こんばんは。

しばらく更新ができずにいました。

すみません。

少し私の心の中に溜まった気持ちを吐き出したいと思います。



先日、東レアローズのセッター、藤井直伸選手の訃報がありましたね。

私は藤井選手をとても応援していて、男子バレーの選手の中では1番大好きな選手でした。

東レアローズも好きで、Vリーグも配信や現地に足を運んで観に行ったり、配信でも観戦していました。

コロナが広まっていろいろな制限がかかる前に、1度だけですが、練習見学にも行きました。



藤井選手の訃報があってからしばらくは悲しみに暮れて、生活にも支障が出るレベルで泣いてばかりでした。

この文章も、書けそうな時に少しずつ書いていますが、書きながらも涙が溢れてしまって、なぜ病魔が藤井選手を選んだのか、なぜ藤井選手なのか、なぜ藤井選手がこの世を去らねばならなかったのか、頭の中が疑問だらけです。

今でも、まだこの現実を受け入れることができず、信じることができません。



中学生の頃から全日本バレーの試合をよくテレビで見ていましたが、Vリーグの存在を知ったのは、割と最近ですが、2019年です。

テレビでワールドカップバレーを観ていた時に、Vリーグの告知が出ていたのを見て、行ってみたいと思ったんです。

中でも私は、楽しそうにプレイする藤井選手をこの目で見てみたいと思いました。



2019年は、私がやっと「脳脊髄液減少症」の診断に辿り着いた年です。

脳脊髄液減少症だと診断されて、やっと病名が診断されたことにほっとした部分もありましたが、入院に対して不安な気持ちが大きく、少しナーバスになっていた時期でした。

そんな時にVリーグという新しい楽しみを見つけて、私の暗い心にやっと明るい光が差し込み始めたんです。

入院前に、せめて1回試合を観てみたい。

そんな気持ちで観戦に行きました。

初めてこの目で観た試合は、本当に楽しくて、大興奮でした。

1回観られればそれでいいや、と最初は思っていた私ですが、観戦後は「次はいつの試合を観に行こう」とわくわくしていました。



年が明けてから、東レアローズの練習見学にも行きました。

練習見学の後、選手1人を指名して少しお話しできるようなシステムがあったのですが、その時私は真っ先に藤井さんと話したいと思い、お話をさせていただきました。

お話といってもそれほど深い話をする時間もなく、私も緊張してあまりお話はできなかったんですが、一緒にお写真を撮っていただきました。

実はこの時、「今月末入院して少し処置をするんですけど、頑張ってって言ってくれませんか」って言うお願いをしようかななんて思っていたんです(笑)

でも、何だか恥ずかしくてそんなことをお願いするのも気が引けてしまって、結局は言えずに終わってしまいましたが、選手とお話しできる機会もそうそうないし、一緒に写真を撮っていただく機会もそうそうないし、あんなに近い距離で選手を見ることなんてなかなかできないし、この日は本当にいい思い出になりました。



そしてその約1週間後、国際福祉大学熱海病院に入院し、検査した結果、1回目のブラッドパッチをしていただくことになりました。

退院後自宅で安静期間を過ごしていた私は、土日は決まって配信のVリーグを観戦していました。

また試合を見に行くために頑張って治したい。

また藤井選手をこの目で見たい。

そんな気持ちで、治療中なのに前向きな気持ちを持てていたのは藤井選手のおかげだと思います。

私はもともと神経質だし、繊細だし、落ち込みやすいのですが、Vリーグを観に行くために早く元気になってやる!という気持ちが強くあったので、その頃の私はとても明るい気持ちを保てていたと思います。

あの時Vリーグを観に行っていなかったら。

藤井選手をこの目で見ていなかったら。

もしかしたら今の私は無いかもしれません。

それほどに藤井さんは私の心の支えになっていました。

それから仕事が忙しくなったり、2度目のブラッドパッチが決まったりと、なかなか会場に足を運ぶことができなくなったり、コロナが蔓延したせいで、東レアローズの練習見学はできなくなり、以前ほど現地観戦に行くこともなくなってしまったのですが、常に情報のチェックをしていました。

職場のロッカーに藤井さんの写真を貼り、モチベーションを上げていたことをよく覚えています。

本当に私の元気の源でした。



そんな中、一昨年の2021年の9月に、藤井選手が当時日本代表だった佐藤美弥選手と結婚されたという嬉しい報告を見て、本当に喜ばしい気持ちになりました。

たくさん幸せになってほしい。

たくさん笑ってほしい。

1ファンの私ですら、そんな気持ちを強く持ちました。

私の話になってしまいますが、私は2021年の11月に結婚をしたので、結婚の時期が近かったことから、何だか勝手に親近感を覚えていました。



それなのに、結婚発表から数ヶ月。

まさか胃がん、ましてやステージ4の報告があるなんて思ってもいませんでした。

その時は本当にショックでしたし、何よりもご本人やご家族、そしてチームメートの皆さんたちはもっとショックを受けているのだろうなと思いました。

私にできるのは、ただ応援し続けること。

またコートに戻ってくる藤井選手を待つことだと思い、良い報告が聞けたらいいなと、祈る思いで過ごしていました。

時折、藤井選手がSNSを更新した時にいつも見せてくれたのは、闘病中にも関わらず、いつものキラキラの笑顔でした。

たまにトレーニングしている写真だったり、選手の方と会ったり、そんな写真を見て、本当に治ってほしいと心の奥底から思いました。

藤井選手が前向きに闘病している。

だから、私たちも前向きに応援しなければいけないと心の奥底から思いました。

これだけ前向きな気持ちで闘病をして、こんなにキラキラな笑顔で、きっと藤井選手は病魔に打ち勝って戻ってきてくれるんじゃないか。

またコートに立つ姿を見せてくれるのではないかと、そんな気持ちにさせられました。



ですが、その願いは叶わず。

先月の3月10日に亡くなったと訃報がありました。

何よりもご本人が1番悔しいと思いますし、残された家族の方も、まさかこんなに早く大事な人を失ってしまうなんて思っていなかっただろうし、受け入れられない現実を受け入れなければいけないというのは本当に辛いだろうなと思います。

訃報の後、たくさんの選手が藤井選手に向けてメッセージをSNSで発信していましたが、藤井選手は本当にたくさん努力をして、誰よりも周りを大事にして、誰よりも周りをよく見て、たくさん周りに愛された選手だったんだなと思いました。



夢だったらどんなに良かっただろうか。

悪い夢を見ているんだと最初は思いたかったけれど、選手陣のSNSを見て、夢ではなく、藤井選手は本当に亡くなってしまったのだと痛感させられ、私はしばらくもぬけの殻になっていました。

何も考えられなかった。

何もやる気が起きなかった。

本当にショックでした。

私に希望を与えてくれた人が、いなくなってしまった。

何をしていても訃報が頭から離れず、何度もふとした瞬間に号泣していました。



ふと昔のことを思い出したんです。

藤井選手の胃がんの発覚のきっかけは、まず「バレーボールが二重に見える」ようになったからだそうで。

色々な病院をまわったようですが、なかなか原因が分からなかったそうです。

しかし最終的に、胃がんが脳に転移していることでバレーボール(視界)が二重に見えていたということだったそうです。

2020年。

ブラッドパッチ後の安静期間を終え、現地観戦に行った時のことです。

その日、藤井選手は試合には出ませんでした。

控え選手ではありましたが、1度もコートには立ちませんでした。

その時、藤井選手はしきりに目を気にしていました。

目を擦ったり、目を細めたり。

その日に限ったことではありませんでした。

何度か現地観戦した時に、藤井選手はいつも目を気にしている素振りを見せていました。

もうその時、本人も周りも気付いていないし知りもしない状態で、既に胃がんが進行し、脳に転移していたということですよね。

それに今更気付いて、悔しい気持ちでいっぱいになりました。

ただの1ファンに何ができるのかとも思いますが、その時に気付けていたら、何かが変わっていたのかな?

なんて、たらればを考えてしまいます。

とても複雑な気持ちです。

この気持ちを何て表現したらいいのか分かりません。

私でさえこんな気持ちなら、ご本人、ご家族、チームメイト、友人などの近しい方々は、どんなに悲しいだろうと思うと、胸が苦しいです。



藤井選手の訃報から、2週間以上が経ちました。

何とか毎日を過ごしながら、少しずつではありますが、私の頭と心が藤井選手の訃報を受け入れてきたような感じがしています。

決して認めたくはないけれど。

気持ちの変化も少しずつ出てきました。

今日のブログはただただ悲しい気持ちを吐き出しましたが、まだ書きたいことを書ききれていないので、明日以降に、私の気持ちの変化を書いていきたいと思います。

藤井選手の死は本当に悲しいけれど、だからこそ考えたことがたくさんあるので、少しずつ書いていきますね。





藤井直伸選手、たくさんたくさんお疲れ様でした。

ゆっくり休んでください。



今日はとりあえずここまで。

長文になりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。