ツイッターを見ていたら噴飯ものの意見があったので解剖してみます。うぷぷw

「なぜ人を殺してはならないのか」という子供からの問いかけに、年齢に応じてそれなりに相応しく、最後は完璧な回答を示してあげる程度の知性は、大学生程度のうちに身につけておかねばならない教養である、ということだ。それができない大人がなんと多いことか

まず「それなりに相応しく」という回答とはどういうものでしょうか。とても曖昧な表現なので、どのような回答でも「それなりに相応しく」となってしまいますね。
「牢屋に入れられるから」とか、「命は大事」とか、果ては「大きくなったら教えてあげる」もそれなりに相応しい回答になります。よって「それなりに相応しく」は意味がありません。

さて次に「年齢に応じて」です。先ほど、「どのような回答でもそれなりに相応しくなる」となりましたので、年齢に相応しいとは内容ではなく表現の問題になります。
例えば小さい子に「牢屋に入れられる」なら理解させやすいですが、「拘置所に収容される」では理解できないでしょう。
しかしこの程度なら良識のある人ならば誰でもできる事です。わざわざ難しい言葉を使う必要もありません。まさか難しい言葉を使って勉強してこいなんて言うわけありませんよね笑

さて次に「完璧な回答」です。そのような回答は存在しません笑
完璧とは欠点が全くないことです。つまり無二の回答です。しかしそのような回答はありません。多様な解釈があって当然だからです。普遍的な回答を求めるのは無理があります。誰にも完璧な回答を示すことは出来ないでしょう。

総じて見ると、全体を通して無意味な文章ということになります。誰もが相応しい回答を示せます。そして誰もが完璧な回答を示せません。
文中にある知性も教養も必要ありません。理解させやすくする良識があればいいだけです。


さてもう一歩踏み込んで、完璧な回答があると仮定するとそれはどのようなものでしょうか。それは「この主張をした本人にとっての完璧な回答」と言えるでしょう。
簡単に言えば自分にとって満足のいく回答が完璧だと見なしてるはずです。他人を主体にすると完璧が成立しないから当然です。こうすれば、「(自分に合わない意見をする)大人がなんと多いことか」という最後の文章にも整合性が出てきますね。

つまりこの人、自分の意見が一番正しいと思い込んでいる自意識過剰な人物だということが言えます。他人を理解する能力が欠けているのでしょう。

ちなみにこの人、論理学を分かってないと言っている人に「君は論理学分かっていない」「その推論は間違っている。教科書見ろ」と、理解の欠片もないことを言ってました笑。つまり「年齢に応じて」の理屈に反しているのです。自分で自分を否定するなんてそうそうできるものではありません。うぷぷぷぷ!