如月朔日の旧正月 甲辰五黄 

 

得た卦は天風姤 九五

 

 

九五。以杞包瓜。

含章。有隕自天。 

象曰。九五含章、中正也。

有隕自天、志不捨命也。

 

九五は杞を以て瓜を包む。

章を含む。天より隕つる有り。 

象曰く、

九五の章含むは、中正なればなり。

天より隕つる有りとは、

志、命を捨てざるなり。

 

 

 

は遇なり。 

一陰生じて陽に遇う象。

 

九五は陽剛。

上卦の中にあって

陽爻陽位、剛陽の正。

中正の徳力に満ち

君位に在って卦の主体。


姤卦一陰の初六、

在下の小人を恐れずに

大らかに包容します。

 


瓜は、甘美だが潰れ易い

陰の物とみます。

それは人にしてみれば

巧みに媚びて潰乱を起こし易い

小人初六です。

 

杞柳(きりうQǐliǔ)のこと。(※)

杞柳とは、かわやなぎ

杞柳の材で筐(はこ)などを作る。

 

 

含章

含章は内に美文(才)を蔵す。

含章は柔順の卦「坤六三」にもでてきます。 

 

含章可貞。或従王事。无成有終。

章あや含み(蔵し)て貞を保つべし。 

時に王命に従事することもあり

すぐに成功せずとも

終わりには万事全うできよう。

(坤六三)

 


含章な姿勢は

小人が発すであろう悪巧みや崩壊を

包瓜の如く、未然に防ぐことだろう。  


奢ることなく

中正の徳力を含章し

平静に備えて努めよ。


 

 

有隕自天。

天より隕(お)つる有り。 

天の時至れば

自ら顛落す。

予想外のこと起こる。

 

 

姤九五の解

含章な姿勢で

小人を包容することに努めれば

天の時至り、彼自身が顛落して

剛正の徳者、君主に包容せられる。

これが陰柔の小人を

遇するゆえんである。

 

占断例

思いがけずのこと不利にならない。 

丁寧慎重に進める時。 

目移りしてたらダメ。 

実力を活かす好機が近くある兆し。 

初心に帰れよ。 

 

包瓜を 内に秘密計略の隠蔽と解もあった。 

隠忍し機を待て。

新規よろしくない。

 

正しい方に賛同せよ。

 

 

 

 

杞柳(きりうQǐliǔ)について

杞柳とは、かわやなぎ。

日本ではヤナギ科ヤナギ属

山鳴の別名であったり 

白楊(はこやなぎ)や

「行李柳」コリヤナギとされる。


水辺に生息する柳で

しなやかで丈夫なので

杞柳の材で筐(はこ)などの

杞柳細工が有名だそうです。

これなら崩れやすい瓜も安心して保護できますね。

 

 

調べていたら

日本でもありました!!

 

兵庫県豊岡市
豊岡は伝統工芸「豊岡杞柳細工」

の産地だそうです。

 

https://nuitomeru.com/?p=7033

 

 

 

 

 

また杞柳を調べていて

 

姤は遇なり。

 


「孟子」からくる四字熟語に

 

遇いました。

 

 

性,猶杞柳也

ひとの性は なお杞柳なり。

 

告子のことばです。

 

原文をみると

『孟子』卷之十一 告子章句上

性,猶杞柳也;義,猶桮棬也。

以人性爲仁義,猶以杞柳爲桮棬。

 

告子曰く、性は猶(な)ほ杞柳のごとし。

義は猶ほ杯棬(はいけん:曲げ物)ごとし。

人の性を以て仁義と爲すは、

猶ほ杞柳を以て杯棬を爲(つく)るがごとし。

 

・・・むずかしいですね!!

 

これには続きがあります。

 

孟子曰、子能順杞柳之性而以為桮棬乎。

將戕賊杞柳而後以為桮棬也。

如將戕賊杞柳而以為桮棬、

則亦將戕賊人以為仁義與。

率天下之人而禍仁義者、必子之言夫。

 

孟子曰く、子能よく杞柳の性に順(したが)ひて、以て桮棬を爲(つく)るか、將(ま)た杞柳を戕賊(しやうぞく)して而(しか)る後のちに以て桮棬を爲るか。如(も)し將た杞柳を戕賊して以て桮棬を爲らば、則(すなは)ち亦(ま)た將た人を戕賊して以て仁義を爲すか。天下の人を率ひきゐて仁義を禍(わざはひ)する者ものは、必ず子の言(げん)ならんか。

 

告子と孟子の問答を描いているのが「告子章句上」


なにを問答しているのかというと

 


人の仁義の徳は『性』なのか否か?

 


人はの性(本性)は

「性善説なのか否か」というお題。

なんでカワヤナギがでてきたのか?

 

告子のことばに出てきます。


「人間の本性は、どちらにも曲がる「杞柳」

()のようなもので、善にも悪にもなり得る。」


として、告子は 

人の性に善も不善も無いとする

「性無善無不善説」を主張した。

 

「しなやかでどっちにも曲がる「杞柳」をひとの本性に譬えた」という話です。

 


「性善説」の孟子は猛烈に?

反論していくという問答。

 

 

性猶杞柳 

(な)お、杞柳(きりゅう)のごとし。

 

人の本性は、水辺に生える杞柳のようなもの

(どちらにでも曲げることができる)

義とはその杞柳で作る、曲げ物のようなもの。 

人の本性によって仁義を行うというのは

柔らかい杞柳を曲げて、

曲げ物を作るようなものである。

 

こころの陰陽の様相に

「杞柳」をつかうなんて深いですね!!

 

 

姤九五の「杞包」

 

陰陽五行では

「木の性情」として「曲直」があります。

 

姤九五では

「含章な姿勢で小人を包容すること」が語られ

 

小人を瓜、含章は「美しさを隠す」

 

その包容を「杞包」と読んだ。

 

 

「杞」は「杞柳」で

 

どちらにでも曲げることができる。

 

柔軟性、太極を意味するとともに

 

まさしく「杞」は

曲直の象意にも思えました。

 

 

易経は占断だけみては勿体ない。

爻辞を味わうと

本当にふかいです。