セブ島には夜の到着、ここでも空港でクリスマスツリーがお出迎え。窓から眺めるだけでもダバオよりは遥かに都会であるが、それ故にホテルまでのタクシーが大渋滞に巻き込まれて全く進まない。

 

マリンスポーツとは全く縁が無く海はビールを飲みながら眺めるものである私なので、ここでやるのはスペインやアメリカ合衆国の痕跡を訪ねる歴史散歩。主要な見どころは旧市街にまとまっているので散策にもってこいであるが、暑いので水は欠かせない。

 

まずはサン・ペドロ要塞に向かう。カリブ海に面する主要なスペイン要塞と比べると規模は小さいものの大航海時代を想起させるには十分。青空の下でここを散歩すると東南アジアとは思えなくなるし、フィリピンはアジアのラテンであることを実感する。

 

 

お隣には2023年8月に開館した国立博物館の分館、米西戦争後の1910年に完成した税関を改装して博物館にしたものだから、こちらはアメリカ合衆国の遺産となる。主な展示品は中国やタイで生産され近隣で発掘された陶磁器だが、マゼランが上陸後に十字架を建てミサを挙行した絵画が展示されているあたり、セブの歴史展示をもっと充実させようとする意思を感じる。

 

 

要塞の向かいは独立広場(Plaza Independencia)で多くの住民の憩いの場となっている。ここにあるのがマグサイサイの銅像。フィリピン大統領としてよりも、私を含めて死後に創立されたマグサイサイ賞の名称で知った向きも多かろう。日本人も多数の受賞者がいる賞であるが、東南アジアの関わりでは一村一品運動の平松守彦元大分県知事が代表格であろうか。

 

マゼランが上陸後に建てたとされる十字架は、さすがに当時のものではないだろうがマゼランクロスとして展示されており、敬虔なカトリック教徒が集う場所となっている。

 

 

その横にはサントニーニョ教会 (Basílica Minore del Santo Niño de Cebú) がある。ここに安置されているサントニーニョ像もマゼランゆかりとされており、こちらも信徒の長い行列ができている。

 

 

2つ隣のブロックにあるのがメトロポリタン大聖堂、入ると結婚式を迎える内装に仕上がっていた。隣の建物は博物館で過去に使われた聖具や祭壇などを展示しているが、中庭にはキリスト教伝来500年を記念する十字架が置かれている。

 

 

 

ここから北に少し歩くとセブ島の歴史を石像で表現した Heritage of Cebu Monument にたどり着くので、ぐるりと一周して鑑賞。

 

 

次いでは古の建物を連続。17世紀に建てられた商人の家が残る Yap Sandiego Ancestral House に向かう。邸内の各部屋には所狭しと調度品が並べられるが、ごちゃごちゃした配置が醸すやり過ぎ感、日本の田舎町によくみられる民俗博物館の趣がある。

 

 

カサ・ゴロルド博物館 (Casa Gorordo Museum) は19世紀中頃に建てられた司教の建物を博物館として公開しているもの。こちらの展示は博物館を名乗るに相応しいものであり、各部屋の展示は小綺麗にまとまっている。カフェが敷設されており中庭の芝生を見ながら一休みするのもよし。

 

 

1730 Jesuit House はなんと工場の中にある。もとは倉庫にするつもりが歴史的価値を認めて公開するに至るという経緯はこちらの記事にもあり、壁に打ち付けられた1730年を信じればセブでも最古級の建物となる。流石に調度品は当時のものではないか。1730年といえば日本では鎖国の真っ只中で暴れん坊将軍が活躍していた頃。

 

 

最後にGrabで車を拾って山の中腹にある道教寺院を参拝。ここからはセブの市街地を一望できるが、高層ビルが多く(建設中も多い)発展の著しさが伝わってくる。

  

 

こちらは駐車場。扁額に刻まれるのは「函谷関」、そこまでやらなくても(苦笑)

 

市街地に戻るのも少々待たされるがGrabで車で拾うのみ。ラウンドアバウトには巨大なクリスマスツリーが登場し市民の心を刺激する。

 

翌日は帰国日で午前中はショッピングモールで買い物。渋滞を気にして早めに空港に向かうがスムーズに到着して時間を持て余す。なれば最後にセブ島の名物料理を食うぞと豚の丸焼きレチョン、パリパリに焼けた皮が美味いのだ。揚げた豚皮をチチャロン(Chicharrón)、豚の丸焼きをレチョン(Lechón)と呼ぶのは中南米も同じ。

 

 

セブ→マニラはエアアジア、乗り継ぎに余裕を持たせたが定刻通りのフライト。悪名高いマニラのターミナル間の移動はバスが来るのに20分は待たされたか。JALのラウンジでカレーを食べて腹ごしらえして夜行便で帰国。次は海を見ながらビールを飲みに行きたいかな。