昨日は心療内科の日だった。

 

行く前から先生にお話しを聞いてほしいと思っていたことがあった。

見たくない書類、見たくない単語、そういうものを目にしただけでパニック状態になること。

娘のところに行こうとしてしまうこと。

今もいつも待ち合わせしていた場所に行けば娘が待ってるんじゃないかと思ってしまうこと。

それで結局、悲しく寂しく苦しくなること。

たくさん質問をした。

 

昨年の入院、毎日の採血結果、さまざまな検査を受けるための説明書類や同意書、

それら全て、今の私は見ることも触れることも出来ない。

それを見るとあの時の感情まで生々しく思い出される。

息が苦しくなる。

 

先週どうしても私が署名しないといけない書類に見たくない単語があった。

パパがこれに名前書いて、っていきなり私のところへ持ってきた。

その時、ぜんぜん別の書類を見ていた私はその関連書類だと思い込んで目を通し始めた。

「死亡」

その単語が目に入った。

文章の中だったのか、項目として書かれていたのかすら覚えてない。

とにかく目に付くところにあるのが嫌ですぐに「今はこんなもの書けない」と泣きながらパパに返しに行った。

そこから感情が抑えられなくなった。

娘のところに行きたい、衝動的に行動を起こし続ける私を必死でパパは止め続けた。

何時間もそんなことを繰り返した。

 

この出来事を先生にお話しし、今後も必要になってくる見たくない書類を見ること、それについて人に会って説明しないといけないことが怖いです、と伝えた。

先生は「もう数ヶ月経っている出来事が、まるで昨日の事のように鮮明に思い出され、その時の感情まで蘇ってくるのはPTSDの典型的な症状です。今はそういった見たくないもの、見ると苦しくなるものはご主人にお願いするほうがいいですね。ご主人もお辛いと思いますが」と仰った。

 

本当は私も一緒に向き合っていかなければいけないこと。

今の私たちが娘のために出来るたった1つのこと。

それなのに今の私は正式に向き合うことすら始まっていないのにこんな状態。

情けないなと思う。

りおちゃんはしんどいことも、痛いことも、嫌なことも、怖いことも、全部立ち向かって闘ってたのに。

親の私はこの有り様で。

 

娘が待ち合わせ場所にいるんじゃないか、と考えてしまうことも現実をまだまだ受け入れらていないからで、これについてもまだまだ時間がかかると思います、とも言われた。

これも結局、待ち合わせしていた頃のことを昨日のように感じているからだと。

時間がかかるのは、それだけ大切な存在を喪ったということなのだから、時間がかかって当然ですよ、と言ってくださった。

 

今でもPICUから職場にいる時に電話がかかってきた時のことを思い出す。

手術の同意書が必要だからすぐに来てください、と。

電話で、この処置をしなければりおちゃんの脚を切断することになりますと言われ、職場でパニックになった。

泣きながら上司に話をし、病院に戻った。

こんな苦しい場面を思い出すこともあれば、笑顔のりおちゃん、家族で楽しく過ごした時の事も思い出す。

でも楽しかった思い出さえ、結局は今、目の前にりおちゃんがいないから苦しくなってしまう。

 

先生は、「楽しかったこと、笑顔の娘さんを思い出すのも必要なことですよ。娘さんが望むのはそういう楽しい場面を思い出すことのほうだと思いますから」と仰った。

 

苦しくて思い出したくない事も、楽しかった思い出も、どちらも思い出す。

この両方に意味がある。

苦しかったことのフラッシュバックが無くなり、楽しかったことを思い出して懐かしく感じられるようになったら、「治った」と言えるそうだ。

そんな日が来るとは今の私にはとうてい思えないけれど。

 

 

昨日も先生のところに行く前にお花屋さんに寄った。

やっぱり黄色と水色はりおちゃんの大好きな色だから外せなくて。

水色のお花は種類が少ないから、また同じでごめんね。

でも昨日はかわいいピンクも入れてもらったよ。

気に入ってもらえたかな。

 

 

りおちゃん。

今のママはね、弱すぎてパパと一緒に向き合っていこうと決めたことからも逃げたくなってしまう。

ごめんね。

りおちゃんは強くて優しくて何でも一生懸命に頑張れる子。

それなのにママはこんなでごめん。

 

りおちゃんが大好きすぎて、逢いたすぎて苦しいよ。

笑顔が見たい。

声が聴きたい。

抱きしめさせてよ。