んで、リフレッシュ休暇明けの12月15日。
仕事が溜まっていたので、そもそもがむしゃらに働くしかない状態だったんですけど、こういう時、仕事ってすごく助けてくれる。
その時間、あれこれ考えずに済むので結構、頑張って仕事していました。
翌土曜日。病気の話を聞いてから初めて、かつ入院手術するまでに会う最後の日。
車で迎えにきてくれたんですが、顔を見たら反射的に泣くんじゃないか…と思って、笑顔で「おはよう!」というイメージを何回もしていました。
でも、いざ、顔を合わせると、涙は一滴も出なかったです。
「おはよー!
今日、車めちゃくちゃ混んでるんやけど」
「おはよう。やっぱりクリスマス前やし?」
「みんなどこに行くんやろうな
そう、聞いて。昨日、俺、忘年会やったやん、◯◯◯(同僚)がさぁ…」
数週間前と全く同じ生活。
いつもとなんら変わらない会話。
前と何も変わらない三浦さんを見ていると、綺麗事じゃなく、本気で、勝手に悲観的に考え、泣くとかもうやめようと割と早くに思いました。
それがたとえ三浦さんの空元気であったとしても、私が泣くべきでは絶対に無い。
私が不安な顔を向けるのは違うと思いました。
思いっきり号泣したのが1日。
気持ちの切り替えをなんとかしたのが数日。
自分で早!と思う。
けど、心配性の私がそう切り替えられるくらい、いつも通りの元気な三浦さんだったって事だと思うし、またどこかでイマイチ現実味が無かったのもあると思います。
とにかく話を聞いてから深く考え、ズンと落ち込む程、入院手術まで時間がなかったです。
夜に少しだけその話をしました。
「病気の事、ビックリさせてごめんな
直接言えんかったわー丸投げでごめん。笑」
「いや、電話で私は良かった。
なんとなく整理する時間が出来たし。100パー大丈夫やと思ってるから、一瞬落ち込んだけど早くも完全に立ち直った」
「俺もよ。一瞬は、え…と思ったけど、誤診ちゃうかなと若干思ってるもんな、未だに
昨日の忘年会も4時帰宅よ」
「いや、そこはもうちょっと身体を考えてよ」
「だって嘘じゃなくほんまに辛い部分が無いし、俺が一次会なんかで帰ったら皆に変に不審がられるしさ暴飲暴食は控えてるよ、一応。」
「無理だけはしないでね、そこは本当に。
何か私に出来る事はある?」
って聞くと、
「なんだろうな、手術後、行きたい所あれば教えて。そういう計画があると頑張れるから。体調が読めないからひとまず近場から。」
「分かった。候補考える。」
「あとはまぁ普段通りで。
何気にそれが一番助かるし有難い。もし辛かったら辛いってのは絶対に言うようにするから、変な気遣いとか遠慮とかは無しで。」
皆さまにもすべてが事後報告で申し訳ないですが、手術は終わり、無事、退院しています。
今でも、たまに涙腺が緩んだり、もしもの事を想定すると結構メンタルがやばくなる瞬間があるのですが、根本的に気持ちはなんとか大丈夫です。
ブログもしばらく無理やなと思いました。
当分、三浦さんとの楽しい事なんて書けないだろう、ブログを書く気分にならないだろう…ってそう思うくらい一時的に気持ちの浮き沈みがあったんですけど、お願いされた事の1つが「今までと変わらないで欲しい。今までと同じが良い」って事で。
そう約束したので、このせいでお休みするのはやめようと、なんとなく漠然と思いました。
昨年と同じテンションでブログ発信出来ない時やカラ元気の時もちょこちょこあるかもしれませんが、私がいつまでも気を落としてクヨクヨしていたら、これはダメだと思うので。
病気のことも引き続き書くとは思いますが、闘病ブログって感じではなくて、今まで通り、仕事の事、友達との事、趣味の事。そして三浦さんとのどうでも良い話。書いていきたいと思います
今回、突然のご報告で「え!?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
ビックリさせてしまい申し訳ございませんでした。
我々は相変わらずの感じでやっていきますので、どうぞ今までと特に変わらない目で見て頂けると嬉しいです。
いつか私がブログをやっている事を三浦さんに言える時が来たなら、こんなに沢山の方が一緒に応援してくださっていたんだよって事を伝えられたらと思います。
またこの件はもう少し細かく何記事かに分けて書いていきます。話が前後したり配信がゆっくりペースになったりすると思いますが、今現在の事まではまとめて数週間で書こうと思っていますので、のんびりとお付き合い頂けると嬉しいです。
(ただ場合によっては中断するかも。その時はごめんなせー…)
烏滸がましくもこのブログから1人でも多くの方が定期検診に足を運んでくれますよう。