しますが、原因は私の持病でした。

子宮内膜症、卵巣チョコレート嚢胞、そして子宮内膜ポリープ。

まぁすごく簡単に言うと、子宮や卵巣のいらんところに血の膜ができて、毎月とんでもない生理痛に悩まされます。

そしてこれは、直接不妊の原因になる病気です。



はじめは漠然と、結婚したら子どもができて当たり前、みたいに思ってました。


それこそライブだ旅行だ遠征だとさんざん遊び呆けていたので、子どもを持つイメージができていない頃もありましたが、歳を重ねるごとに甥や姪がとても可愛く思えるようになってきて、自分も夫婦だけでない家族が欲しいな、子育てしてみたいなって気持ちが強くなっていきました。

種を残そうとする人間の本能なのかもしれませんね。



自然に任せていれば、いつか夫に妊婦検査薬なんか見せてサプライズする日が来ると思っていたんですが、まぁ、そうはいきませんでした。


病気は発覚からみるみる悪化し、一時は薬で良くなるも再発、結局手術をせざるを得なくなりました。


卵巣の腫瘍は破裂のリスクがあるんですが、なんと私は手術で腹を切った時にはもう破裂後だったそうで先生に驚かれました。(たぶん破裂したであろう、気を失うレベルで腹が痛い日があったけどバカな私は自宅で様子見しました。救急車呼んでいいレベルらしい)


言われても「?」って感じでしたが、破裂により右と左の卵巣が癒着して雪だるまになってたそうです。卵巣って体の右と左にあるよなどういうことなの。



癒着は右の卵管を完全に塞いでしまい、自然妊娠できる確率はとても低くなってしまいました。


手術したとき私はすでに34歳。

結婚したのは30歳。


不妊症の定義は、避妊せず1年子どもを授かれない状態をさします。


病気の治療を優先するため、投薬でそもそも妊娠不可能な期間を除いても、私はじゅうぶん「不妊」でした。


女性として機能していないと言われてるようで悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。




子どもがほしいなら、少しでも早く不妊治療を、と先生にすすめられましたが、これは簡単な選択ではなかったです。



まず不妊治療ってとても高い。

今は保険適用になってますが、治療開始時はまだ適用前でした。


そして通院が大変。

体の周期に合わせるのでいつクリニックに行くか自分では選べません。

幸い職場のそばにクリニックがあったことと、会社に不妊治療休暇の制度があり、理解ある上司が許可してくれたことで滞りなく通うことができました。



いちばんは、気持の面。


「そこまでして子どもが欲しいか?」


という自問自答です。



可能性は低いとは言えゼロではないので、自然に授かるのを待つという選択肢もありました。


でも、女性には「妊娠適齢期」っていうものがあることを知り、35歳から高齢出産と定義付けられてる事実を前に、私には時間がありませんでした。


遅くなればなるほど授かりにくくなる。

授かっても流産したり、ダウン症などの障害をもっている可能性がどんどん高くなる。


あとで「あの時やっておけば」とか、もっと遅くスタートして「もっと早く始めておけば」となっても、体は若返ることができないんですよね。



まわりはどんどん子どもを産んでいるのに自分は…という焦りもありました。

もはや子どものできない自分が悔しくて、なんとか覆したいとすら思っていたかもしれません。

常に「なんで自分は」と責める気持ちが絶えなかったです。


かと言って、授かりものであることに変わりはないけど、完全に親のエゴで、医療技術をもって命を宿したところで果たして子どもは幸せになれるのか…という気持ちもあって。


しかも、大金はたいても、時間をかけても、授かれる保証はないんですよね。

今回はダメだった、次こそは…!と、どんどん沼にはまっていく可能性もある。よく不妊治療はギャンブルだ、なんて言われます。


それでいて、いざ授かってから、産んでから、「やっぱり子育て大変だからやめよう」なんてできることではない。

一人の人間に対して、命に対して、親として全責任を負うことになる。




私にできるか?そんなことが?




……………。





それでもやっぱり治療を始めました。


「会いたい」と思ったから。




幸い私は2回の採卵と、2回の移植で授かることができました。


期間にして半年。

クリニックがかなり有名で適切な処置をしていただいたのはもちろんですが、とても運がよかった

のだと思います。



さすがに、治療の総額を電卓たたいた時はひっくり返りましたが、今腕の中で眠る息子を見てると、ほんとにそんなことどうでもいいんですよね。


結果が変わっていても同じことを言えた自信はないですが、治療をしないという選択をしたら、絶対後悔していたと思います。




息子は3ヶ月になりました。


子育て順調!最高!

…と言いたいところですが、正直そうでもありません。


母乳は軌道に乗らないし、子は抱っこでしか寝ないし、おかげで私は腱鞘炎だし腰痛だし、想像以上におむつもミルクも消費して生活費足りねぇ!ってなってるし。



本音を言うと、それこそ不妊治療までしたのだから、私は子育てに対して弱音を吐いてはいけないのではないかと思っている節もあったりして。


好きで産んだんだから生活の全ては子育てに全振りすべきだし、ちゃんとできて当たり前、と、誰に言われたわけでもないのにそう思ってしまう自分がいて、ちょっと苦しい時もあったりします。



でも不思議なもので、子育てで大変な思いをしてるのに、その苦しさを消してくれるのもまた子育てなんですよね。


毎日少しずついろんな表情を見せてくれる息子が、愛おしくて愛おしくてしかたありません。



これは不妊治療の特権だと思っているのですが、私の通ったクリニックでは、受精卵を移植する日に、その卵を画像で見せてもらえたんです。


受精から3日目の、ほんの少し分裂をした、たった9個の細胞。

顕微鏡で拡大されて、モニターに映し出された、それが私が最初に見た息子の姿でした。


今はムチムチの体つきで、ふてぶてしく人を枕にして寝ています。



命ってすごいね。

大きくなったんだね。

涙がでちゃう。



たぶんこれからも色んな困難にぶち当たると思うんですが、そのたびに思い出したい気持ちなので、自分のためにここに書いておくことにしました。



読んで下さってありがとうございます。




なにか、そうですね、伝えられることがあるとしたら。

 

難しい問題なのだけれど、私は「産みたい時=産み時」には必ずしもならないこと、をひしひしと感じました。


結婚してすぐ、まだ子どもはいいかな、と思ってる間に病気になってしまい、子どもを願う時にはもう高齢出産の域だったので。


芸能人とかが40歳過ぎて子ども産んだとかニュースになってるので漠然と大丈夫な気がしてしまうんだけれど、もちろん自然に授かった可能性もありますが、多額の費用をかけて治療することができるからなのではないかと今は思います。


「いつか」を願うなら、その「いつか」のために常に自分の体と向き合ってほしいです。男女問わず。



あと、そうですね、卵巣破裂したかも?と思ったら救急車呼びましょうね!(※無い)





早く抱っこでなく息子が布団で昼寝しますように。