おはようございます。

 

本日はお茶会!

 

雪らしいのですが、そんなの関係ねぇ!←あ、古い?w

 

とにかく楽しんできます!

 

どんなお話しができるかな?ワクワク。

 

 

 

 

 

さてさて、

 

クライアント様から璃音さんの人生を知ると

 

自分も思い通りの人生を手に入れられそうと

 

勇気を貰えるといってもらえることが多く、

 

ぜひブログに載せてください!

 

とおっしゃっていただけることが多いので、

 

思い切って乗せることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

今の私も過去はこうだった。

 

それでもこうなれるなら、私もできるかな?

 

そんな風に諦めないあなたになるきっかけになってもらえれば

 

幸いです。

 

 

 

 

 

 

長いので数日にわけてお送りしていきます。

 

興味があれば読んでみてくださいませ^^

 

 

 

 

 

 

天音璃音☆誕生

 

 

 

 

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アメリカ・ボストン生まれ。

 

 

 

 

幼い時にモンテソーリの幼稚園に行き

 

モンテソーリってなに?という方はこちら☆

 

 

 

 

 

個性を尊重して

自由に育てられる。

 

 

 

 

 

そして、

 

 

やりたいと思ったら迷わずやるのが

当たり前

 

 

と教えられる。

 

 

 

 

 

幼い時の私の性格

 

 

 

 

幼い時の私は

 

誰とでも仲良くできる人気者。

 

 

 

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笑顔いっぱい元気で活発な子でした。

 

 

 

 

 

 

『璃音がいると誰とでも遊ばせられるわ』

 

がお母さんたちの合言葉みたいになっていて、

 

 

 

 

 

 

二人では遊べない子の間にはいったり

 

気が付くといろんな人が集まっていたり

 

 

 

 

 

 

母がお迎えにいくとすでに友達の家に行っていて、

 

まだカーナビもない時代に知らない場所へ

 

お迎えにいくのは大変だったとか。。。

 

(お母さん、ごめん。自由でw)

 

 

 

 

 

 

仲良くできない子たちの間に入って

 

みんなが仲良くできる、そんな目立つ子でした。

 

 

 

 

 

 

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確か、サマースクールだったと思いますが、


仲良くなるのはいつも変わった子。

 

この時も確かこの列から外れている男の子だった気が・・・。w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言語の壁とカルチャーショック

 

 

 

 

両親以外と日本語を話したことがほぼなかったので

 

日本へ遊びに来ると親戚と言葉が通じず、つらくて拗ねて泣く。

 

 

 

 

 

 

しかもモンテソーリの自由な校風で生きてきた私には

 

『みんなと合わせる』 の意味が分からず、苦しむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族の都合で日本へ帰国。

 

父がなかなか日本で就職がうまくいかず、

(母は以前の勤め先にすぐに働きだした)

 

住まわせてもらっていた祖父母か誰かわからないが

 

『働きもしないで家にいて、離婚できないかしらねぇ。。。

 子供いなければできるでしょうに。』

 

別に祖父母は私を可愛がってくれなかったわけではないですし、

 

心からそう思っていたわけではないと思います。

 

何気なく言ってしまった言葉を聞いてしまっただけなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

でも幼心に

 

『私が生まれて迷惑かけてるのかも』

 

『私がいるから両親はつらい思いをしてるんだ』

 

 

 

 

 

 

 

もっといい子にならなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

そう思いました。

 

いい子になればいてくれてよかったと思われるかも。

 

生まれてきて正解だったと思ってもらえるかも。

 

 

だれも頼んでないのに

 

勝手なプレッシャーを自分に与えていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

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大好きだった場所。今もあるのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係を始めて学んだ学生時代

 

 

日本で中学高校と制服が可愛いから通いたい!

 

そう思って通い始めた学校はお嬢様学校でした。

 

 

 

 

 

 

初めてお会いした先生が

 

年配の女性の方だったのですが、

 

入試のときに帰り道がわからずさまよっていた私を

 

両親の元まで連れて行ってくれて、

 

お礼を言うと

 

にっこりと笑顔で

 

ごきげんようと去って行かれました。

 

 

 

 

 

 

あとで入学したあとに

 

まあ、可愛らしいお嬢さんだこと

 

と微笑まれてましたが

 

こんな素敵な方になりたいなと

 

あこがれの女性となりました。

 

 

 

 

 

 

 

と話はそれましたが、

 

友達はそれなりにいて部活も充実していて

 

楽しかったけれど、

 

なんだか満たされない自分がいました・・・

 

 

 

 

 

 

それでもやりたいと思ってみたことはして、

 

このころは確か映画監督になりたくて

 

映画の勉強をしに

 

生徒が私以外大人なワークショップに通っていました。w

 

 

 

 

 

 

今でも行動力あると言われますが

 

10代、20代のころのほうがもっとあったと思います。

 

 

 

 

 

 

でも楽しい一方で

 

このまま大人になっていくのかなぁ。。。

なんだかよくわからないけど生き辛い。

 

となぜか漠然と感じていました。

 

 

 

 

 

 

自分自身はいじめられることはなかったのですが、

 

お金持ちのお嬢様がいっぱいの学校で

 

いろいろな息苦しさがありました。

 

 

 

 

 

 

お金がかかる学校でもあったので

 

ある日、突然学校に行くと昨日までクラスメイトだった子が

 

いなくなっていて、お仕事の都合でと説明はされるけど

 

どこからか噂で

 

あの子のお父さん、お仕事失敗なさったんですって。

 

と聞いて、

 

世の中って厳しいんだなとーとか

成金が無理するからよと聞いて

お金持ちになろうなんて思ったら罰が当たるんだな 

 

と思っていました。

 

 

 

 

 

 

そんないなくなってしまったクラスメイトを

 

どこか他人事でもうやめられたら関係ない的な

 

クラスメイトにもなんか冷たいな~と

 

信用できなかった気もします。

 

 

 

 

 

 

 

でも

 

だからといって敵視するわけでもなく

 

正直どうでもいい気もして、

 

そんな自分もなんか嫌で

 

 

 

 

 

 

 

あの子はおうちがどうだから嫌よね

とか

 

お勉強できないからね

とか

 

そんなのどーでもいいわと思うようなことばかり

 

聞くようになったらなんだかめんどくさくなって

 

もー仲良くなるのめんどくさ!

 

とグループに属さない、一匹オオカミの変わった子でした。

 

 

 

 

 

 

『璃音ちゃんはアメリカ育ちだから

ちょっと変わっていても仕方ないよ』

 

も合言葉のように言われて、

 

帰国生がたくさんいる学校でもこんな風に思われるんだ

 

とたぶんどこかで傷ついていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

だけど、一匹オオカミってかっこよく見えたんでしょうか?w

 

私を見ていた誰かが一人二人と

 

璃音ちゃん、あそぼ?一緒に帰ろ?と

 

だんだんグループになっていた子たちが

 

どんどんばらけていって

 

いろんな子が遊んで遊んでと言ってくるようになって

 

気が付いたらグループがなくなっていて

 

みんな仲良しになっていました。

 

 

 

 

 

 

なんか勝手にこんな子って

決めつけていただけなのかな?

 

と自分が思いこんでいただけなのかもと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと苦手だった子も

 

中高一貫校でずっと一緒だったので

 

気が付くと嫌な子がいなくなっていました。

 

 

 

 

 

 

部活も副部長になって

 

後輩のあこがれになって写真とってくださいとか

 

バレンタインにチョコもらったり、

 

(あ、女子高なのでw)静かな人気者でした。

 

 

 

 

 

 

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部活でロンドンで世界大会があり、2週間ほど演奏旅行をしました。

観光ではいけないようなところや某魔法学校のホールのモデルとなった

教会で演奏させていただけたりとか、今となってはありがたいいい思い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族で再びアメリカへ

 

 

なんか人生ってこんなでいいのかな?

 

人生なんてまだよくわからないものの

 

それでもそれなりにうまくいっていた私の人生、

 

突然うまくいかなくなりだしました。

 

 

 

 

 

 

父は会社を経営していたのですが

 

友人に騙され、会社から追い出されてしまい

 

仕事を失ったのです。

 

 

 

 

 

 

年齢的にも再就職は難しいのでは?と

 

大きな不安を抱え、

 

途方にくれた私たち、家族は

 

知り合いもたくさんいるアメリカへ再び戻ることになりました。

 

 

 

 

 

 

学校に通えない理由をお友達には

 

なぜか恥ずかしくて言えなかったので

 

父の仕事の都合でという理由で

 

再びアメリカに戻ることになったと伝えました。

 

 

 

 

 

 

アメリカに行くというと

 

『外国なんてうらやましい~。素敵』

『あこがれるわ~』

『璃音ちゃん、いいわね~』

 

という言葉ばかり聞く。

 

 

 

 

 

 

それから、

 

外国にいくって素敵な暮らしが待っているという思いに

なんもわかってない。。

誰も私の気持ちなんてわかってくれない

と思って、

 

それなりに順風満帆だった人生に突如訪れた出来事に

 

私は徐々にひねくれて

 

悲劇のヒロインへの道を歩みだしてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金持ちと比べる日々

 

 

 

 

私の記憶の中で

 

ここからどんどんつらい人生(と思いこんでいた)の幕開け。

 

(現在の私はすっかり変わってしまい過去を思い出せないほど

 

なので、過去の日記などからこんなだったっけって

 

記憶をたどりながら書いています。)

 

 

 

 

アメリカに戻った私は、大学に行く前に

 

ハイスクールに少し行くことになりました。

 

 

 

 

アメリカに戻ってすぐは

 

両親が再びビザなどの関係で1,2か月ほど

 

独りぼっちにはなってしまったのですが、

(知り合いの方がいて、本当の一人ではなかったです。)

 

心細くて不安でした。

 

 

 

 

たった1,2か月でしたが、

 

どうして私を置いてくの?

どうしてひとりぼっちにするの?

 

と思ったのを覚えています。

 

 

 

 

でも再び両親は戻ってきたので

 

そのあとは単位はほぼ日本の高校でとれていたため、

 

アメリカでの高校生活は楽しんでいました。

 

 

 

 

カリキュラムは自分で決められて

 

美術やアクティビティは日本にないような内容で

 

ものすごく楽しかったです。

 

 

 

 

英語の授業にちょっとついていけないかもと

 

最初は感じて落ち込んでいましたが

 

しばらくすると友達もできて

 

ハイスクールでの思い出は割と楽しい思い出ばかりです。

 

 

 

 

ほぼ白人の学校だったので

 

最初は私アジア人嫌いだからと言われて落ち込んだり、

 

なにその文章と笑われたりして落ち込みましたが、

 

そんな子に限って意外と丁寧に教えてくれて

 

最後は仲良くなって

 

 

根っからの嫌な人なんていないんだろうな

 

 

と思っていました。

 

 

 

ときどき、両親は喧嘩してはいましたが

 

それでも家族の中は比較的仲良くて

 

そんなに不安いっぱいではなかったです。

 

 

 

 

 

 

それから大学に進みました。

 

 

 

数学がものすごく強い私。

 

日本でも勉強しなくてもほぼ高得点だったのですが

 

誰も知らないと思います。

 

今回の最高得点はこれと先生が黒板に書いた点数を

 

いつもとっていて、

 

○○ちゃんかな?▲▲ちゃんだよ頭いいもん

 

とみんなが言ってるのをふふふと思っていました。

 

そんなだったので

 

アメリカの高校で数学でずば抜けていたので

 

大学からもたくさんオファーをいただきました。

 

 

 

名門と呼ばれる大学からぜひ来てくださいと言われた

 

私が選んだのは

 

お金を一番くれる大学。笑。

 

 

 

 

 

 

 

アメリカの大学では

 

成績が優秀だと学費が安くなったり、

 

お小遣い?みたいなものがもらえたりします。

 

 

なので私は大学でお給料みたいなものをもらって

 

通っていました。

 

 

その代わり、数学が苦手な子や教授の手伝いをしたり、

 

大学で働いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の私は評価より学歴より

 

お金ドキドキドキドキドキドキ

 

私の人生でかなりお金で不安や怖い思いをいっぱいして

 

不安の塊だったので

 

名門とか評価とかよりまず

 

お金ドキドキドキドキドキドキwww

 

 

 

 

 

 

お金をくれるっていった大学も

 

スクールカウンセラーの先生の出身校だったので

 

申し込みするのもなぜかクーポンみたいなものがあって

 

ただだったんです。

 

紹介みたいなチケットだったのか覚えていませんが。。。

 

 

 

 

 

お金がかからないなら

受ける!!

 

 

 

 

 

 

やりたいことよりも

 

期待よりも

 

まず 

 

お金ドキドキドキドキドキドキ

 

 

 

 

 

 

お金があれば幸せになれる

そう本気で信じていました。

 

 

 

 

でも

 

一見、順風満帆に見える生活ですが、

 

家では仕事がうまくいかない両親がけんかの毎日。

 

 

 

未来への不安や、経済的な面などで

 

私たち家族はとにかく不安だらけでした。

 

 

 

 

たまに祖父母に会いに日本へ遊びに行くと

 

父の悪口を延々と聞かされたり、

 

母がかわいそうな話をされて

 

 

 

『なんでお母さんばっかりなの?

 

孫の私はかわいそうじゃないの?

 

やっぱり私、いらないと思われているんだ』

 

 

 

 

なんて、とてもひねくれた考えですが

 

自分は愛されない、

かわいそうな子

 

だと本気でそう思っていました。

 

 

 

 

 

 

あとで祖父母は私をどんなに思ってくれて

 

心配してくれていたかを知るのですが

 

このころはまだ知りません。

 

 

 

 

でも思いこんでいくと

 

なにもかも私はいらないんだ。必要とされてないんだと

 

どんどん信じていったので

 

私は誰にも愛されてないのかも と思うようになっていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして親戚には

 

『お前の父親のせいで大変な目に合ってるんだ』

 

とさほどそんな目にあってないはずなのに

 

ありもしないことで私がなぜか怒られる、

 

そんなことがしょっちゅうでした。

 

 

 

 

 

 

この世に誰も味方はいない。

 

誰もかれもが私を責めて

 

誰にも相談することができない状況になっていった私は

 

だんだんと自分の殻に閉じこもって

 

心を開かないようになっていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本にもアメリカにも居場所がない自分。

 

 

 

文句をいう親戚も母しか心配しない祖父母も

(と誤解していたのですが、)

 

けんかばかりの両親も死ぬほど嫌いで憎んでました。

 

 

なんで、あなたたちのせいで

こんなに苦労しないといけないのよ。

 

なんでみんな自分たちのことしか考えないのよ。

 

 

それでも必要とされたかった私。

 

精神的に参っていた母は次第に私に頼るようになりました。

 

それが重たいのになぜ断れない私がそこにいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の友達はもちろんこの事情を知りません。

 

あとでどうして黙っていたの?

なんか様子変だと思ってずっと心配していたんだよ。

 

 

友人はおもってくれて電話をかけてきてくれたり、

 

アメリカまで遊びに来てくれていたにもかかわらず

 

外国暮らしでいいわ~と言われるたびに

 

本音をいうことなく

 

なにもわかってないと勝手に思って

 

心をどんどん閉じていきました。

 

 

私が話さないんだからわかってもらえるわけないのに

 

勝手に恨んだり妬んだりして、

 

誰も信用しなくなっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学では特待生で成績を落とせないのと

 

お金のために時間があれば勉強をして、

 

誰かに教えたり、教授の前では優等生を演じて

 

 

大学が終わると実家がお店をしていたので

 

それの手伝いをして、

 

 

家に帰ると両親のけんかをじっと耐え、限界でした。

 

 

そんな中、もっと働かなくちゃと外でのアルバイトを始めました。

 

 

 

 

 

②へ続く