捨て金
今朝のバンクーバー五輪,カーリング日本代表対アメリカ代表の試合は胃が痛くなりましたが,最高に面白かったですね。
最後のアメリカの投石でNo1に残ったストーンをメジャーリングしているときは思わず息を止めて見入ってしまいました。
…私のように仕事中なのに携帯のワンセグで見てしまった方も多いのではないでしょうか。
スキップの目黒選手の中盤以降の投石はキレがありましたし,一時押されていた試合の流れを日本に戻した思います。
冬季五輪の競技は華やかで美しいものが多い中で,カーリングは頭と体とコミュニケーションを駆使するスポーツで見ごたえが格別です。
相手との一手ごとの攻防の戦略は見ていて唸るものがあります。
スポーツ版の囲碁といった雰囲気でしょうか?
(アメリカ戦は初戦だから,中押しがち といきたいところでしたが,今日のような勝ち方も本当の勝負強さを見た気がします)
ポロやクリケットなどの競技も普段日本では馴染みはありませんが,イギリスやかつてイギリスの植民地だった国などを訪れると,メジャーな競技としてスポーツニュースのトップに出てきます。
あれもカーリングに似ていて,まずは頭,次に体と連携を必要とするスポーツですね。
私立医学部入試は残すところ
2/21(日) 慶應義塾大医:定員68名 埼玉医大(後期):定員42名
http://www.admissions.keio.ac.jp/topics/info_20100107.html
http://www.saitama-med.ac.jp/fm/entrance/entrance01.html
3/6(土) 昭和大医(Ⅱ期):定員20名
http://nyushi.showa-u.ac.jp/info/medicine_select.html
3/8(月) 近畿大医(後期):定員10名
http://www.kindai.jp/exam/outline/outline4.html
3/10(水) 大阪医大(後期):定員15名
http://www.osaka-med.ac.jp/nyushi/info/index.html
大方の大学では二次試験も峠を越えて,二次の合格発表,入学手続き,その後の補欠繰上げ合格の通知
という段階に入ってきました。
入学手続きの仕方で,昨日こんなことがありました。
昭和大医(Ⅰ期)の手続き締め切りが16日12時まで
日本医大の二次合格発表が16日13時から
したがって,これらに合格していて,入学の意思を持っている場合
昭和大に入学金150万円を払っておかねばなりません。
結果として日医に合格が出て,そちらの志望順位が高かった場合(保護者の方が了承すれば),その150万円はいわゆる『捨て金』になってしまいます。
今は,昔と違って入学時の納付金は入学金以外はほとんど返還されるので,それでも受験生側の負担としては軽減されたのですが,それにしても今のご時世で凄い話です。
これは医学部入試では当たり前のことなので,例えばこの学生の場合,慶應大医が第一志望なので,その発表前(発表:3/8)にこの日医と慈恵医大(発表は明日ですが,もし合格していれば)の手続き締め切り日(日医:2/26,慈恵:3/1)が来るのでやはり戻ってこない入学金を納めておく必要がでてくるのです。
そういった相談をいただくとき,学生本人の実力を知っていて,試験後のインタビューが出来ていれば,受験生の人数と一次合格者などの今年度データと例年の繰上げ数などから判断して,敢えて無駄になるようなお金を納めなくてもいいようにと,お話しすることも出来ますが,それはきわめてまれなケースです。
今日は昨日の例のような同日内で1時間差での『捨て金』という形は生じないと思いますが,北里大医,埼玉医大前期は手続き締め切りは今日ですので,明日以降に本命大学の発表を控えている受験生のご家庭では決断しなければなりません。
保護者の方も大変です。
私立医大の入試は一家がかりなのです。
排除すること 寛容であること
2月からプロ野球はキャンプが始まっています。
最近は自分と同世代の選手がほとんどいなくなってしまい,甲子園から見て知っている,共感できることが少なくなってきました(小生は清原,桑田,野茂の世代です)。
どの選手も「若くてイキがいいな」と羨ましく感じるばかりで,なかなか選手の特徴を掴めなくなってきてしまいました。
うーん…,年齢を感じざるを得ません。
メジャーリーグにも日本人プレーヤーがどんどん出て行っていますね,今は珍しくなくなってきました。
スポーツは野球に限らず怪我と隣り合わせです。
メジャーリーグで怪我をしてプレーできなくなった場合,DL(Disabled List 故障者リスト)に入ります。
短期(15日間)と長期(60日間)とあり,マイナーリーグからの昇格制限などが多少違っているようですが,そちらから引き上げ戦力を整えつつDL登録者にも一定のメジャー登録が与えられます。
日本のプロ野球にも故障者に対して似たような制度はあるようです(ちゃんとは理解していません)。
故障者選手特例措置制度というもので,なんとなくDLに近いニュアンスですね。
しかし,これはFA権獲得条件を満たすため,一軍登録期間を認める,一種の労働権利の要素が強く,一般には一軍登録抹消というのが,メジャーリーグのDLと似た怪我をした場合の報道の決まり文句になっているように思います。
・DL入り→故障者として登録,公示
・一軍登録抹消→故障が原因でもそうでなくとも一軍選手としては出場できないし,その選手が二軍に登録されるにしても本当は引退?とも取れる登録の抹消です
この違いは故障してもプレーヤーとして(労働条件という意味ではなく)の格を認めるのがメジャーで認めない(使えない)という印象を与えるのが日本のような気がしてなりません。
似たような例として,障害者という言葉。
日本では,障害者は身体,知的,精神のそれぞれで別々の福祉保健法で保護されることになっています。
これらは認定を受ける必要があります。
障害者認定はDLと同じような日常生活を普通に行う人間としての格を認めながらも,その限界をも同時に認めることを前提に一定の保護の対象者となるのです。
でも,この中で知的障害者と精神障害者の場合(あえて誤解を恐れずに)
本当にその人の人格まで認めていますか?
知的活動に発達障害がある人
事故病気で脳や中枢に不可逆な気質的損傷を負った人
アルツハイマー病や認知症の人
…後二者は誰にでも可能性のある後天的なケースです。
統合失調症の人
薬物などで正常でない精神活動の状態の人
義務教育には養護学校(または養護学級)があり,もちろんその現場で働く人たちも知人にいますし,通っている生徒も知っています。
教育の現場では,人格を認めています(少なくとも私の知る限りでは)。
医療の現場はどうでしょうか?
社会はどうでしょうか?…ここで小生のいう社会は健常者の見方の社会です。
もし,知的障害者だからといってはじめから人格を固定した価値観で健常者が見ているとしたら,それは名目上のDLの格を与えながらも,内心では一軍登録抹消しているところがあるような気がしてなりません。
抹消という響きが与える排除の思考
内心なので,形のないものですから証拠といわれても困りますが,自戒を含めた懸念です。
・タバコを吸う人と吸わない人
・ペットを飼っている人と飼っていない人
・勉強が出来る人と出来ない人
・お金を持っている人と持っていない人
・日本国籍の人と日本でない国籍の人
・メタボな人とメタボでない人
・ …
どちらか一方がほかのどちらかを無意識の中でどんどん排除していってしまうと,きっと誰も残らないのかも知れません。
元横綱・朝青龍の引退騒動
スノーボードのオリンピック代表の国母選手の服装乱れからの一連の騒動
バッシングは往々にして,当初のプロテストとは違う形に拡大していく中で,形のない誰かからの借り物の価値観で他者を排除することに繋がって行き始めるものです。
上の二例は教育の問題とプロとしてのマスコミマネージメントの問題を孕んでいると思います。
教育に関しては,数年前から『ゆとり教育』世代が大学進学世代に入り,教室の雰囲気や指導の内容を一変させる様相を呈しています。
都内の某中高一貫の有名進学校の新一年生さんには,まずは「挨拶しましょう」の指導から行われていたりします。
某大学の体育会系の部活で,やはり新一年生さんは,「ガムを床に捨てないように」と先輩が指導しています。
今まで教える必要がなかったことを教えないと,教えられてきていないので良いか・悪いかが分からなかったりしています。
その点に非寛容であると,バッシングされても何を非難されているのか,なんだかよくわからないのだろうと思います。
今朝の新聞にOJT(on the job traning)について記事が出ていました。
「若手を育てる」という小タイトルです。
OJTは新人として仕事に就いたときに受ける現場主義の研修でもありながら,指導する側も同じ地点を通ってきた先輩同僚なのです…中間管理職になっていないのはどうなのかとも思いますが??
今は指導する側をさらに指導する,相談に乗る,育成するということも大事になります。
『ゆとり教育』世代を教えるのも大変な立場だからです。
また,教える立場になってみて始めて,コミュニケーションとは何かを考え始めたり,新人と上役のそれぞれの身になって考えることを体験したりして,タテ社会の中核を担う存在の自覚が生まれるようになります。
医療でも,医師は研修医制度,看護師はプリセプター制度など,いわゆる資格を持った素人が本当のプロに変わっていくギルドが残されていて,一応機能しています。
新人指導,それも仕事なのです。
こうしてタテとヨコの目の中に自分が置かれたと感じたときに,何か安易なクレームや排除思考は緩和され,また逆に完全な寛容が許される『ユートピア』も存在しないということに気付き,共鳴や共感が個人の中で色を持ち質感を与えるのではないでしょうか?
うーん,何だ今日のこのブログは。
ひどい落語だ←落語にもなっていない!!
オチがないし!!!
Mくん 日本医大正規合格おめでとう!!
あとは慶大医だけだから,残り数日頑張ってください!!!
「~な人」と「~でない人」
人と同じことをするのが嫌いだ
万人受けするもの…ペット,子ども(kids),旅,グルメ などなど… こういったものはマスメディアでは定番だったりする。
実際は万人というよりも
「かわいい」,「珍しい」,「興味深い」,「おもしろそう」
などの正の感受性キーワード枠の重なりが多いものの現に表された形(人,もの,ことがら)で,多数が支持するということであって必ずそう感じないマイノリティーはいる(ただかなり少なく見積もれる)。
こういうのがマーケティングでは代表的な検討課題になるわけですが,もっとストレートに何がそのキーワードの基になっているのだろうか??と。
味やにおいなど形はないが,体験した人のみの感覚に通じるもの
見た目の美しさ
音,声,リズム,声調,話法
物事の掘り下げ方の巧みさ…どう巧みなのか?
ひどく普遍的な高い価値を持つもの,できれば交換できるもの
では逆に,万人受けしないとは?…
万人から嫌われる
一部の人に熱狂的に受け入れられても全くそうでない人もいる
何の興味関心・好奇心をくすぐらない
万人受けするもの/しないもの という分け方がそもそも『人』を前提にしているなかで,
美しさ,美,完全美なるものは本来『人』などいなくても成立するのではないか?
つまり美しさは自然の成り立ちそのもので決まってしまうのではないか?
完全美→均衡(バランス)のよさ,割合(プロポーション)のよさ→対称(シンメトリー)>対照(コントラスト)
人間は対称の取れた顔を選ぶ傾向にある というのを以前聞いたことがある。
例えば,アイドルのAに憧れていたとして,その顔に近づけようと化粧や髪型,服装を真似てみる。
似せようと強く願うほど,「なんだか違う感じだなぁ」と思ってみたり(他人はかなり似ていると思って見ているのだが…),「神様,一日だけでもいいからAの顔に換えてください」などと,誰しも若い頃はとんでもないことを本気で願ったりする。
ある日枕元で神様がこう言う
「お前の努力を認めて,願いをかなえてやろう ただし,Aの顔の右半分までだ」
いざ起きてみて鏡を見たとき本当にそうなっていたら,それはうれしいだろうか?
一応,少しはというか少なくとも半分は間違いなくAに近づいたわけだが…。
きっと,祈ったことを後悔するに違いない。
右半分がそうなっても美しくないから≒対称でないから
(神様!半分だけなら下半分とか上半分にしてくれよ,と思ったりして…なぜ上のものが上に見えるか,とかそういう話はここではちょっと置いときます)
対称という概念は自然と美の基本概念として刷り込まれているのではないだろうか。
数学・物理学などの自然科学では,対称性は非常にきつい縛りの下で丁寧に扱われてきた,というより学問の柱だったといってもいいでしょう。
高校でも数学で対称式(x^2+xy+y^2=0みたいな文字を入れ替えても同じ式になるもの)や化学では不斉炭素原子(asymmetric carbon ,キラル:chral とも言います)とか出てきますね。
※ asymmetric= a (否定,打消し) + symmetric (synmmetryの形容詞形)
19世紀,決闘で若くして亡くなった数学者ガロアの研究していたのも「群論」 これこそまさに対称性の鬼のような数学記述ですし,一昨年南部,益川,小林三博士の日本発のノーベル賞も「対称性破れ」についてでした。
これらは,大学に行ってからその基礎が学べるかも知れません。
ご参考までに…「もっとも美しい対称性」 著者:イアン・スチュアート 出版社:日経BP社
さて,対称というバランスに対し,対照というものも美的というか強く印象的に感じられる概念ですね。
(貸借対照表とか対照実験とかで使われると,そうでもないな???って感じですね)
黒に対して白
陰に対して陽
+(プラス 正)に対して-(マイナス 負)
明に対して暗
前と後が位置によって質量的な差を持ったり,優先順位を持つものではありません。
やや無理をすると(というよりむしろ,なんとなくそういうものと同じように捉えられる)二項(二極)対立概念というわかりやすい分類に置き換えられます。
♂(雄)に対して♀(雌)
onに対してoff
昼に対して夜
保守に対して革新
今,日本の政府は昨年の総選挙で自民党に民主党が大勝…たいしょう(笑)…し,『政権交代』したわけですが,そもそも民主党って革新政党ではなかったのでしたっけ?
自民党もちょっと前から保守政党なのか甚だあやしいとか,異論・他論ありそうですが,本来そういう対立軸でわかりやすく捉えていたのが,実際政権を取ってみると保守政党(これも何が保守かと根本的な問題をもちますね,置いときましょう)に衣替えしてしまったのではないかと…??
革新が革新であり続けること事態,現実的に無理なのだといってしまえば,そうかもしれませんが,そうなると完全な二項対立ではなくなってしまいます。
というか,現実世の中は二元論的でなく多元論であると見たほうが今は自然だと思います。
♂♀にしたって今やその二元だけで語れる価値ではないはずです。
そう思っていても,二元論はスッとわかりやすいので意外と簡単にその価値観に嵌っていたりします。
「Bはバカぢゃないから~」
とは,Bが思慮深く,頭がいいものだから~をして上手くいった
などの文脈で使われたりしますが,Bでないひとはバカ,浅はかな人とまではいわないまでも凡人,普通の人くらいの意味はあるので,二項的な対立の下での整理法になっています…悪いとは言いませんがかなり危険な端折り方ではあります…気付いて使えていればまさに「バカぢゃないから…」。
さて,革新であり続けることは無理だ といいましたが,それは嘘です。
実は研究者とはみな革新を目指す者たちだからです。
逆に研究者でなくなるときは,そのエネルギーがなくなるときかもしれません。
今朝の朝日新聞の朝刊で田中亜実さんという一人の研究者の卵の記事が出ていました。
彼女は老人福祉施設で働く母親の言葉から,おもらしをした際に声を出さずに知らせるおむつセンサーの電池と発信装置の回路を開発して,米電子電気学会のセンサー部門大会で学生論文賞の一人に選ばれた(亜実さんの大学の卒研です)。
イカすのは,亜実さんのポリシー
「人と同じことをするのが嫌いだ」
この意志を持ち続けられれば,亜実さんはきっと素晴らしい研究者・技術者になれるでしょう。
とってもカッコイイし,美しいです
ただ,対称性が破れた世界に住んでいる私が感じたわけですが(笑)。