日本の英語教育は、大きく分けると二つに分かれます。
英語を難しくしたい人と、英語を簡単にしたい人です。
そして現実には、多くの人が「英語を難しくしたがる側」に寄っているように見えます。
英語提供者の彼らにとっては英語は難しく、複雑で偉大なる習得不可能であってくれた方が都合が良いからと言うことになる

そう考えると、実は英語とは不思議と難しくも、簡単にもどちらにもできるものだということがわかる

とは言え、e15提供者からすると教えている生徒がすぐに自分に応じてしまっては困るために英語は難しく、偉大で習得不可能に差しておいた方が超が良いと言うわけだ

なぜか。
それは、英語を教える側・提供する側の立場に立ったときに起こる心理が関係しています。

もし「英語は意外と簡単だ」「短期間で話せるようになる」といった内容を提供すると、生徒さんは強く感謝します。
実際、成果も早く出ます。
しかしその一方で、教える側には別の不安が生まれます。

「もし数か月で、生徒が自分と同じレベルで話せて、聞けるようになってしまったらどうなるのか」
「自分の価値は下がってしまわないか」
こうした不安に、無意識のうちにさいなまれることになるのです。

そこで取られやすい態度が、
「英語はとにかく難しいものだ」
「簡単には身につかない」
という姿勢です。

細かい文法。
ほとんど使われない単語。
厳密すぎる発音記号。
それらを完璧にやろうとすると、一生かかっても終わらないような内容になります。

しかし、そうしておいた方が、先生としての権威は保ちやすい。
なぜなら、日本にははっきりとした「英語マウント」が存在するからです。

英語マウントがある以上、
先生が生徒との間に差を作れなくなると、
「先生である意味」が揺らいでしまう。
これは、先生という立場にいる人ほど、強く感じる問題だと思います。

一方で、私は少し立場が違います。
私は「英語の先生」というより、英語の研究者に近い存在です。
だから、生徒さんには、できるだけ早く
「聞けるようになって」
「しゃべれるようになって」
ほしいと思っています。

もし生徒さんが、私と同じように英語を使えるようになったとしても、
それ自体は何の問題でもありません。
むしろ、それが目的です。

では、差はどうするのか。
私の場合は、「英語で人を笑わせる」という別の部分で差を持っています。
だから、英語そのものが追いつかれても構わない。
英語が上達する人が増えること自体を、素直に喜べます。

もちろん、他の先生の気持ちも分かります。
常に差を保たなければならない立場は、正直しんどい。
その苦しさは、理解できます。

ただ、生徒さんの立場から見れば話は別です。
「できるだけ早く、英語を聞けるようになりたい」
「早く、しゃべれるようになりたい」
これは、とても自然な願いです。

その願いを叶えてあげたい。
私は、ただそれだけをシンプルに思っています。
英語教育とは、本来そういうものではないでしょうか。

TOEICテストが近年「難しくなった」と言われる背景には、試験そのものの性質が大きく変化したことがある。3年ほど前までのTOEICは、ある程度の対策をすれば誰でも素直に点数を伸ばせる“攻略型”の試験だった。設問の傾向も明確で、パターンも読みやすく、努力すれば確実に成果が出るという分かりやすさがあった。しかしTOEIC側も、その“攻略のしやすさ”に対応する形で、徐々に試験内容を複雑化させ、正解の選択肢にわざと曖昧さを混ぜるようになった。受験者の脳の処理能力をじわじわと消耗させるような仕掛けが増え、単なる英語力ではなく、集中力や瞬時の判断力まで試される構造へと変わっていったのである。


特に顕著なのが、リスニングのパート3における新しい形式だ。以前は、会話文の前半から中盤を聞けば大まかな内容や方向性が読めたため、深追いしなくても「この流れなら答えはこれだろう」と推測できた。脳に大きな負担をかけずとも正解にたどり着ける“素直な問題”が多かった。しかし現在は違う。会話の途中で話者の意見や結論が突然変わるような構造が増え、受験者を意図的に揺さぶる仕組みが組み込まれている。


たとえば、話の流れから「Aが良いと思っているのだな」と理解していたら、終盤で話者が「あ、やっぱりBのほうが素敵だね」と意見をひっくり返す。そうなると、直前まで正解だと思っていたものが一瞬で不正解に変わり、最後の最後まで聞き切らない限り正確に答えにたどり着けない。これは英語のテストというよりも、受験者の注意力と精神力を試す“集中力ゲーム”に近いとも言える。


こうした構造は、解答の曖昧さを増幅させ、受験者の脳に大きな疲労を与える。明らかに正解だと思う選択肢を持ちながら、「しかし最後で裏切られるかもしれない」という不安が常につきまとい、脳のリソースが余計に消費される。その結果、本来であれば英語は“負担を軽くして意思疎通できる道具”のはずなのに、TOEICではむしろ脳を疲れさせる方向へ向かってしまっている。


これは日本の試験文化とも深く関係している。日本式の英語試験では、つまらない文章をどれだけ正確に読み解けるか、どれだけミスを排除できるかといった“作業耐性”が重視されがちだ。英語の本質である「言語としての深さ」や「思考の広がり」ではなく、“どれだけ負荷に耐えられるか”で難易度を作ってしまう傾向があるのだ。真の意味で英語の深さを問う問題は、まだ一般的ではないのかもしれない。


とはいえ、試験としては難しすぎても、逆に簡単すぎても成立しない。全員が解ければ100点が並び意味がなくなるし、難度を上げすぎれば全員が0点になる。こうした制約の中で、TOEICは「ちょうどいい難しさ」を保つために、処理能力や集中力を揺さぶる方向へシフトしているのだろう。そう考えると、日本における英語試験というものは、本質的に“非常に扱いの難しい存在”なのだと改めて感じる。


関西には、長年の積み重ねで洗練されてきた「儲かりまっか? ぼちぼちでんな」という独特の挨拶フォーマットがあります。この挨拶は、関西の人にとってはほぼ“自動運転”のようにエネルギーを使わずにスッと出てくるものです。しかし、関西文化に不慣れな人がいきなりこれを1から身につけようとすると、「なんだか難しそう」「ハードルが高い」と感じるのも当然です。

ただ実際のところ、やるべきことは非常にシンプルで、「地域にすでに存在しているフォーマットを覚えるだけ」でいいのです。一度その形を体に入れてしまえば、現地の人と同じように、ほぼエネルギーゼロで自然に使えるようになります。これは、いわば“んなアホな”と言いたくなるほど簡単で、すばらしい仕組みなのです。


実は、英語もこれとまったく同じ構造で動いています。英語にも、「エネルギーをほぼ使わずに成立する会話フォーマット」が存在します。ネイティブは、何かを言う時に毎回創造的に文章を組み立てているわけではありません。ほとんどは、特定の状況で“自動的に口をついて出る”テンプレート表現で成り立っているのです。


たとえば、食事をしたときのリアクション。日本語では「おいしい」「うまい」「めっちゃ美味しい」など無数の言い方があります。ところが英語になると、ネイティブのリアクションは驚くほど固定されています。ほとんどが以下の3パターンで済むのです。


① So good!(うますぎ!)

まず真っ先に出るのがこれ。圧倒的に頻度が高く、3文字の“SO”だけで意味もニュアンスも十分伝わります。


② I’ve never had anything like this.(こんなの食べたことない!)

感動度が1段階上がったときに出るフレーズ。日本語では思いつきにくいですが、英語ではこの表現が決まり文句のように機能しています。実際、耳を澄ませば「ライクダッ(like that)」といった似た音声をよく聞くはずです。


③ The best ○○ in my life.(人生で一番の〇〇だ)

英語リアクションの頂点に位置する表現。 “the best ramen in my life”“the best dinner in my life”など、なんでも“the best in my life”で処理できます。


この3つだけで、アメリカ人の食事リアクションはほぼ完結します。大阪の「儲かりまっか?」がフォーマットで成立しているように、アメリカの食卓リアクションもまた“アホみたいに”シンプルで強力なフォーマットなのです。


そして実は大阪にも、もう一つ素晴らしい反応フォーマットが存在します──(ここから続く内容につなげられます)。