先日、ラジオで

↓こんなエピソードを聴いた。



「産婦人科」としては

メディアで取り上げられるほど

それなりに有名な病院に 

このエピソードの投稿者の妻が

妊娠中の定期検診に出掛けた。



すると医師から



「胎児の心音が聞こえない。

残念ですが、多分お腹の中で

亡くなってしまっているから

中絶の手続きをしてください。」



と言われたのだそう。



それが信じられなかったこの夫婦は、

町の小さなベテラン産婦人科医に

診てもらった。


すると



「フムフム、

確かに心音は弱っているように見えるけど

お父さん、お母さんに会うために

この子は今、頑張ってるよ!」



と。



そして


「どこの医者がそんな事言ったんだ?」


と問いただし、

その“中絶の手続きをしてください”

と言った医師にその場で電話してくれて、



「あー、俺だ!

君は生まれてくるはずの大切な命を

ダメにしてしまうところだったぞ!」



と言ってくれたのだそう。



投稿文は、


“そんな娘は明日、

無事に5歳の誕生日を迎えます”


という言葉で締めくくっていた。



無事に出産されたのだ。



「病院のセカンドオピニオンは大事だね」



と、涙ぐみながら読んでくれた

DJ の温かさが心に染みた。



話は変わるが、

私は助産院で水中出産した。



助産院で出産する場合、

万が一の事があった時の為に

大きな共済病院のようなところと

提携していて、

血液検査などはそこで行う。



だから大病院に三回ほど通った。



それで思い返してみたのたが、

大病院と町医者とでは、

室内騒音のレベルに

大きな違いがあるかもしれないと思った。



三年ほど前に、

婦人科にかかる為に

“町の小さな産婦人科”の門を

生まれて初めてくぐったが、

(私は産婦人科は

助産院か大病院しか知らないので)

その町の小さな医院は

待合室でさえ、

耳鳴りがしそうな程、

静かだった。



産婦人科は訴訟が多いからと

敬遠する医学生が多いと聞いた事がある。



だから数が少ないのかもしれない。



それでその“町の医院”でも

診察券を出してから実際の診察まで

二時間くらい待たされるので、

診察券を出した後、

皆一旦帰宅してしまうのだ。



町医者に来る患者は

殆どがご近所さんなのだろう。



だから待合室には、会計待ちの方か

もうすぐ診察の順番が来る方の

いずれかしかおらず、

患者であっても病名は風邪ではない。



飛び込みで急患がやって来て

バタバタする事も、

産婦人科の町医者ならまずないし、



「今日の体温は何度ですか~?

 どの辺りが痛みますか~?」



等という待合室でのやり取りもない。



皆無言で座っていて、

スタッフも黙々と作業している。



だから待合室だというのに

耳鳴りがするほど静かなのだ。



でも大病院では、

まず待合室では

忙しない人の動く音と共に

ひっきりなしにアナウンスが鳴り響き、

そこに

付き添いの方と患者との会話が加わる。



診察室自体は奥まっていて

グッと静かになるが、

それでも完全防音室という訳ではない。


働く看護師の数も多く、

診察室のすぐ外を行き来する看護師に

患者と妊婦が入り交じり

検査室へ誘導する為に

看護師が患者や妊婦に

声かけをしたりする事もしばしば。


当然会話があちこちで起きるし

そういった雑音が筒抜け状態だ。



だからもし、

赤ちゃんの心音というものが



『町の小さな産婦人科の

耳鳴りがするほど静かな診察室なら

聞き取れるはずの小さな心音が

大きな病院の診察室では 

聞き取れない』



という事態が発生するような、

胎児の状況によっては

微妙な音量加減の時もあるのだとしたら、

こんなハプニングが

起きてしまう事があるかもしれない。



今回の場合が、もし

そういう原因があったとしたら、

このエピソードの方の場合、

セカンドオピニオンを求めた先が

別の大病院ではなく

『町の小さなベテラン産婦人科医』

を選んだ事は

非常に冴えていたかもしれない。



変わって私が出産した助産院では

十年経営してきた中で

一度だけ死産だった事があるのだそう。



でもその時、

母体に問題がなかったので

助産院で普通に出産し

(問題があれば提携先の大病院に

運ばれる)、

死産だった訳だが、

後から生まれてくる弟や妹の為に


『産道を造る』


という大役を果たしてくれたのだそう。



「それが今後生まれてくる

第二子以降の子ども達に

どれだけ貢献する事になるのか、

皆さん想像出来ますか?」



と助産師の先生がおっしゃったのを

今でもはっきり覚えている。



産道を初めて通るのはかなりの労力で

一番勇気のある子が

第一子として名乗りを挙げるのだと。



だから第一子として生まれてくる子は

とても勇敢な赤ちゃんなんですよと。



私は長女と次女では七学年離れているが

下の子の方が

出生体重が500gも多かったのに

二人目の方が出産は楽だったから、

助産師先生の言葉が身に染みた。



第一子での育児の失敗を

第二子以降に活かしたりして、

第一子は何かと踏み石にされる事が多い。



私も、思い返せば

長女には色々可哀想な事を

してしまったなぁと反省しきりだが、

第一子として我が家に勇敢に

乗り込んでくれた意志に

心から感謝している。



こうして無事に生まれてきてくれる事が

そもそも当たり前ではないのだと、

死産された方の話などを聞くと

よりいっそう深く実感するし、

感謝の念も湧いてくる。



そんな長女は、子どもの頃から

性格的にそそっかしく

仕事場では度々重大なミスをしでかして

今現在、大変な思いをしていた。



他の先輩方もミスはするが、

やっちゃいけないミスを

長女はやらかすのだそう。



段々自分の影口を聞くようになり

自分を咎める他の先輩方や上司の

風当たりがきつくなってきたと

泣きつかれた。



私とそっくりな長女だから、

そんな事もあろうかと



「就職する時は


“特に何かスキルが必要ではないが

要領の良さや

ミスをしない事を問われるような

一般事務のような仕事”


には就かない方がいいよ」



と伝えていた。



今やっている仕事は

一般事務ではないが、

やはり単純ミスをしでかす事がある業務。



難しい方程式を解けなくても

難関大学を出ていなくても

それどころか高校生でも

務まるかもしれない業務内容だが、

とにかくミスをしてはならない。



↑こういうのは特に長女も私も苦手だ。



だから長女にはアドバイスした訳だが

どんなに成り行きを

コントロールしたつもりでも、

やっぱり人生は、

まずはシナリオ有りき。


決められたシナリオには抗えないのだと

つくづく実感した。



ところが最近、

ミスをしても周りの先輩方が

優しくなったと長女が話してくれた。



長女は、

まだ“奇跡講座”は始めていないが

日頃から



「起きたアクシデントは、赦すと

未来に起きる別のアクシデントが

(赦す度に)一つ一つ消えていくよ」



と伝えているので、

長女から話があった時、

二人で赦していこう❗と決めたのだった。



赦したから

周りの先輩方の反応が

変わったのかもしれない😍


ママと二人で赦したからだね❗」



と嬉しそうに話してくれた。



長女は赦しの効果を既に実感している。



我が家は産後クライシスに遭い、

長い事、夫は長女に辛く当たって

長女は、生まれてからずっと

父親と確執があって傷ついていた。



何がまずかったのか?

事態が飲み込めなかった私は、

問題の原因を突き止め始めた。



しかし漸く突き止められた頃には

とっくに夫の心も長女の心も、

そしてそんな不穏な空気の中、

元々あまり自分を出さない次女までも、

私達両親に対して不信感が募り、

家族全員の心が完全に離れてしまった。



その後、私は“奇跡講座”に出会い、


全ての試練には

二つの対応の仕方がある


事を知った。



そして

片方だけが自分を幸せにする

という事も。



“脳科学”では既に

私達の脳には思考する能力はなく

与えられたインスピレーション通りに

思考したり行動したりする

受信機能しかない事を明かしている。



そして“奇跡講座”では、

この世界には

巨大なシナリオが存在していて、

歴史はそのシナリオ通りに運行している

という事を明かしている。



歴史は

私達一人一人の生活の集大成だから

当然私達の人生のシナリオも

予め決められていて

その通りに行動するし、

シナリオ通りに物事が起きてくる。



“脳科学”と“奇跡講座”の内容を

組み合わせると、

要は


シナリオに沿った行動をするよう

インスピレーションが飛んできている


というのが

この世界の実態なのだ。



“(何かしらの)物事が起きる”事自体も、

想念の結晶なのだと言われている。



その“想念”の元締め

二つあり

片方だけが自分を幸せへと導く

というのが“奇跡講座”の

いわんとするところなのだ。



①二つの想念の元締めのうちの

一つ目はエゴ


“この世界は実在している”


事を主張していて、

自分が宇宙を作った“神”であると名乗り、

この世界でいかに幸せに生きるかを

目的としたインスピレーションを

送りつけてくる。


それがエゴだ。



②二つ目は聖霊で、



聖霊の基本概念は、


“この世界は実在しておらず、

あなた方も本当は

“地球の住人”などではない。


一見、そこで

本当に生活しているように見えるが

実は地球も宇宙も人類も

何一つ存在してはおらず

宇宙全体が実はホログラムである。


この世界を作ったのは神ではなく

神はこの世界の外側にいて、

あなた方は本当は天国にいる神の子であり、

そこで今も神と共にいる。


あなた方は眠りに落ちていて

この世界はあなた方が想像した夢の中。


いわゆる幻想世界なのだから、

この世界で何が起きるか?は

あまり重要ではない。


しかしあなたがどんな考えを選択するか?

は非常に重要で、それだけが重要課題だ。


この世界は幸せになる事を

目的として作られた世界ではなく、

「いわれのない罰を受ける為」

に作られたもの。


物理次元に執着する限り、

“別れ”という悲しみは尽きる事がない。


だからこの世界を卒業して、

早く天国で目覚めるように” 


というインスピレーションを送ってくるのが

が二つ目の想念の元締め、聖霊だ。



エゴ聖霊も、

どちらも実感は湧かないかもしれないが

この二者の「想念の元締め」から

インスピレーションが

一切送られて来なかったとしたら

私達は

1ミリたりとも思考したり行動したり

する事が出来ない事を 

殆どの方が知らない。



要は私達はパソコン本体と同類なのだ。



ソフトが組み込まれ

操作する者がいなければ

稼働しない。



私達は“ある考え”が浮かぶと

自分で思い付いたように感じる。



しかし残念ながら私達の想念は

全て完璧に自分以外の外部から

コントロールされている。



それが

誤診を冒してしまった医者であっても

精鋭な正しい診断をする医者であっても。



擁護するわけではなく

本当にそうだから言うのだが

私の長女のそそっかしいミスも、

長女に冷たく接する

周囲のスタッフの応対も、

全ての発端となる想念は

当人の知らないところで

コントロールされている。



だから当然

↑の

「胎児が死亡している」

と診断した医師も

飛んできたインスピレーション通りに

診断結果を下し、説明したまでの事。



だとしたら、

医師に罪はないはずだし

問題の根源は医師の診断以前にある。



その“想念の元締め”に目を向けると

一見、エゴの方がまともだと

感じるかもしれない。



しかしエゴは、せっかく


『自分が神であり、

この宇宙を創世し、

この世界の目的は

“幸せになるよう行動する事”』


というインスピレーションを

送りつけてきているのに、

“量子力学”が


『この世界は実在していない』


事を暴いてしまった。



まるで

企業の上層部の企んだリコール隠しに

気付いてしまった社員が

内部告発を始めたかのようだ。



私が出会った“奇跡講座”は、

②の聖霊の言う事だけを聞くように、

と書かれている。



その理由は

私達を含む宇宙全体も、エゴ自体

実は夢の中のキャラクター、

想像の産物であって、

実在しておらず、

この世界は丸ごと


“罰を受ける為に捏造されたもの”


だからだ。



その“奇跡講座”の中では



宇宙を想像したエゴ


『幸せになる事が人生の目的』


というインスピレーションを

人類に送って

そそのかしている割には、

実際には

人々に


『幸せになってもらう』


つもりなんか、カケラも無い事を、

明かしている。



エゴは、


『特定の人に対してのみ

愛情をかけるように』


という事と、

人々にいがみ合いをさせて


『気にくわない輩には罰を与えるように』


というインスピレーションを送るが、

その理由は、

特定の人(主に恋人や家族)にのみ

愛情を感じたり

誰かを恨みがましく思うと

その人にとっては

この世界を実在化させる事が出来、

結果的に

この世界を存続させられるからだ。



反対に聖霊



『アクシデントが起きたら赦そうね。

何故なら

赦すとあなたの中のエゴが解体していき

エゴが完全解体したら

天国で目覚める事が出来るよ。


この世界にしがみついていたのでは

永遠に不安から解放されないよ。


なんせ、“物理次元”には

安心安全なんてものは

はなっから存在しないんだから。


赦して早くこの世界を卒業して

スピリット(霊)に戻ろうね』



と伝えてくる。



私が長女にこの事を説明し、

まず長女が父親を赦した事で

自分の父親に対する

恨みがましい気持ちがなくなった。


その後、父親との関係が良好になったのだ。



それで長女は 


『赦すと本当に状況が変化する』


のだと実感し、

職場の先輩方の事も赦していったら

先輩方の自分への応対が変化した、

という事だった。



私自身も、



『人間関係が破綻したままでも構わない。

大事なのは

“あなたが他人をどう見るか?”だけで

“あなたが他人からどう見られるか?”

はどうでもいいのだ』



という“奇跡講座”の教えを信じて

反りの合わなくなってしまった家族全員を

ひたすら赦しまくったら、

ある日、家族が


『神の子に見え始める』


という奇跡が起きて、

関係も改善したのだった。



私達はどちらかというと、日頃から



『絶対に許さない❗』



と言って復讐劇に燃えるドラマばかり

TV や映画で見させられている。



日本昔話のような、

勧善懲悪なストーリーは

確かに何とも言えない爽快感を

味わう事が出来る。



がしかし、日常生活の中では

赦したもん勝ちだし、

聖霊の圧勝だ。



この世界を夢の中で想像したエゴ


『天国で神に対して罪を犯したと思い込み

その罪悪感から神に叱られると思い込み

本物の神から逃れるために

宇宙を想像して逃げ込んだ。』


という夢を見ていて、

私達はその夢の中の登場人物なのだ。



目覚めて神の元に帰れば

キツイお叱りが待っている。



そう思っているエゴ

家族などの身内に対してだけ

愛情を感じたり、

嫌いな人とは憎み合い、

互いに罰を与え合わせる事で

この世界を存続させようと

躍起になっている。



完全に赦し合ってしまったなら

この世界は消滅して

神の前に戻る他なくなってしまうから

その展開は、エゴにとっては

この上なく困るのだ。



しかし聖霊


エゴに扮する“神の子”に対して

神は全く怒っていない事を知っている。



神の子が

『やらかした!』

と思い込んでいる事を、

本当はやっていないという事を

神と聖霊は知っている。


それらが全て夢の中の出来事だと

はっきり認識しているからだ。



この世界で起きた事は、

誤診でも仕事のミスでも、

それは夢の中での出来事であり、

実際には起きてはいない。



神の子の状況と、我々は全く同じなのだ。



だから私達がアクシデントに見舞われた時、

聖霊



『この世界は夢の中なのだから、

本当は起きてはいないのだから

どんなに起きたように見えても

“起きなかった事”として赦そうね』



というインスピレーションを

送ってくれていて、

エゴ



『絶対に赦すんじゃないよ。

それは本当に起きたんだから。

とことん永遠に相手を恨むように』



というインスピレーションを

送りつけてくる。



エゴ誘惑に乗っからず、

聖霊のインスピレーションを選択して

とことん赦すと

結果は既に長女のケースで

説明した通りだ💕



↑のような産婦人科のエピソードも

悲しい死産も

他人事であっても同様に赦すと

未来に自分の身に起きるはずだった

必要なくなったアクシデントを

一つ一つ聖霊が消してくれる。



この世界のシナリオを組んだのはエゴで、

私達に罰を与える為に

ひどいシナリオを作って

私達を傷付けようとする。


怒ったり悲しんだりすると

それが実際に起きた事になってしまい

物理次元に囚われてしまうが、

赦す事でエゴが解体されていくと、

やがてそれらは

実際には起きてはいなかった事が判ってくる。


そしていずれこの世界から卒業出来、

私達が神の元に還れる事を

聖霊は知っている。



エゴが企んだシナリオを使って


傷付いて終わるのではなく、

赦して形勢逆転を狙うように


聖霊がインスピレーションを

送ってくれているのだ。



この世界の全ての人を

神の子として認識出来る時が来たら

晴れてこの世界を卒業出来る。



どんなに

この世界で幸せになりたい

と思っても、

我が子が無事であり続ける保証なんて

どこにも無い。



“我が子を失う”


というシナリオも、

全てエゴが書いたものだ。



赦して自分の中のエゴを解体出来たら

我が子にもしもの事は起きにくくなる。


それでも我が子にもしもの事が起きたなら

それがきっかけで、赦しを更に実践し

恐らくその人はその後

夢から完全に覚める事になる。



夢から覚めたその時には、

失ったはずの我が子が傍らにいて、

その時、初めて



『“我が子にもしもの事が起きた”

という夢を見ていただけだったのだ』



と判る瞬間が訪れる。



そしてもう二度と我が子と離れない事も、

それ以前に

最初から一度も離れた事なんか

なかったことも

(我が子を失うというアクシデントのお陰で)

一気に全て判る時が来る。



エゴのインスピレーションを選択し

アクシデントを絶対に赦さなかったら

我が子を失う事態が起きるかもしれないし

もし本当にそんな事が起きた場合、

それが本当に起きたと頑なに信じて

そうなった事を更に赦さなかったら

我が子とは永遠に離ればなれだ。



『この世界は実在していない』



と認めるのはなかなか難しいが、

既に量子力学が解き明かしているし、

聖霊のインスピレーションを選択するには

そこも含まれる。



全ての負の感情は赦して手放す事

確実に幸せを掴む方法なのだ。



因みにうちの長女の

職場の先輩方を赦した結果の成り行きが

非常に興味深い。



長女は未だにミスはしているが、

以前なら余計な一言二言がついた

先輩方のお説教から、


余計な一言二言がなくなり

必要な言葉を選んで注意されるだけ」


に変わったのだそう。



赦した結果、聖霊

もう必要なくなった


「先輩方の余計なお小言」


を消してくれたのかもしれない。



長女は


「自分のミスにまつわる一切を赦す」


事で、エゴの解体を図る

というシナリオを生きている。



そして聖霊のインスピレーションは


『アクシデントは

赦してエゴの解体を図る為に

有効活用すべきだ』


と伝えてくる。



赦した時、最もダイナミックに 

エゴの解体が起きるからだ❗


アクシデントの問題を解決する以上に

赦す事は大事なのだと。



一方アクシデントのシナリオを作った

張本人であるエゴ


『アクシデントは

自分に学びや成長を与える為に

起きるものだ』


なんていう風に伝えてくる。



でも


『我が子を失う』


シナリオなんて、何故必要なのか?


当事者を傷付ける目的以外に

何があるのだろう?


どれだけ意地糞悪いと

そういうシナリオを思い付くのか?

と言いたい❗



やっぱり


『この世界が存在している、

という誤った認識を手放し、

この世界を卒業しなさい。』


という聖霊の言い分が

正しいとしか思えない。



だって卒業したら我が子と再会出来て

もう二度と離れないのだから💖



長女の中のエゴが完全に解体されたら

もうミスをする必要は無くなるので

ミスをしなくなるはずだ。


今はどんなに辛くても

我が子を失う悲しみに比べたら

天と地の差があるはず。


きっと赦しのチャンスとして

乗り越えられるはずだ。



聖霊の役割は、

不要になったアクシデントを取り消す事。


間違っても

この存在していない世界で

何かを起こそう

なんて事はやらない。


この世界のシナリオを考えているのは

全部エゴである。



よほどの変わり者でない限り、

いい事が起きるよりも

嫌な事が起きないでほしいと

人は思うもの。



その方法を示唆してくれているのが

奇跡講座なのだ。


奇跡講座で負の感情が救われる