ありのままで愛されることが、
女性としての最高のしあわせ。
最近よく聞くフレーズではありますが、
これは、本当にその通りだと思います。
吉だんなが、わたしのことを、
生命体として興味があるという在り方で、
ありのまま受け入れてくれていることは、
本当にありがたく感謝していることです。
でもわたしは、吉だんなと出会う前、
ありのままで愛されるということを、
見事に勘違いしていた部分がありました。
ものすごく簡単に言うと、わたしは、
ありのままで愛されるということは、
【 何をしても許されること 】
だと思っていたのです。
どんなに感情をぶつけようが、
どんなにワガママを言おうが、
どんなに女を捨てていようが、
それを許してもらえることが、
愛されることだと思っていた。
ありがとうもごめんなさいも、
自分が思わなければ必要ない。
それがわたしなんだから当然。
たとえば、昨日の記事で言えば、
吉だんなとケンカしてしまったあとに、
「ごめんなさい」なんて言わなくても、
わかってくれるだろうという感覚です。
当時のわたしは一生懸命だったわけで、
それも大切な経験だったと思いますが、
正直、書くとめちゃくちゃ恥ずかしい。
そりゃコチラの記事のような出来事も、
起こるよなぁ~…と思うのであります。
だって、
何をしても許されることを求めて、
関係性を結ぼうとしているのなら、
自分と相手をしあわせにする覚悟を、
放棄しているということだからです。
たとえば、わたしで言えば、
感情の起伏が激しいことも、
完璧主義でネガティブに陥ることも、
ペースを乱されるのが苦手なことも、
わたしの一部分であるのは確かです。
でも、だからといってその一部分が、
相手に影響を及ぼしたことに対して、
「ありがとう」「ごめんなさい」を、
言わなくていい理由にはなりません。
わかってもらえるのが当然と、
自分の気持ちを伝える努力を、
しなくてもいい理由にもなりません。
それを怠ったとしたら単純に、
ふたりの時間が楽しくなくなって、
お互いを理解するチャンスも逃します。
結果としてありのまま愛される機会を、
自ら手放していくことになってしまう。
過去のわたしがやっていたのは、
そういうことなのだろうと思います。
どんなに小さなことでも、
してもらったのに気づいたら、
「ありがとう」と伝えること。
過ぎてしまったことでも、
引っ掛かることに気づいたら、
「ごめんなさい」と謝ること。
うまく伝えられなくても、
なかったことにしないで、
聞いてもらう手段を考えて、
自分の気持ちを伝えること。
スキンシップを含めて、
わたしが心がけていることです。
もし、わたしがこれらを怠って、
これがわたしの、
ありのままの姿なんだから、
受け入れなさいよ!!!!!
というような態度のみ取り続けたら、
吉だんなにはキッパリと叱られるか、
わたし達の関係性が終わるでしょう。
パートナーシップは綺麗ごとじゃない。
これまでブログにも書いてきましたが、
自分でも驚くような自分に直面します。
でも、だからこそ、
それを表現させてくれる吉だんなには、
感謝の気持ちを伝え続けていきたいし、
そんな自分を受け入れるのは最終的に、
自分である責任を持ちたいと思うのです。