コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

  さて、話👇を少し戻して、ゆるゆるの「面接」時の話から始めたいと思う。

 

 

  まあ「面接」の時などは特に難しい「注文」のようなもの…

 

  「コレは必ず持って来てね」

 

  …みたいなものは一切なく、もちろん「履歴書」を改めて提出する必要も無く、ああホント今回のは『ボランティア』なんだなあ……と思ってしまった。

 

 

 

  しかし今日本で話題になっている

 

 

  「貧しい家庭(の子供)」

 

  と言うより

 

  「求職者」=無職&補助受給者

 

  …を対象としているイベントや人に多く関わって来たからかもしれないが、日本的に言えば「弱い側」である筈の「求職者」の意識は信じられないくらい低い。

 

 

 

  「遅刻」はアタリマエ。

 

  加えていわゆる「講義」というプログラムでも『筆記具』など持参した人は見た事が無い。

 

 

 

  主催者側も心得たモノで、箱に入った安物のペン、粗末なわら半紙のようなものをチャンと?用意している……と言うよりも、用意しないと前に進まない。

 

  そうやって用意していても「受講者」の方は満足にメモも取らず、終わったら紙は丸めてそこら辺、『無料のペン』だけポケットに入れて帰る……という感じ。

 

 

  いや、そのペンすら「使いっ放し」の状況で放り出していたとしても驚かなくなってしまった。

 

 

 

  機内で「入国申請書」のようなものが必要だった時代に

 

  「ファーストクラスの人は

 

  『何か書くモノ』を求めない」

 

 

 

  …というようなタイトルの本があったと思うが、前記のような人達を見ていると完全に同意する。

 

  彼らは多分「書き易い筆記具」の存在を知らない。

 

  いや、知ったら逆にそれはもう「自分のモノ」だろう。

 

  例え「自分が嫌いな誰か」の名前がしっかり書いている品であっても、例え「その人」に突っ込まれたとしても

 

  「ちょっと間違えたダケだ!」

 

  「気付かなかったダケじゃないか!」

 

  …とさえ言えば済む(と信じている)。

 

 

 

  そしてそうやってわざわざ「横取り」したものでも

 

 

  「手入れ」=「やりっ放し」

 

  …の法則で、直ぐ使えなくなり、簡単にそこら辺に放り出され、いわゆる「キチンとした後始末」もしない。

 

 

  まさに「個人主義」の末路、

 

   自分『ダケ』が気にしないなら

 

  ナニやってもOK!

 

  …そう、まさに

 

  「大丈夫、『ボクは』気にしないよ!」

 

  

 

 

 

  とにかく。

 

  「面接」=「お茶に来ない~?」

 

 

  …と言われたが、その場で直ぐ何かやってもエエよね?……ということで、まさに「買い物のついで」の恰好のまま店までポコポコと歩いて行った私。

 

 

  指定された時間は「開店」から一時間程過ぎた時だったが店にお客は誰も居らず、背の高い年配女性が一人いるだけだった。

 

 

 

  電話をくれた「店長」の顔と名前は店のサイトでチェック済みだったが、そこに居たのは……???