この世では、目上・目下という言葉が存在します。ただ単に、年齢の差だけを言っているだけならよいのですが、この言葉には、差別的なものを感じます。特に儒教では、目上の人を尊敬しなさいという教えがあります。老いた人をいたわるという意味だけなら良いですが、これまた差別的なものを感じます。老いた人というように、誰々を尊敬しなさいというように特定するから駄目なのです。目上目下に関係なく相手が誰であろうとどのような心であろうと、すべての心を尊敬すること、そこにその心が(人でなくとも)存在しているという価値を認識し、その心が幸せであるようにすることが、人間としての正しい心持ちなのです。その心を幸せにするとは、他のために生きるとは、助け合って生きるとは、相手を尊重尊敬するからこそできることなのです。相手を尊重尊敬するには、相手が誰であろうと、決して目下には見てはなりません。その逆に目上にも見てもなりません。目上に見るということは、相手から見れば自分は既に目下になっています。しかし、このようなことをどれだけ声を大にして言ったところで、できない人はできないです。中には、相手を尊重尊敬するどころか、心ない批判を浴びせたりする人もいます。また、極悪非道の心を持った者もいます。そのような人たちを尊重尊敬することは、やはりできません。しかし、それは筋書上の仮の心、そういう役をしてもらっているからこそ、この世の筋書が成り立つのです。心の本質は善ですので、筋書上の仮の心は尊敬できなくとも本質の心は尊敬できます。本質の心は尊重尊敬して、筋書上の仮の心は否定してください。(罪を憎んで人を憎まず)お互いが、相手を尊重尊敬すれば、否応なしにお互いが幸せになります。しかし、尊重尊敬できない人を尊重尊敬しても、お互いとも幸せにはなりません。醜い心の人を尊重尊敬するほどに、醜い世の中となってしまいます。つまりのこと、この論理は、お互いが尊敬尊重し合うことの出来る者同士にしか成り立たないということです。その心を幸せにするとは、他のために生きるとは、助け合って生きるとは、それが出来る者同士でないと成り立たないということです。では、それができない者はどうしたら良いのかと言うと、自然の摂理の中で生きるものとなれば良いわけです。自然の摂理は、様々な動植物が、無意識のうちに助け合って生きるように仕組まれているのです。但し、地球の自然の摂理は、弱肉強食という醜いところがあります。これは筋書上のこと、地球上のことです。宇宙の自然の摂理には、そのようなことはありません。この世では、自然の摂理で生きるものもそうでないものも一緒になって修行しています。したがって、すべての地球人がお互いに尊重尊敬し合って生きることは不可能です。いずれ、予言「7.地球人が二分化し始める。」にあるように、尊重尊敬し合って生きることのできる者とできない者は二分化していきます。(どちらが良い悪いということではありません。)************************************************************※アメンバーの申請についてアメンバーの申請をされる方がおられますが、アメンバー限定記事は、ウェルテック・ジュジュメンバーの専用記事です。したがって、アメンバー限定記事を読むには、まず、ウェルテック・ジュジュのメンバーとなってください。ウェルテック・ジュジュのメンバーになる方法は、ウェルテック・ジュジュホームページの問い合わせフォームからお問い合わせください。↑1日1回クリックしてください。小冊子「煩悩のあいうえお」「プラス思考」「霊障」■お申込みは、 http://wellju.net/booklet.html より■Part4[心]のお申込みは、http://wellju.net/hadou/hadou4.htm#part4 よりhttp://wellju.net/
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