その日は空がどんよりしていて、わたしは足早に空港を駆け抜けていた。

迎えに来てくれた姉の目は赤く腫れていて、1週間前にもわたし同じようなこの光景。

でも今回はひとつだけ違った。


そう、11月29日 午前11時11分、父が他界した。


初めて身内を亡くしたとき、通夜や葬式など以外と知らないことばかりで

涙を流すタイミングさえ失って本当にバタバタする。


私が父がもうこの世にはいないと実感したのは、出棺の時。

身体を触ったときに、

ああ、人間の身体ってほんとうに魂の器なんだと思った瞬間。でも涙はそのときは流れなかった。


霊柩車に乗って火葬場に向かうとき、あんなにどんよりしていた雲間から光が差した。

まるで父がその光に吸い込まれていくような感覚さえ覚えた。

そして、2人でよくわたしが免許を取ったときに練習した農道を通り抜けるとき、

見慣れた光景だがもう父は見ることが出来ないと思い、遺影をずっと窓に向けて火葬場まで走った。



父を火葬するとき、色んな出来事や思いが浮かんだ。

わたしがカミングアウトしたとき、動揺する素振りも見せず、それどころか泰然としていた父の顔。

ごめんなさいのほうが、圧倒的に多い生き方をしていた私なのに、あふれてくる言葉は

ありがとうしか無かった事。

わたしを身内の恥にしなかった父。

橋の下の捨て子同然だった私を救い上げてくれた父。



涙がとまらなかった。



そして1時間半ほど経った。



遺骨を壷に箸で収める作業。かかとの部分から頭に向かって収めていく。

最後はのど仏を入れて終わりなのだが、父のそれが仏様が手を合わせてまるで微笑んでいるような

なんともいえない不思議な形だった。



その壷を母が持って最後は父が帰りたがっている家へ向かう。

火葬場を出たとき、雲間も泣いていた空も明け、虹が二重になってかかっていた。




ひと月経って、ようやく落ち着いたので四十九日が来る前に父への想いを書かせてもらいました。


亡くなる1週間前に短い休暇を頂いたときは、もう父は話せる状態じゃありませんでした。

定年して15年間病気をしてしまって、ほとんど病院と家で過ごした父、楽しいことや嬉しいこと

あったのかな?って思うことがあったのですが、

実は父は今夜が山と言われて午前11時11分まで頑張ったのですが、

その数字、実は母の誕生日なんですよね。



私は父なりの粋だったと思ってしょうがないのです。