素直に謝れませんでした。
自分の過ちを知ってんのに謝れない。
若き記憶は、謝れない事への辛さに散々悩みました。
未だにそういう時があります。
自分の生まれた学区は、ちょっと変わってました。親の大半が高学歴で、やたら頭のいい子供が揃ってる。全国偏差値では60近くとれても、学校内では50いかない。
頭良ければ、それが一番のような風潮がありました。
なので、勉強ができないと否定された存在に。
なにもない私には、この場所で存在価値が見いだせません。
居るだけで否定されてるように感じてました。
それに加えて、自分が謝る場面になると、自分の存在がとうとう全否定に感じてしまう。
全否定になることへの恐怖で、「謝らない」というか「謝れない」。
だいぶ意固地で頑固で付き合いにくい人に写ってたと思うのですが。こちらとしては、その場所にいるだけで必死なのです。
それでも、この学区を出てから自然に謝れるようになってきました。
自分の存在が肯定されてる環境では、素直に謝れてるようです。
今では、「素直に謝れるか」というのが環境や関係性を図る上での大切なバロメーターになってます。
たまにFacebookで、その学区で一緒だった同級生を覗きましたが、やっぱり「謝れない」気持ちが湧いてきます。