2001年の末ひよりを迎えて広がった世界があった。
2002年にHPを始めて、広がっていった世界があった。
2004年の春までは、それはそれは楽しい世界だった。
インターネットがなかったら、ひよりとは出会うことができなかった。
インターネットがなかったら、出会うことのできなかったたくさんの人に会う事ができた。
インターネットがなかったら、こんな思いを味わう事もなかっただろう。
2004年の春から、つい最近まで私はインターネット上ではひきこもっていた。
文字の難しさ、いわゆるメル友と、実際にリアルであうことのできる人との線引きが自分で考えていたものとの相違が原因だったとも思うし、育ってきた環境も価値観もこれほど多様な知り合いというのはいい年をして初めての体験だったからかも。
なんだかんだ言っても私は一生を多分この地で過ごす事になる。
学校も地元なら、就職してもそれ程価値観の異なる人との出会いはなかった。
旦那さんとは元同級生なので、地域差も無いし、お互いの兄妹の配偶者に至っては、たまたま何故か私たちと同い年だったりするし。
ネットをしていると実際の距離感は曖昧になり、無くなっていく。
多分近くに住んでいる人よりも、旧友よりもその人の近況を詳しく知る事になる。
だんだんリアルタイムを求めるようになり、1日遅れるとなんだか取り残されたような気持ちになる。
その人の人間性よりも、文字のイメージの方が大きくなっていく。
実際に忙しくてネットどころではなくなった時に、投げ掛けられた言葉で私の中の何かが崩れてしまった。
「そんな病気なんて関係ない。○○ちゃんがせっかく掲示板に書いてるのにレスをしないなんて!!○○ちゃんがかわいそうやろ。」
大切な人が生死をかけた病気での闘病中の言葉だった。
多分、これで私ははじけてしまった。
旧友は決してこんな言葉は投げないだろう。
私も友人にこんな言葉は投げられない。
たまたまPCが壊れてしまい、HPのパスワードを紛失してしまい再発行中で更新はできなかった。
掲示板に休止のお知らせは書いたんだけど。
TOPを休止中にすればよかったのかもしれないけれど、パスがなくてできなかったし、実際にそれどころではなかった。
私ひとりがいなくなったところで、何にもかわらない。
こんな思いをするのなら、身近の幸せを感じながら時を過ごす方がいい。
そう確信したはずなのに、何ヶ月も遅れて偶然知る事があるとショックを受けてしまう。
それが、実際に今私に起こった事のように。
自分よりも長く生きられない子たちを家族に迎えて、生きているからこそ、生き物だからこその楽しさ、辛さがある。
でも辛い事があっても、それ以上の楽しさと幸せをこの子たちは運んでくれる。
ひよりはたくさんのものをくれた。
数ある愛犬サイトを巡っていると、「虹の橋」と言う文章にふれる事があると思います。
いろいろな考え方が有ると思うのですが、私がひよりに言っている言葉があります。
「さみしがりやのあなたを待たせるつもりはないから、もし虹の橋があっても待たなくていいんだよ」と。
さみしがりやのひよりを待たせたくない。
ひよりは今までに2度命の期限を告げられた事があります。
一度目は安楽死まで視野に入れるようにとの事でした。
その期限は当然過ぎていますが、今もひよりは私の足元ですやすやと寝息を立てています。
私にとって最愛の子が今ここにいる。
その幸せに感謝しながら、でもいつか必ず来る別れの時に涙は流しても後悔しない日常を過ごしていきたい。
そんな風に考えています。
どんな別れでも後悔はすると思うんですけどね。
ちょっとまじめに書いてしまいました。



