【神社】追掛稲荷大明神と弘前の路地 | 凸撃りおちゃんねる

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青森県弘前市を中心にマニアックな観光案内?をお送り致します(^ω^)


一緒に東北を盛り上げましょう!

 
 
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。
こんにちは! りおたんです(・∀・)ノ☆
 
 
今回は青森県弘前市南大町
『追掛稲荷大明神』へご案内致します(^^)
 
 
※この辺。
 
 
えー。
今回は旧赤線地帯(某緑地の話)より
コンプライアンス的にアレな企画なので←
やってもいいのかな?とは思います(^_^;)
 
 
※重要※
いわゆる部落問題とかに関係してくるので
不快に思われる方はこの先は読まないで閉じて
頂けますようお願い致しますm(_ _)m
 
 
えー。
なるべく婉曲的表現に徹する言いたいことも
言えないこんな凸りおスタイルなので←
 
 
個人的にはちょっと面白くないんですが
大人としてリスクは避けていきます(^_^;)
 
 

それでは早速凸していきましょう!

レッツゴー👊

 
 
 
 
 
弘前市南大町。
この時点で企画内容にピンと来たら
よっぽどのマニアだと思います←
 
 
この辺りには太鼓屋が数軒あります。
夏祭りの太鼓も造られているのでしょうか。
 
 
さて。今回訪れる『追掛稲荷大明神』は
この通りから路地に入ったトコにあります。
 
 
 
 
 
 
この辺りは合併して南大町になる前は
新楮町(しんこうじまち)でした。
 
 
※楮(こうぞ)は和紙を原料になる植物で
楮町には藩政時代には楮作人が集められていて
20軒程の町屋と楮畑があったそうです。
 
 
新楮町は製紙事業拡大の為に1719年頃に
新開発されたエリアでしたが1782年〜からの
天明の大飢饉で事業は頓挫したようですね。
 
 
そんな土地に残されているのが
今回の主題である『追掛稲荷神社』です。
 
 
楮町、新楮町は前述の通り都市計画が
ポシャった後に別の形の町になりました。
 
 
 
 
 
 
えー。
弘前市は戦争でもほぼ空襲がなかったので
古い町割の名残が残っているんですね。
 
 
なのでこういった路地や袋小路、
一方通行などが不便ですが残っています。
 
 
 
 
 
 
ところで。
『追掛稲荷大明神』の『追掛』とは?
この謎に迫るのが今回のテーマです。
 
 
 
 
 
全ては1624年に関ヶ原の戦いで落武者となり
大阪から弘前に落ち延びてきた『源定長』という
人物から始まったらしいです。
※どういうワケなのかホント落ち延びて来る人多いのね。
 
 
藩主信枚公の前で『追懸節』を謡った所、
感銘を受けた信枚公により『追掛長助』の名と
『路地の頭』の役を与えられました。
 
 
※重要※
ワタクシ及び凸撃りおちゃんねるは
差別を助長するものでも肯定するものでもなく
ただ歴史的事実を取り上げております。
 
 
この『追掛長助』という名は
『路地の頭』の世襲名になったそうです。
 
 
 
 
 
 
『追掛長助』は都市計画がポシャった
新楮町に『いわゆる路地』を拓いた始祖となり
皮革職人が集められた町を仕切りました。
 
 
『路地の頭』には他にも諜報活動や
情報収集などの役割もあったようなので
忍者にも近い感じでしょうか。
 
 
めっちゃ『カムイ伝』思い出しますね。
完全に横目さんじゃないですか。
 
 
 
 
 
えー。
なんか鳥居しかなくね?と思ったら
拝殿はどうやら建物の中にあるらしい(NEW)
 
 
 
 
 
脇にはお地蔵さんが並んでいます。
その時代から続く供養の歴史を思わせますね。
 
 
 
 
 
『いわゆる路地』に『白山神社』ではなく
『稲荷神社』があるのが津軽地方の特徴です。
 
 
『稲荷神社』は『八幡宮』と並んで多いので
忍者的に社会に溶け込んだ結果でしょうか。
 
立場上『八幡宮』は祀れなかったのかも知れません。
※『八幡宮』は弘前藩では武士の守護神でした。
 
 
 
 
 
手前には身代地蔵尊。
 
 
 
 
 
一番奥には観音菩薩。
 
 
どうにもならない心身の苦痛や身の上から
救われたいという思いからでしょうか。
 
 
 
 
 
中央に追掛稲荷神社が鎮座。
 
 
思うことは多々ありますが事情により
具体的に書くことが出来ません。
 
 
ひたすらに悲しくて苦しくて心が痛い、
そういう念が強く感じられます。
 
 
 
 
水路を挟んだ隣には公園があります。
『公園にするしかなかった土地』なのかは
ワタクシには分かりませんが←
 
 
個人的見解では『そういう場所』というか
『貴◯神社』や『三◯神社』の周辺と似ている
ちょっと落ち着かない感覚がありますね。
 
 
 
 
※謎のキリンw
 
 
えー。
そんなワケで見て回りましたが。
 
 
弘前藩にも被◯別部落があったことは
フツーはなかなか知らない事実だと思います。
 
 
※津軽地方では『部落』は『集落』と
同義語で差別的な意味は含まれていません。
 
 
今回、歴史的事実を解説する為に
訪れてみたんですが心が痛くなりました。

 
今回の凸はここまでとなります。
お疲れ様でしたm(_ _)m
 
 

凸DATA

追掛稲荷大明神

青森県弘前市南大町