明日はもう1校の大学の合否が出ますゥ

2つ受験したうちの1つは落ちているので、最後の希望ですゥ。

生きた心地がしない毎日ももう終わるのか…。嬉しいような怖いような。

 

ここらで今までのこと、どうして韓国の大学へ編入をきめたのかを

自分の頭を整理するためにもまとめようと思います(∩・∀・)∩

 

 

−もともと海外や留学へ憧れがあった

私は中学の時にアメリカに海外研修をしたこともあり、ずっと海外や外国語へ対する興味がありました。でも人と違う道に進む怖さがあったので中高の時は何か特別する訳でもなく”普通”にいきていました。普通に大学受験をし、普通に大学に入り、普通にサークルを楽しみ…ほんと普通の大学生でした。大学生になってからはろくに勉強もせず遊んでばかりでしたが、どこかで海外への憧れはありました。

 

–韓国語との出会い

大学2年の時に韓国へ興味を持ち始めました。それはたった1つのドラマが原因でした。もともと韓国へ良いイメージを持っていなかった私が、「韓国ドラマ」というたった1つのコンテンツによって韓国という国のイメージまでも変えました。興味のなかったところから好きになるまでの時間はほんと一瞬でした。(この経験がメディア社会学への興味へ繋がる)

周りの友達も「どうしたの?突然」と驚くほど。大学3年になる前の春休みに取り憑かれたように勉強を始めました。あんなに勉強が大嫌いだった私が毎日カフェに通って勉強している姿に両親も何があったんだ?というような顔で見ていました。英語ではなくて韓国語ならやっていけるそんな感じがして、必死に勉強しました。それが2016年2月の話です。

 

-大学3年生 就活

日本の大学生は大学4年になる前の3月が就活解禁時期です。私は3年生に進級した時点で就活を意識するようになりました。先にスタートダッシュをきり、今まで失敗続き(中学受験・大学受験)だった人生だったのでここで成功させたいという希望がありました。大学で開かれている就活セミナーには通い、ワンデーのインターンに参加し必死に情報を集めていました。

 

-韓国大使館 SNSリポーター参加

そんな大学3年生6月ごろ。就職の時のESに何も書くことがないことが不安で資格やら国際活動などを調べ始め、SNSリポーターの存在を知りました。応募動機はほんとESにかける・就活に有利になるかもそんな甘い考えでした。そんなノリで出したのにも関わらず書類審査が受かり、面接も通過してなんと10倍もの倍率を勝ち抜き選ばれてしまいました。あ〜受かりやすいやつだったんだな〜とか勝手に思い発足式に参加したのですが、名簿を見て驚愕。有名大や韓国語ペラペラ英語ペラペラな人だらけ…。

本当すぐにでも発足式から逃げ出して帰りたいほど一人だけ中身空っぽのくせに座っていました。

自己紹介と意気込みを一人ずついうというコーナーでみんな「〇〇に参加経験があります」「〇〇ができます」と自分の能力を紹介する中「韓国人ぽいと言われますが韓国語はほとんど喋れません(๑>◡<๑)」

みたいに小笑いを取るので精一杯でした。そこで自分の経験のなさ、能力のなさを突きつけられたようでした。

 

-大切な友人との出会い

そのSNSリポーターで今でも仲良くしている学年が1つ下の友人と出会いました。たまたま同班に分けられた彼女は宣誓文を韓国語で読み上げるほど韓国語が堪能で「世の中にこんな人いるんだ」と驚かされました。

ネイティブが見てもわからないほど発音もうまく、羨ましい、、こうなりたいと思いました。この子とは2017年3月から半年した留学中ほぼ毎日共にして、たくさんの韓国人と遊びました。一個下なのに私よりしっかりしてるのでオンニと呼びたいくらいです。

 

 

-3週間の語学研修

同じ年の夏2016年8月には3週間の語学研修のため成均館大学の語学堂に通いました。これも「就活の時に留学経験ありって言えるし留学したい」というノリでした。3週間なんて今考えると旅行程度ですが、その時は初めて海外に一人で出る一大イベントだったので空港で両親とお別れする時少し泣いたような気がする。学校自体は日本人だらけでそこまで楽しかった覚えはないのですが、その時にしたシェアハウスの経験は本当に大きかったです。初めての一人暮らしに初めての外国人との共同生活。ここでも私の初めての韓国人の友達であり今でも仲良くしている大好きな韓国人の友人ができました。

 

-2016年 夏を終え 改めて就活?

大学3年の2学期が始まったころ…就活のためにやったはずのSNSリポーターと短期留学が違う影響を与えました。「もっと勉強したい」こう思い始めたのがこのころだったんじゃないな。SNSリポーターでこの世にはすごい人が沢山いると思い知らされ、短期留学で韓国人の勉強についてや外国語を話す楽しさ、外国で生活する楽しさに気づいちゃったんです。「就活なんかしたらもったいない!私はもっと海外で学びたいんだ」とお母さんに話すと、最初は「就活しなさい」と言っていた母も私が人生で初めてやりたいことを見つけてやっている姿を見て「1〜2年くらい好きなことやりなさい」と言ってくれるようになりました。しかし条件は日本の大学を卒業することでした。

 

-2017年3月〜 半年留学

日本の大学を卒業後韓国の大学に編入するという道を考え始めたのは大学3年の11月ごろだったと思います。

それからは就活を全く考えず留学情報だけ調べ韓国語の勉強をする毎日でした。大学4年の前期みんなが就活をしている間、語学留学をすることにしました。(編入するにしても韓国語の能力が足りなかったため)

 

 

-2017年9月 帰国

半年の留学中もたくさん経験しましたがこれはまたいつか。帰国と同時に現実に帰ってきた気分でした。同期たちはもう就職先を決め卒業後の進路が決まっているのに私は決まっていない。本当に留学なんかしていてよかったのか?いまからでも就活した方がいいのか?突然不安感に襲われて就活をはじめました。

 

しかしその就職活動で「韓国でもっと勉強したい」という自分の中にあった意志の強さをあらためて感じやめてしまいました。(2ヶ月弱の就活)おそらく続けていたら就職先は見つかったとおもいます。が、それが私の求めていることなのかよく考えて、日本で安定に仕事をするのはもう少し学んでからにしようと。

 

-卒業論文

そして韓国の大学に編入すると決めた要因の一つが卒業論文制作でした。私の大学では大学3年の3月から卒論を書き始め大学4年の12月に提出というスケジュールです。留学の時期にかぶっていたので韓国で書いて一時帰国でゼミに参加して…と苦労して書いた大作です私的には。内容も日韓のことについて社会学・メディア中心に書きました。恥ずかしながら大学生活で初めてこんなに真剣に取り組んだのでその分思い入れも強かったです。先行研究を読んでいる時に学ぶことが多く、毎日新しいことを取り入れている感じが楽しかったです。

 

そんな卒論の中でインタビュー調査を行い、韓国の大学生10名と日本人の大学生10名にインタビューする機会がありました。韓国人も日本人も私の知人の中で行ったんですが、仲良くしている友人に歴史.政治について聞くのは初めてで少しドキドキしました。韓国人のインタビューは30分以上かかるのに日本人は10分で終わってしまう。そこで韓国人と日本人の歴史.政治に対する考え方意識の違いが顕著にでて驚くと同時に、韓国から見た日本が見たくなりました。

 

 

-ゼミの教授

私の学部は3年・4年で同じゼミに入り、卒業論文制作に向けて勉強します。私は人生に迷った時教授室を訪ねては相談しました。そのたび先生は強く反対も強く賛成もせずにいつも「この話をしにきてる時点で自分の答えは見つかっているんでしょ?」と優しく聞いてくれていました。卒論制作でも細かくチェックしてくれ、オススメの本や参考になる本を紹介してくれたり…本当本当お父さんみたいな教授でした。

卒論提出を終え私の中で「韓国の大学に入りもっとメディアについて文化コンテンツについて学びたい」という気持ちが芽生え韓国の大学に編入するという道に決めたことを報告したとき、先生は「こうやって学びに対して興味を持つ生徒がいてくれて嬉しい。〇〇さん(苗字)の気持ちは卒論制作からすごく伝わってきたし、これからも頑張って欲しい」と喜んでくれました。その言葉に私ももっと頑張ろうって決めたんだなぁ。

 

 

まあ、あげていくとキリないんですが…このような色々があって日本の大学卒業後に「韓国の大学へ編入」

という道を選びました。

 

実は昨日から書き始めて現在は発表の2時間前となっております…

 

本当どうなるかわからないけど…

いい結果がきますようにと願うばかりですウ

 

今日の朝のニュース番組でやってる占いでは12位でした( ◠‿◠ )

お母さんと何気なく見ていたのですが、11位までが発表された時点で

「え…?まさか?」と顔を見合わせました(笑)

 

 

まあ、そんなの信じませんけどネ。o(^▽^)o

 

 

 

私の思いが韓国の某大学へ届いていますように。